番外編 紫の花冠をいつか君に
「今日のフーリアも可愛かった……」
自室に戻り、クロードはつい先ほど刻まれた新たな記憶を噛みしめる。
長年の気持ちを告げるよりも先に求婚したいという願望が先走ってしまったあの日。
城に戻ってくれさえすれば、気持ちはいくらでも伝えられると思った。
実際、両親が退位したことによりしがらみはなくなった。
クロードは思う存分愛を伝えることが出来る。今までは自重していたが、以前よりずっと贈りたかったドレスやアクセサリーも何かと理由を付ければ受け取ってもらえる。
だが一番幸せな時間は、やはり花束を贈る時間。
もう何年も前のことだから、きっとフーリアは忘れてしまっているかもしれないが、彼女の瞳と同じ、紫色の花で作った冠を贈る約束をした。
あの日のフーリアの嬉しそうな表情を、クロードは一生忘れることはないだろう。
例え彼女が覚えていなくとも、せっせと花冠を作り続けるほどには、彼にとって幸せな約束だった。
「うわっ、また増えてる……」
部屋に入ってきたルイスは顔を歪める。この反応にも慣れたものだ。
クロードは弟の反応を気にすることなく、手を進める。
「何か不備があったのか? 急ぎではないなら、これが終わった後でもいいか?」
「書類のことで少し聞きたいことがあっただけだから、後でも大丈夫……。それ、まだ渡してないの?」
「まだどの花が好きか分からないからな」
ルイスが『それ』と指差すのは、クロードが作成している花冠である。
同じような物はすでに部屋の壁にいくつも飾られている。
花の種類はそれぞれ異なるが、全て紫色ーーフーリア色の花だ。
自然界で作られた色の物もあれば、白い花を魔法で変えたものもある。
彼女に花束を贈った日は必ず、花束と同じ花を使用して冠を作ることにしている。
枯れることのないよう、魔法をかけて色鮮やかで綺麗なまま。
いつだってフーリアの頭に飾れるように待機させている。
冠を手に取れば、花束を受け取った時のフーリアの表情が鮮明に思い出され、そしてこの花冠を載せたフーリアを想像して幸福な時間に浸ることも出来る。
まさに自室に飾るに相応しい。
だがルイスはそれをよく思っていないようだ。頬をヒクつかせている。
「直接聞きなよ!」
「聞いたら今後他の花を贈る口実がなくなるだろ。それに、毎回少しずつ違う反応を返してくれるフーリアを見るのも楽しみなんだ。今日は少し困ったような表情で、こちらをチラチラと見てきて、可愛かったなぁ」
「気持ち悪い」
「うっ……」
ルイスの言葉はクロードにグサリと突き刺さる。
幸せの象徴である花冠だが、同時にクロードが良い返事をもらえなかった印でもある。
なにせこれらの花冠は求婚に良い返事をもらえた時に渡そうと決めているのだから。
彼女が気に入ったら、その冠をモデルとしたティアラを作るのもいいかもしれないと構想まで膨らませている。
決して脈がない訳ではない。
フーリアの気持ちが傾いてきていることは、会話の中でも伝わってくる。
クロードが良い方に捕らえているだけではなく、客観的に見てもそうであることは確認済みだ。
押して押して押して、とにかく押しまくる作戦は間違っていない。
効果は出ているのだが、いつ結果が出るのかはクロードにも周りにも見えていない。
「いくら押し続ければ陥落してくれるように見えても、長期戦に持ち込んだら負けだよ。逃げられれば今度こそ見つからない。キュイ様の機嫌だっていつ変わるか分からない。今は止まっているみたいだけど、神官長の元にだってまたいつ大聖女の推薦が舞い込むかは分からない。そして、それを大聖女フーリアが見つければ……」
「教育を施そうとするだろうな」
フーリアの気持ちは確かに結婚に傾きかけている。
だが彼女が大聖女が見つかるまで、という名目で戻ってきてくれているのも事実。
今は大聖女として働いてくれているが、未だにその役職を退くつもりはあるようで、次の大聖女に宛てたマニュアルも作っている。
それでも引き継ぎ予定がないのは、神官長が次の代聖女を探すつもりが全くないから。また一時的に大聖女候補の推薦が止まっているからに過ぎない。
