002.月日の過ぎるのは早いもので、もう一ヶ月
あの日私の後見になるといった人は、左近さんという人で、この町で万屋を営んでいる。
江戸時代にタイムトラベルしたのかと思ったら、今は平成だと言われた。何故私のいた世界と同じ元号なのかと思ったら、こちらの世界を治めているのは妖らしく、長寿過ぎて元号がずっと変わらなくなってしまう為、私のいた世界の元号を使っているらしい。なんと適当なとも思ったけど、千年は帝位に就いてらっしゃるとのことで、西暦みたいになるのかと思ったら、それもありなのかなと思ったり。
私の元いた世界は現世と呼ばれていて、ここは常世と呼ばれるらしい。時間の流れもゆっくりだとか。ごく稀に、私のように迷い込む人間のことを賓と呼ぶそうな。
左近さんについて回って、ひたすら挨拶をした。
賓だよ。万屋の左近が面倒を見ることになったから、よしなに。
短い挨拶の中でも、左近さんが実力者ということは分かった。誰も彼もが左近さんに頭を下げるから。嫌々下げているという感じではなかったけど、なんていうのかな、ちょっと一歩引いた感じがした。
「つむちゃん、少しはここに慣れたかい?」
人の良さそうな、タレ目の女将さんがお茶と粒あんのたっぷりのった団子を持って来てくれた。
手を合わせていただきますとお礼をしてから、団子を口に入れる。蓬の香りがなんともいえない。蓬ってこんなに良い匂いだったんだ。草餅とかいつぶりだろう。粒あんはつぶしあんのようで、残った粒の食感がまた良い。
つむちゃんとは私のことだ。冬泉 紬葵。私の名前。天涯孤独で、ここに来る前に職も住む所も失った。持てるだけの荷物を抱えて、どうしたものかと思っていたら、少し前に拾った犬が神社の階段をひょいひょいと登ってしまって。慌ててそれを追いかけていたら常世に来てしまった。
「まだ分からないことばっかりですけど、なんとか」
今日は左近さんに言われて、蝋燭問屋の手伝いに来ている。何をするかといえば、何もしない。賓がいると邪気が払われるらしく、あちこちから声がかかる。そうやってお金を稼ぐ。ただ何もしないでお金をもらうのがどうも居心地悪いから、手伝っても問題ないことをやらせてもらったりする。そんなことをしていたら、邪気払いというよりは、アルバイトみたいに呼ばれるようになったけど、ぼんやり一日座ってるよりよっぽど良いと思う。
さっきまで竹箒を持って庭の枯れ葉を掃いていた。それが終わったところで女将さんに呼ばれ、縁側に座ってお茶とお団子をいただいている。
「現世と常世はだいぶ違うって言うじゃないか。慣れぬ土地で暮らすのは大変だろうけど、私らはあんたが来てくれて助かってるんだよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
現世では役立たずだの給料どろぼうだの毎日言われていたから。令和になろうと、パワハラ、モラハラは消えぬのですよ。
そんな感じで自己肯定感なんて、日々のハラスメントでゴリッゴリに削られてもはや粉状になっていた。それがここに来て、こんな風に優しい言葉をかけてもらえる。それだけで良かったと思えるぐらいに、現世での生活は辛かった。
会社がいきなり倒産して、しかもバックれられたので給料やらなにやら支払われないまま。離職票がない所為で失業保険もすぐには給付されず。雀の涙ほどの貯蓄はすぐに尽きた。コロナが長引いている所為で求人は軒並みブラックしかない状態で、転職活動も難航。
日々の食事にも事欠いて、家賃は滞納していなかったけど、こっそり犬を匿っていたのが理由で追い出された。ペット禁止物件だから仕方ないんだけど、無職で貯蓄も尽きかけて、天涯孤独で身寄りもいなかったから新しい家を見つけるのも厳しく。
自分の身すらままならない状態なのに、就職活動の帰りに怪我をした犬二匹を見つけてしまった。一度は素通りしたものの、どうしても気になってしまって、引き返して犬を拾った私が悪いのであって、大家さんは悪くない。私が怪我をした犬を放っておけなかったんだよ……。
『紬葵!』
『あ、お団子食べてる!』
勢いよく庭に駆け込んで、私の前にやって来たのは、現世で私が拾った犬二匹。犬だったんだよ、確かに。ちょっと片方の犬は目力強いなとか、毛のカールが半端ないなとは思ってたけど。
「獅子様も狛犬様も、草団子いかがです?」
女将が笑顔で声をかけると、しっぽをぶんぶん振って答える。
『食べる』
『食べたい!』
犬じゃなくって、神獣なんですってよ。カールくるっくるの目力強めのほうが獅子。もう一匹は狛犬。それぞれシシとコマと呼んでる。そのまんま。……そう、神社の入り口に鎮座する、狛犬。正しくは獅子と狛犬で、合わせて獅子狛犬と呼ぶそうな。で、その獅子狛犬を、獅子狛犬と知らずに拾ったらしいんですよ、私。いやだって、分からないよ。私は霊感とかそういったもの皆無なんだもの。石像じゃないですか、普通……。
