1-4 初夏月/九日月②
中庭に出たついでに、と、ウィリディスは納戸の藁を全て外に運び出した。当然のようにアウランティウムにも手伝わせ、布の上に山と積んで日干しする。
「……これが、ウィリディスの布団……?」
「えぇ。今は少し湿気気味ですが、乾くと大変柔らかくふかふかで気持ちが良いんです」
借りものの服にくっついた藁を摘まみ、ウィリディスの寝ていたソファの近くに同じものが落ちていたことを思い出して、アウランティウムはくすりと笑う。目敏く視線を寄こした彼女に手を振って誤魔化し、少年は天を仰いだ。涙の出るほど目に染みる蒼天を、最後に仰ぎ見たのはいつだったか。晴天無風の汗ばむ陽気は、夏季の訪れを告げていた。
と、突然ウィリディスに背中を押され、アウランティウムは藁の中にダイブした。
「ぶ!?」
「黙って」
上からこれでもかと藁を被せ、姿を隠したちょうどその時、店脇の小道に複数の影が姿を現した。持ち手付きの桶いっぱいに井戸の水をたっぷり汲んだウィリディスの前に、背広に身を包んだ狸の人獣が三頭並ぶ。
「何用ですか」
「東領大使館の者です。ここに我が領の“神の小鳥”がいると聞きました。お引き渡しいただきたい」
夕べの料亭夫婦との会話の際、周辺にいた者たちを思い出す。主語を秘して慎重に話をしたが、情報に長けた者なら繋げればいずれ辿り着くだろう。落ち着いたら情報料をふんだくることを心に決め、表向きは心底呆れたような顔をする。
「そのような高貴な方が、他領のこのような場所にいると思いますか?」
「我々も疑いたくはないのですが、何せ情報が多数入っておりまして」
東領の港で“神の小鳥”が雌の半人獣に央領へと連れ去られた。犯人は翼と猫の手を持ち、翡翠の髪と金の瞳を持った娘である。
「東領の港からの通報です。チーシェで情報を集めると、貴女が浮上しました」
「……なるほど」
その手で来たか、と波打つ桶の水面に目を落とす。
「私からも一つ聞きたいことがあるのですが」
「こちらの要求が先です」
「返答次第です」
「……我々には、央領の警察と連携し貴女を強制的に連行する、という手段もあるのですが」
ウィリディスは無言で片腕を伸ばすと、わざとらしく時間をかけて、井戸の上に桶をかざした。
「やってみますか?」
「……まさか」
「この桶、なかなか重量がありまして。……ぶつかったら、どうなるでしょうね?」
「そ、そこにいるのですか!?」
「アウランティウム殿!?」
「か、“神の小鳥”になんという……!」
青ざめて騒ぎ出した狸たちが、ウィリディスの一睨みで口を噤む。
「質問に、答えていただけますね? 私の腕が、痺れる前に」
夢中で縦に首を振る狸三匹。山盛りの藁がわずかに動いたが、幸い彼らには気づかれていないようだった。
「アウランティウムの保護獣が殺され、彼自身もその犯人に追われている、という話をこちらは得ていますが、そちらはどのように動いているのですか? それこそ、“神の小鳥”の生命の危機かと思いますが」
まさか知らないなんてことは、ありませんよね? そう問うたウィリディスが見たのは、本気で困惑している狸たちの姿だった。
「確かに、“神の小鳥”の初代は敗れました。けれど、それが何か?」
「……は?」
思わず桶を取り落としそうになって、慌てて踏ん張る。それを苛立ちと勘違いしたのか、狸たちは争うように語り出した。
「“神の小鳥”の守護獣は常に強い者が担うものです」
「初代は次代より弱かった。それだけのことです」
「大丈夫です、次代は力もあり配下も多く、人望があります」
「“神の小鳥”に生命の危機など、万に一つもありませんとも」
「次代は彼の行方を案じて今も探されています」
「我々は一刻も早く“神の小鳥”にご帰還いただかなければならないのです」
思わず額を押さえたウィリディスである。何かが激しく食い違っているのだが、どう整理をつければ良いのかわからない。
「ウィリディス、もう良いです」
もごもごと藁が動いて喋ったのは、その時だった。桶を置いた彼女の手を借りて、橙色の癖のある髪が現れる。藁を掻き分け抜け出した少年は、呆気にとられている狸たちにぺこりと頭を下げた。
「ご心配を、おかけしました」
「あ、アウランティウム殿……!」
近寄りかけた三頭の前に、拳が差し出される。
「近寄らないで下さい」
拳の端から細い革紐が垂れ下がっている。ウィリディスにも見覚えのあるそれが何か、狸たちは正確にわかったらしい。青ざめてピタリと止まった。
「そ、“それ”をどうなさるつもりですか」
両の前肢をあわあわと動かして、忙しなく尻尾を振る。
「貴方たちの返答次第です」
少し緩めた拳の隙間から、点滅する橙色の光が覗く。先程まで彼の胸の上で輝いていた光だ。
「まず、彼女に対する誤解を解いて下さい。僕がお願いして、央領に連れてきてもらったんです」
ウィリディスが一つ瞬きをして、しかし何も言わずに見守る。
「な、何故です」
「僕は、あの者を守護獣とは認めません。だから、少しでも彼から離れたくて、東領を出ました。彼女はただ僕の願いを聞いてくれただけです」
「……ですが、次代を別の者が倒さぬ限り、貴方の守護獣は次代です」
「それなら」
アウランティウムは至極当然のようにそれを述べた。
「ウィリディスが昨日倒しましたが」
「……は?」
今まさに欠伸すらしかけていた少女が、そのままの顔で固まる。噴き出しかけたのを堪えて、少年は丁寧に教えてやった。
「昨日君が倒したあの灰色が、次代です」
「……正気ですか?」
昨日の戦闘を振り返り、先程の狸たちの台詞を反芻して、彼女は思わず呟いていた。
「東領は秀でた人獣に欠いているのですか?」
「いえ、昨日は少し事情が異なっていたので、仕方がないと言えば仕方がない、というか」
「あああアウランティウム殿!」
ひそひそ声で交わされるやりとりを、悲鳴が遮る。三頭が三頭とも真っ青になり、ぱくぱくと口を開け閉めしていた。
「まさか、まさかと思いますが、妙なことを考えてはおりませんな!?」
「だとしたら?」
ぐい、と“神の種”を握った拳を突き出して、彼は三頭に対峙する。
「僕は近いうちに必ず、東領に帰ります。東領に帰って、ちゃんとこれが芽吹くための旅をします。それは、約束します。だから、それで良しとしてくれませんか」
「……ですが、これは東領の沽券に関わることです! 何よりそのみすぼらしいクアル」
「それ以上」
冷ややかな声が言葉を封じる。頭上に拳を振りかぶって、少年は大使館の者たちを睨みつけた。
「それ以上言えば、僕はこれを投げ捨てます」
それが何を意味するのか、わからないのはこの場でウィリディスだけである。しかし黙って腕を組んだのが圧力に輪をかけたらしく、三頭は竦み上がって頷いた。
「わかりました。今は、お心のままに。けれど、東領に戻られたら、必ず選び直していただきます」
「わかっていただけて何よりです」
一転微笑むと、アウランティウムは拳を開き、紐をとって首にかける。種は元通り少年の胸元で、呆れたと言わんばかりにチッカチッカと光った。