いくらフーリアが大聖女を退く姿勢を見せていたとしても、このタイミングで推薦なんて送れば確実に神官長の怒りを買うことになる。それだけは何としても避けるはずだ。
なにせフーリア不在時に推薦された大聖女候補全員が、神官長の妻になることを望んでいたのだから。
本人がそう思っていなくとも、推薦者や家族は結婚を望んでいた。
そのせいで他の聖女達も自分にもチャンスがあるのかと浮き足立つようになった。
それでも圧だけなら跳ね返せばいいだけ。
問題は、候補者が働かないことにあった。
神官長の好みは、慎ましやかな女性である。推薦された女性は見事にその枠に収まっていた。
だが彼が推薦して欲しいのはビジネスパートナーだった。
平民だろうと貴族だろうと生まれはどうでもいい。この際、若干力が弱くても構わない。自分の役割を理解し、せめて教会や聖女の役割について興味を持ち、勉強しようという姿勢を見せろ、と怒り始めるまでそう時間はかからなかった。
もちろん彼だって誰にでも厳しい訳ではない。
慣れない者や学ぼうとする者には手を差し伸べる。だが本人にやろうという気が見えなかった。それは部外者のクロードの目から見ても明らかだった。
フーリアが戻ってきてからというもの、今までやつれていたのが嘘かのように、神官長は元気を取り戻した。
もしや彼もまたフーリアに惚れているのではないかと邪推したが、バッサリと切り捨てられた。
「共に教会を支えようというのであればあのくらいの根性が理想ですが、使用人達と共に家を守る相手には包み込むような優しさが欲しい。フーリアは理想の仕事相手ですが、結婚なんて頼まれても御免です。家に引き込むなら妻ではなく、養子にします」
なんでもフーリアは追放される前から、隙さえあれば平民相手の治療会を開こうとしていたらしい。費用面や貴族からの承諾が得られないと却下し続けていたが、突っ返せば彼女は他のイベントなどから経費削減出来ないかと書類を出してくる。
あまりのしつこさに一時は顔も見るのも嫌だった、と苦い表情をしながら教えてくれた。
クロードはそんな神官長を前に「またフーリアの新たな一面を知ることが出来た」と表情を緩めたのだった。
そんな訳で、後任の大聖女探しは一時的に中断されている。
推薦状から解放された神官長が今、最も力を入れているのは聖女と神官の教育である。
改革で入れ替わった貴族達の基盤がしっかりとするまでに、教会の上層部の基盤も固めようというのだ。
「今なら、推薦が来ても彼女に気付かれる前に突き返せます」
だから逃がすなよ、と。
彼もまた、フーリアとの結婚の外堀を埋める手伝いをしてくれている。
必要なら、後ろ盾になるとまで言ってくれた。
本当は養子にすれば手っ取り早いのだが、彼女は元の家族との縁を大事にしている。それは彼女が見つかった国が、養父母の眠る地であったことがよく物語っている。
あの土地で見つかったのはデイビットを救うためだけではない。
それ以外にも理由があって、その理由こそが『家族との縁』なのではないか、とクロードは考えている。
神官長も同じ意見だった。
だから推すだけ。無理強いはしない。
「失礼致します」
「アドーラ嬢、来ていたんだな」
「はい。クロード様が未だに結婚出来ていないと聞いて、お祖父様が背中を押しにいけと急かすものですから」
ふふふと貴族らしい笑みを浮かべながらも、もっと攻めろと圧をかけるのは、ルイスの婚約者にして、クロードの元婚約者のアドーラ=フランダルスである。
クロードが意識を取り戻すよりも前から、フランダルス家は大聖女フーリア追放がいかに愚かな行いであったかを何度も伝えてきた。
『大聖女フーリアは解呪の天才でした。彼女がいない今、呪いを向けられれば、どれだけの者が生き抜くことができましょうか』
淡々と紡がれた短い言葉にゾッとした貴族も多かったことだろう。
病と違い、呪いは何者かの手によってかけられる。
最も解呪を得意とする者が抜けた今こそ、呪いをかけるタイミングとしては最高だ。
もちろん呪いを解くことが出来る聖女や神官が全くいない訳ではない。
だがかつて貴族至上主義であったフランダルス先代当主が平民の娘に解呪を担当させるほどには、少ないのだ。