シシとコマはこのままでは私が行き倒れると心配になったようだ。まぁ、住む所がなくなってしまったから、その心配も無理もないというか。それで私を連れて常世に来たらしい。
左近さんが神獣がどうのと言っていたのは、シシとコマのことだったのだ。
「もうすぐ年号が変わるらしくてねぇ」
「そうみたいですね」
そう、常世はまだ平成で。現世は令和。現世の情報を集めているわけでもないから、平成から令和になったことをご存知なかったらしい。それに時間の流れも違うから令和に変わってすぐに伝わっても、既に時間がズレているとか。
時間のズレがイマイチよく分かっていなかった私に左近さんが教えてくれた。
浦島太郎の行った場所も常世なんだとか。……ということは、私がここを出る時はあの葛をもらうのだろうかと尋ねたところ、あれは竜宮城の姫 豊玉姫の求婚を浦島太郎が断ったからだそうな。現世に戻って自分以外の女性と浦島太郎が結婚するのが許せなかったんだろうとさも当たり前のように言われてしまった。こわっと思わず反応してしまったら、豊玉姫は神様だもの、その求婚を断ったら呪われて当然さね、と言われてしまった。神様怖い。
私が常世に来てから一カ月が経過した。現世では一年近くが経過しているはずだと言われた。神隠しという言葉を思い出した。ふっと消えて、数十年後に戻ってきたのに消えた時と同じ姿だったという奴。
「現世とは時間の流れも違うんだし、現世に合わせると数年で年号を変えることになって大変じゃないですか?」
シシとコマ用のお団子を持って来てくれた女将さんに尋ねると、カラカラと女将さんは笑った。
「いつもはこんなに直ぐには変わらないからねぇ」
「そうなんですか?」
「賓が来ることはあっても、それもこっちの数十年に一度のことなんだよ。平成の前は慶応だよ」
明治ですらなかった。
「年号が変わると帝から餅が配られるからね、あたしらは楽しみだよ」
「餅」
「そう、祝い餅。これが頰が落ちるほど美味いんだよ。つむちゃんも楽しみにしといで」
頰が落ちるほどの餅とな!
「それは是非食べてみたいです!」
シシとコマの前に置かれた草団子は、串が刺さっていないので安心。あんことか餅とか大丈夫なのかと心配したけど、神獣は犬と違うから何でも食べられるらしい。なんならお茶も飲んでる。そもそも喋る。
シシとコマが鯵の干物を盗み食いして、大慌てで左近さんの所に行ったら、笑われた。神獣に塩分も何もないって。それからも怖くてあげられなかったんだけど、私のごはんから強奪して食べていく。そして異常は何もない。この世界に獣医もいない。繰り返すうちに慣れたというか諦めたというか。
「つむちゃんのおかげで、新しい年号になる前に厄払いができたよ。ありがとうねぇ」
「いえいえ、何もしてません」
ついでに庭の掃き掃除したぐらいなのに、美味しいお茶と草団子をいただいた。しかも報酬も他にもらえるのだ。
常世というのは、時の流れがゆっくりだからなのか、色々と溜まりやすいのだそうな。そうやって溜まった邪気は、定期的に払わないと魔物を産むらしい。そうなると普通の人間にはお手上げ。常世といっても住んでるのは妖ばかりではなく、人も住んでる。寿命も現世の人間と変わらない。倒せるのは妖や、御師と呼ばれる専門の人。魔物退治を生業とする妖はいるらしい。
私達賓は魔物を倒したりはできないけど、その邪気を消すことができる。そんなことをしたら魔物退治を生業とする妖に恨まれるんじゃないかと思ったら、最近は魔物が増えすぎて困ってるらしくって、私が来たことを喜んでるらしい。いくら妖でも、魔物と戦えば怪我をすることもあるらしい。
だから私がこうしてあちこち回って邪気を払うのは、皆にとって良いことみたい。それを聞いて安心した。恨まれたりしたら困る。しかも私と一緒に暮らすシシとコマは神獣で、魔物も退治できる。さすが神獣。
七つ時の鐘が遠くに聞こえた。鐘が七回。つまり十六時。未だ時間の呼び名はよく分からない。なんで四つ時の後が九つ時なんだ。
「お礼は万屋さんに渡しておくからね」
「ありがとうございます」
常世では残業なんてない。それだけで素晴らしいと思う。明るくなったら行動して、暗くなる頃には仕事を終えて家に帰る。超健康的。
夜出歩くのには提灯なんかが必要になるし、その提灯もそこそこ値が張るものだから、町民は夜遊びしないんだって。祭りの時は町中に明かりが灯されるから、安全らしい。
「お邪魔しました」
お礼をして、シシとコマと一緒に蝋燭問屋を後にする。
『紬葵、夕飯なに?』
「鯵の干物」
『また?!』
「仕方ないでしょ、十枚ももらっちゃったんだから」
仕事の報酬はたまに現物だったりもする。
「大根おろし付けるよ」
『いいね』
『えー、大根おろし辛いから苦手ー』
「わがまま言わず、日々の糧に感謝せよ」