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アウランティウムの旅日記  作者: 燈真
第一章 〝神の小鳥〟と幻獣もどきの里帰り
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2-1 初夏月/立待①

 クシュオ州は台地と丘陵に三方を囲まれ、南を海に面していて、〝原初の五樹〟の膝元ということもあり比較的安定した土地である。山麓側では人獣が酪農や畑作を行い、海側の湿原は央領最大規模の獣の居住地として、人獣は滅多に入らないよう棲み分けされている。

 山脈を越え、果ては空に続くのかと思えるほど広大な畑と草地の間を抜け、平野を下り海沿いを歩くこと七日間、ウィリディスとアウランティウムはついにこの湿原に辿り着いた。緑が濃く生い茂り、隙間を縫うように幾筋もの川が蛇行しながら流れていく。人獣が通るために渡された木板の上を歩いて行くと、鹿や狐が時折ひょいと草陰から顔を出した。

「この板の上を歩く限りは、彼らの気分を害すことはありません。間違っても、草を毟ったり地面に降りたりしようなどと思わないように」

 大地の全ては元来、野に生きるものたちのものであり、人獣も人間も間借りを許されて生活している。草木を尊び獣を敬い、決して蔑ろにしてはならない。これは、五島に降ろされた時に神から直に与えられたと伝えられる、ソル・カダヴェ全領に共通する最大の掟である。アウランティウムも当然聞き及んでいて、物珍しげに辺りを眺めこそすれ、植物にも手を触れず歩みを進めた。

 湿原を抜け、数日前に通ったような草地と畑を抜けると、丘陵の上にようやく、二階建ての石造の屋敷が現れた。見上げるウィリディスの眉間には、皺が刻まれたままだ。案の定ただ通り過ぎることなど許されるはずがなく、途中の宿で寄こされた手紙には、家への帰還命令が記されていた。受け取ってからもうずっとその調子なので、痕になるのではないか、とアウランティウムは秘かに危惧している。

 ウィリディスは木製のドアに掛かったノッカーを爪で引っかけ叩いた。返事と共に、タンチョウの使用人が顔を出す。

「東領の〝神の小鳥〟様、ようこそいらっしゃいました。ウィリディスお嬢様、お帰りなさいませ」


 恭しく一礼し中へと招き入れた。

「執務室へご案内いたします。お嬢様はその前にお召し替えを」

「はい」

 顔色一つ変えずに頷き自室に向かう彼女を見送ること十数分。戻ってきた姿に、アウランティウムの口がぽかっと開いた。

 背中の開いた袖なしの和服に袴姿で、どちらも黒地に緑の縁取りがされている。裾にも同色で幾何学的な模様が施してあるのが特徴的といえた。肩越しに畳まれた翼が覗き、両足も猛禽類のものに変化させている。翡翠の髪も丁寧に撫でつけられ、艶やかに翡翠の光沢を放っていた。普段の簡素で単純な麻の服を被った彼女からは想像つかないような整った姿だが、何より異彩を放っているのはその顔。黄金の瞳も人型の顔容も、額から垂れる漆黒の薄布で隠されていた。

「どうしました?」

 布の向こうから、確かにウィリディスの声が聞こえてくる。

「その、顔の布は」

 僅かに声を震わせて問うと、彼女は「あぁ」と呟いて、爪先で端をちょいとつついた。

「この顔を母が見ると泣き出されてしまうのです。父もいい顔をしないので、最も角が立たず物事をスムーズに運べる手段を兄と検討した結果、こうなりました」

 何か、と首を傾げられ、アウランティウムが口を結んで首を振る。タンチョウの使用人をチラリと見上げたが、さも当然のように頷かれたので、少年は喉元まで出かかった言葉をそっとしまって俯いた。

 二階の奥にある執務室は、アウランティウムが食堂で借りていた客室の三倍近い広さで、正面の大きな窓からはクシュオの丘陵と湿原が一望できた。両端の天井まで届く書棚には巻物が所狭しと詰められており、応接用の机にもいくつか広げられている有様である。

「旦那様、ご到着でございます」

 入って右奥の机で筆を執っていた白い鷲頭の人獣が、使用人の声に顔を上げる。

「ご苦労、下がれ」

 低く深い声に一礼し、少年少女の後ろで扉が閉まる。さて、と立ち上がった姿は人獣にしては大柄の二メートルほど。紺色の長着に薄氷色の袴を身につけ、濃茶色の翼は逞しく、前肢は太く鋭い鉤爪を備えている。真白の鷲の顔、厚めの嘴の上で、薄金とも薄緑とも見える瞳が鋭く少年を見据えていた。

「初にお目にかかる、東領の〝神の小鳥〟殿。クシュオ州司、グルスと申す」

「アウランティウムです。お招き、ありがとうございます。あの、ウィリディスさんにはとても助けられてて」

 片膝をついたグリフォニアの人獣はその台詞に片眉を跳ねると、軽く礼をして立ち上がった。

「それに使い道があったのなら、何より」

 それで、と応接椅子に腰掛け、少年にも席を勧める。

「央領の神獣にお会いになりたいと」

「はい」

「手紙が届いてすぐ、巫女を通じて面会の手配は整えた。だが、問うておきたいことがある」

 州司の鋭利な視線が少年に刺さる。

「何のために。それの手紙では『東領に戻る手段』とあったが」

「そのとおりです」

 膝の上で拳を二つ作って、アウランティウムは負けじと朱の瞳で見返した。

「港も空も、央領から東領に行くルートは多分押さえられています。知恵を、借りたいんです」

「それが、蹴散らせば済む話ではないか。活路を開く程度のこと、できずして用心棒とは片腹痛い」

 嘴を向けた先で、ウィリディスは佇んだまま沈黙を守っている。とはいえ薄布の奥で苦虫を大量に噛み潰したような顔をしていることは確かなので、少年は慌ててフォローに回った。

「僕も、できないとは思ってはいません。でも、体力を温存したまま、意表を突く何らかの方法で戻れるのなら、それに超したことはないです。僕の味方は、今のところ彼女だけだから」

「……ずいぶんと大袈裟な物言いをされる。〝神の小鳥〟であれば、協力者は引きも切らぬはずだが」

 探るような視線に晒されて、アウランティウムの手が胸元の種に触れた、その時だった。

「旦那様、奥様とキュルテル様がお呼びです」

「……行こう」

 ため息一つを机上に残し、執務室の扉に手をかける。ふと振り返り、アウランティウムの背中に声をかけた。

「せっかくだ、来るが良い」

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