加えて時間が経てば経つほど、呪いは進行していく。
アドーラのひと言のおかげで、カタカタと震えて怯える貴族達は喜んで改革とフーリア捜索に協力してくれた。
「フランダルス家の協力には感謝している」
「私達がフーリア様から受けた恩に比べれば些細なことですわ」
フランダルス公爵家は古くから続く名家であり、貴族至上の血統主義としても知られていた。
フランダルス家の先代当主は『平民は国を回すための歯車でしかない』と言い切っていたほど。
だがアドーラと、先代当主の妻がとある呪いにかけられたことにより、一変する。
呪いがかけられていると気付いた先代当主はすぐに二人を連れて教会へと駆け込んだ。
貴族至上主義な先代当主は当然、解呪の担当として神官長を希望した。
けれど神官長は自分にはとても手に負えないと解呪を拒んだ。
代わりに推薦したのが、大聖女になったばかりのフーリアだった。
彼は平民出身の彼女が解呪にあたるなど認めないと大騒ぎした。けれどそんなフランダルス家先代当主をフーリアは怒鳴りつけたという。
「それは愛する家族の命よりも大事なことですか! 確かに国内中の聖女や神官全員にあたれば解呪を得意とする貴族を見つけ出すことが出来るかもしれない。ですが、その捜索にかけた時間の分だけ、解呪は遅れ、彼女達は死へと近づいていく。死んだ人間は二度と帰ってくることはないんです。例え、あなたが持ちうる財全てを投げ打ったとしても神は死者の蘇りをお認めにはならない。あなたが出来るのは今この瞬間、生者として呪いと戦っていらっしゃるお二人のために出来る最善の行動を選ぶことだけです!」
婚約者の一大事と聞いて、教会に急いで来たクロードもその時の言葉をよく覚えている。
きっと先代当主も同じだろう。
その言葉にハッとした彼は深く頭を垂れた。申し訳なかった、と平民相手に謝罪したのである。
それからフーリアは解呪に取りかかり、二人は一命をとりとめることとなった。
アドーラは魔力を受け入れることの出来ない身体となったことで、クロードの婚約者からは外されることになったが、先代当主はフーリアに感謝した。
教会への謝礼とは別にフーリア個人に大金を包んだほど。
だが彼女は拒否した。
苦しんでいる人を救うのが自分の仕事である、と。
その真っ直ぐな姿に、クロードはますますフーリアに惚れた。
その時のことがあったからこそ、デイビットを救った彼女に謝罪や報酬を重ねることは止めた。
受け取ってもらえないことが分かっているから、仕事に必要な物という名目で贈り物を繰り返しているのだ。
あの一件以来、フランダルス家は考えを改めることとなった。
生まれではなく、その者の本質を見るようになったのだ。当主を息子に引き継いでから、先代夫婦は才能のあるものに投資を始めた。これが大当たり。
元より見る目は確かだった彼らが、貴族・平民というフィルターをなくしたことにより、めきめきと急成長し始めたのである。国内外問わず、フランダルス家のおかげで才を伸ばした者は多い。
こんな機会を与えてくれたのはフーリアだと、彼らは彼女に感謝している。
彼らがクロードに協力するのは、フーリアをフランダルス家の親戚にするため。
クロードとフーリアが結婚すれば、アドーラはフーリアの義妹となる。
あの日拒まれた大金よりももっと価値のあるものを返すことが出来るーーそれこそがフランダルス家の望みである。
「そうそう。神官長がフーリア様の後ろを支える盾になるとおっしゃったのだとか。ならば私達は彼女の前方で有象無象を切り捨てる剣となりましょう」
柔らかな笑みを浮かべながら、アドーラの瞳は「早く結婚しろ」と強く訴えかけている。
「用件はそれだけですわ。ポッと出の男なんかにかすめ取られませんようにくれぐれもお気を付けくださいまし」
最後の最後でグサリとナイフを刺して、ルイスと共に去って行く。
書類のことを聞きに来たのではなかったのかと思えば、デスクの上にはメモ付きの書類が残されていた。後で使用人に持って行かせよう。
呪いの一件があったからこそ、ルイスの婚約者になったアドーラだが、本当にお似合いの二人なのだ。
