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アウランティウムの旅日記  作者: 燈真
序章 幻獣もどきと〝神の小鳥〟
3/32

1-2 初夏月/上弦②

 駆け寄ってきた亀の船員に通行許可書を渡し、事情を話して深々と頭を下げる。一.五倍の船賃を払って納得してもらうと、ウィリディスはようやく一息ついて、少年の横へと腰を下ろした。鷲の翼も足も消え、猫にしか見えない少女の手を、少年がまじまじと見る。

「君は、何の半人獣なの……?」

 ともすれば触ってきそうな彼の、うっかり出たような素の問いかけに、少女は明日の天気でも教えるかのように返した。

「グリフォニアです」

「ぐ……!?」

 かつて幻獣と呼ばれ、今も純粋な獣の姿は誰も見たことがないという。人獣も央領の一部にのみ生息する希少種で、クシュオの州司はグリフォニアの人獣が務めていたはずである。

「世界は、広いなぁ……」

 しみじみと呟いて甲板の手すりに背を預け、少年は深く息を吐く。ウィリディスが船員からもらってきた水と丸薬を口にすると、少年は甲板の隅に蹲り、やがて静かな寝息を立て始めた。

「名前を、聞き損ねましたね……」

 隣に片膝を立てて座り、フードの端を少し持ち上げる。しっとりと濡れたそれに眉を顰めると、まずフードを取った。橙色の柔らかな髪がはらりと頬にかかる。首の後ろで括った髪が、甲板の上に力なく流れた。あどけなさすら感じる顔立ちは、おそらくウィリディスより若い。胸元の留め具を慎重に外し、起こさないようにめくったウィリディスの目に、“それ”は飛び込んできた。咄嗟に手を離し、手すりの向こう、海中から僅かに頭を出している夕日に目をやって、もう一度そっとめくってみる。

 胸元から零れた革紐の先、小さな小さな鳥籠の中で、橙色の種が柔らかな光を放っていた。まるで少年の鼓動と繋がっているかのように、緩やかに点滅している。

 ウィリディスの唇から、深い深いため息が零れた。ゆっくり身体を持ち上げ古布を取り去ると、借り物の乾いた大きな布で丁寧に包み直す。手足を使って古布を絞ると、甲板の上を雨水が伝っていった。手すりに広げ、飛ばないように背で押さえながら、あぐらをかいて自分の後ろ頭を荒っぽくかき混ぜる。

 央領出身のウィリディスでも、東領を行き来する雇い主たちから何度も聞いて知っていた。東領に“神の小鳥”が産まれていること。順調に成長し、十五年経った今年、いよいよ“神の種”発芽のための旅に出たこと。曰く、その子どもは橙色の髪に朱色の瞳を持った少年で、名は──

「アウランティウム……!」

 西日が一際鋭い一閃を残し、海にとぷんと沈んでいった。


 三百年近く前のこと。激しい災害が次々に世界に喰らいつき、汚染物質を撒き散らし、多くの土地と生命が死に絶えた。

 見かねた神は初めて自ら救いの手を差し伸べて、小さな五つの島に生き残った動物たちを降ろした。そして五人の“神の小鳥”が遣わされ、“神の種”をそれぞれの島に植えたという。種はたちまち大樹へと育ち、周囲の瘴気はたちどころに浄化され、草木は芽吹き動物は子を産めるようになった。

 “神の小鳥”が遣わされ、“神の種”を植える度に、死にかけた島が少しずつ再生されていく。暮らせる土地が増えていく。それはあらゆる動物にとっての希望であり、期待である。

『故に、“神の小鳥”は何よりも貴いものとして、慈しまれ守られるべき存在なのですよ』

 ウィリディスの学びの師である梟の人獣の言葉が蘇る。けれど、今、客室のベッドで冬の月光のような顔色で昏々と眠る少年は、とてもそんな真綿に包まれた存在には見えない。

 結局、船が央領の港に着いても少年は目を覚まさなかった。幸いウィリディスの根城は港から遠くなく、とりあえずは、と彼を担ぎひとっ飛びして帰ってきたのだ。裏口から入り主人に事情を話し、客室と衣類を借りて簡単に身体を浄めてやり、ベッドに放り込んだのが先程のこと。もう何度目かも知れないため息をその鼻先に落とすと、ウィリディスはそっと部屋を出て階段を降りていった。

 一階にはカウンターにいる白熊の夫婦の他、数名の人獣たちが丸テーブルを囲んでいるばかり。迷わずカウンター席に腰掛けると、ウィリディスは深々と頭を下げた。

「部屋を貸して下さって、ありがとうございます」

「たまたま空いていたからな。お前にツケといてやるから安心しろ」

 店主手製の大ぶり野菜たっぷりのポトフを前に、ウィリディスの頬が軽く引き攣る。それでも無言で食べ始める彼女に、今度は女将が顔を寄せてきた。

「それで、どうするんだい」

 どう、が示す先は決まっている。央領にある東領大使館に彼を連れて行くかどうか、だ。

「……行かないわけには、いかないでしょう」

 野菜の味が染みたスープを飲み干して、小声で唸る。あの少年は東領の宝だ。下手をすれば領交問題に発展することくらい、ウィリディスにもわかる。本当は港から直接行きたかったくらいだったのだ。それをしなかった理由は、一つだけ。

「ですが、まずは本人の意志を問います」

 警察という領下機関に頼ることができない、と彼は確かに言った。ならば、同じ領下機関である大使館についても慎重になるべきだ、と、用心棒の直感が告げていた。

「そうかい。ま、うちに火の粉が降りかかる前に片付けておくれよ」

「無論です」

 肩を竦めた女将にしかと頷くと、ウィリディスは普段使いとは別の布財布を取り出した。

「ご主人、これ、今回の報酬のお渡し分です」

「ご苦労」

 滑らせた金板一枚を、大きな熊の手が器用に掬い取っていく。用心棒への繋ぎも請け負うこの酒場兼料理屋に、家を出たウィリディスが転がり込んで三、四年が経つ。半人獣の彼女が用心棒に就けているのは紛れもなく主人のおかげで、仕事だけでなく食住まで面倒を見てもらっているものだから完全に頭が上がらない。安定してからは報酬を少し多めに渡しているが、遠慮なく受け取ってくれるのがありがたかった。

 ごちそうさまでした、と手を合わせると、ウィリディスは裏口の戸を出、中庭の井戸と湯場を往復し、さっさと行水を済ませた。頭を拭きもせず隅に建つ納戸に入ると、棚の上に荷物諸々を放り投げ、積んである干し草の山に俯せに倒れ込む。匂いを思い切り吸い込み、身体中の空気をすっかり吐ききると、名残惜しげにぐりぐりと顔を埋めた。前髪に干し草の欠片をいくつもひっつけながら起き上がると、再び納戸から店の裏口に戻り、階段を上がって客室の扉を叩く。返事がないのを確かめ足音を立てずに中に入り、少年の様子をちらと伺うと、それから傍のソファにごろりと転がり、ウィリディスもようやく瞼を落としたのだった。

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