「あの二人のようになれるといいのだが……」
早く結婚したいのはクロードも同じ。
けれど無理に押し込めば、彼女はきっと逃げてしまうから。
花束を受け取る際、頬が緩むと同時に困ったような表情を含んでいることにも気付いている。そして、彼女が身分の差を気にしていることも。
だから静かになった部屋で、今日も花冠を作り続ける。
外堀が埋まって、彼女が逃げ出せなくなる日を。いつか彼女の頭に花冠を飾る日を夢見て。
そんなクロードに花冠を渡す最大のチャンスが訪れる。
いつものように紫の花束を手に、教会へ向かった時のことだった。
クロードの花束を目にしたフーリアが質問を投げかけてきたのである。
「クロード様は花冠を作るのがお好きなのですか?」
「好きというか、習慣みたいなものだな。だがいきなりどうして?」
「昨日、キュイに花冠を作っている時に神官長からクロード様が花冠を作るのが好きだと聞きまして。私もコツを教えてもらって少しは上手くなったんですが、またキュイに食べられちゃって……」
「良ければ作りかたを教えようか?」
「いいんですか!?」
これはチャンスだ。
花冠を食べてしまうという神獣は今、神官長の新作ポーションの味見に向かっているらしい。
「ああ、ちょうど花もたくさんある。これを使おう」
フーリアの気が変わらないうちに、贈る前の花束から二人分の花を抜き取る。
そして二人で近くのベンチに腰かけながら、花冠を編んでいく。
「少し、固いですね」
「ああそこはコツがあって」
思い描いていた未来とは異なるが、夢の共同作業である。
結婚生活の第一歩といっても過言ではないだろう。
クロードの脳内にはすでに、完成した花冠をフーリアに贈り、求婚するまでの流れが出来ていた。
「出来た! 少しよれちゃいましたけど……」
そして花冠は完成した。
フーリアは冠を手に、恥ずかしそうに笑っている。
「フーリア、良かったらこの冠を!」
この幸せな時間が永遠になるための第一歩を踏み出そうとした時だった。
「キュイキュイキューキュイッ」
大きな鳴き声が響くとともに、クロードとフーリアとの間に白い塊が落下した。
かと思えば、クロードの手の中の冠をもしゃもしゃと食べ始めたではないか。
「キュイ! それはクロード様が作ったものだから食べちゃダメ!」
「キュイキュイ〜」
「すみません、本当にうちのキュイがすみません」
「……また、作ればいいから気にしないでくれ」
フーリアがしきりに頭を下げる横で、神獣は花冠を平らげでしまった。
しかもクロードの作った分だけ。
今はフーリアが作った花冠の間に鎮座している。心なしか、その表情は誇らしげだ。
確信犯ーーその文字がクロードの頭によぎった。
先ほどの鳴き声は転移魔法を発動させる合図だったのだろう。
クロードの追跡を妨害し続けたことといい、神獣は未だ二人の結婚を認めていない様子。いや、今はまだそのタイミングではないだけなのか。
神獣の言葉を理解することのできないクロードには、彼の意図を予測することしか出来ない。
だが神獣に妨害され続ければ、フーリアの意思がどんなに傾こうが結婚は不可能に近い。
今出来ることは、ひたすらに神獣に媚びることのみである。
クロードは、フーリアに花冠を贈る計画を先送りにして、にこりと微笑む。
「花が好きなら、今度王家の別荘に行かないか? 近くに綺麗な花が咲く湖畔があるんだ。もちろんフーリアも一緒に」
「キュイ! キュイ!!」
「い、いいんですか?」
「もちろん」
今日は自然な流れで湖畔に行くという計画を立てられただけ良しとしよう。
教会と城以外の場所で会う約束を取り付けられることも、大きな一歩に違いないのだから。
その湖畔でいい雰囲気になるたびにキュイに妨害されることになるとは、この時のクロードは想像もしていなかったのである。
「クロード様の花冠を食べちゃった時はどうなることかと思ったけど、お出かけだって! 私はオマケだけど、嬉しいな〜。ありがとうキュイ」
「キュイッキュイ〜」
クロードが花冠を渡そうとしたことに全く気づかずに約束ができたことを喜ぶフーリアと、お風呂に入れて貰いながら褒められて嬉しいキュイなのでした。




