4-4 晩夏月/朔
人間保護センターは、絶滅危惧種である人間の保護・繁殖・教育を目的に作られた施設で、広大な敷地の中に運動施設や教育施設、繁殖施設、研究施設、医療施設が一通り備わっている。センター外での居住は保護獣の保護が必須であり、基礎教育を終了した若い人間が、知見を広めるという理由で保護獣のもとで暮らし、戻ってきて番となり子を産み育てるケースもある。そちらの方が産まれる子どもの生存率や知育に良いとのことで、最近では施設外学習の必須化が真剣に議論されているほどだという。
とはいえ、人獣の世界において、人間は驚くほどに脆い。怪我を負いやすく、病にかかりやすく、死にやすい。東領の保護センターには現在五千人ほどが収容されており、手厚い保護を受けながら日々を生きている。
そんな人間と顔かたちが似ている半人獣のウィリディスが、よりによって“神の小鳥”の情報提供を求めてきたとあって、受付に座るパンダの人獣はひどく渋面を示した。
「〝神の小鳥〟に関する情報は機密中の機密です。一般の方にお知らせするわけにはいきません」
「それが守護獣であっても、ですか」
「現在〝神の小鳥〟の守護獣は別の者と聞いております」
ウィリディスの目が剣呑な光を宿す。
「……その『別の者』が守護獣であるという証拠は」
沈黙で応じるパンダの前に、バレンスが並び立つ。
「失礼。施設長に『バレンスが来た』と繋いでいただきたいのだが」
「バレンス殿、ですか。少々お待ち下さい」
受付を若いもう一頭に任せて離席した彼女は、少しするといささか緊張した面持ちで駆け戻ってきた。
「お会いになるそうです。……バレンス殿のみで」
ウィリディスの猫の両腕の毛がぶわりと逆立った。低い唸り声を聞いても、受付嬢はその言葉を覆そうとはしない。
「……ふむ」
その様子を見下ろしながら顎を撫でたバレンスに、ウィリディスの地を這うような声がかかる。
「バレンス、どうぞ、行ってきて下さい。私の代わりに、色々聞いてきていただけると」
「……お前はどうする」
本気の懸念が宿った声音に、ウィリディスは目を閉じて幾度か深呼吸をする。やがて開いた瞳をカウンターに落として、爪先でトンと叩いた。
「この『一般見学』をさせていただきます。こちらに制限はないようですから」
「こちらが就寝棟になります。現在は四人一部屋で、部屋割りは性格や相性を鑑みて組まれていて……」
「こちらが学舎になります。子どもから年配者まで、誰もがあらゆる学びを受けることができます。指導員は人獣だけでなく、その道に長けた人間が担うこともあり……」
「こちらが運動施設です。水泳から陸上まで、一日に一度、運動の時間を設けており……」
「こちらが繁殖棟になります。お見合いの年齢に達した男女がこちらで共に生活を行い、相性が良いと双方が判断したら……」
「こちらが作業棟になります。興味のある仕事を選び、腕を磨く場です。こちらで作成されたものは外の市場に出回り、良い品ですと……」
パンダの係員が丁寧に案内するその後を、ウィリディスは慎重についていった。見学に来た人獣が誤って人間を傷つけることがないよう、敷地内は柵や硝子で仕切りが設けられている。様々な服を着た人間たちが老若男女問わずあちこちで活動しており、聞けば個性を尊重するため髪型や服装などは自由にしているのだという。
「そういった中からセンスというものが生まれ、人間ならではの繊細な感性と技術に繋がっていくのです。私たちの仕事は、そうした人間の技術、芸術も含めて保護をしていくことなんです」
力説する彼女をを前に、なるほど、とウィリディスは腕を組んだ。脳裏に、昨日別れたばかりの女性や、央領の実家にいる彫刻家の男性の姿が蘇る。ドゥルキィの名を出すと、係員の雌パンダはその顔を輝かせた。
「ドゥルキィに会ったんですね! 彼女の料理のセンスは抜群でしょう? こちらでも早いうちからその才能を開花しまして、州司様の目に留まったんですよ」
「……アウランティウムは」
呟いたその言葉に、ふと係員が押し黙る。
「アウランティウムは、旅に出る前、どんな生活をしていたのですか」
「〝神の小鳥〟は領の希望です。一般の人間とは異なる生育環境にあった、とだけ」
それ以上は機密事項です。
型にはまった言葉は冷えた温度でウィリディスの前に落ちる。
「医療施設を拝見したいのですが」
「申し訳ございません。見学ルートに入ってはおりませんので」
視界の隅に、紺服をまとった体格の良い狼の人獣の姿を認める。視線を転じればあちらこちらに同様の服装の虎やチーターの姿があり、皆警備員だと知れた。それが、先ほどから代わる代わる、こちらに視線を送っている。ため息をつくと、彼女は先を促した。
食堂では決まった人数が一同に集まって食事を摂っていた。主菜副菜などいくつか選べるようになっており、体質への配慮もされているという。料理は人獣だけでなく人間の料理人が作っており、味も保証されているとのことだった。
「では、食事の前に感謝の言葉を唱えましょう」
コアラの人獣が厳かに告げると、着席した人間が皆両手を組み頭を垂れる。合図と共に、その口から一斉に言葉が紡がれた。
「この食卓に感謝いたします。あらゆる自然の恵みに感謝いたします。東領の尊い獣たち、何より神獣様のご温情に、心より感謝いたします」
真摯な言葉が一糸乱れず食堂に満ち、余韻の消え去ったあとで、コアラの係員が「いただきましょう」と声をかけた。
「いただきます」
深々と頭を下げ、あとは思い思いに箸を動かす。ウィリディスは半ば感心して腕を組んだ。
「人獣でもこのようなことはしませんが」
「我々はこのような半端な姿ではありますが、心は獣です。人間は獣からは最も遠い存在ゆえ、日頃から感謝の念を抱くよう教えるのです」
チラリと視線を寄こされて、人間と同じ顔をした半人獣の娘は軽く肩を竦めた。そういえばドゥルキィもキュルテルも食卓を前にしばらく両手を組んでいたなと、今さらながら合点がいく。アウランティウムはどうだろう、と記憶を掘り返して、ウィリディスはふと首を傾げた。
「その感謝の言葉は、人間であれば誰でも唱えるのですよね?」
「もちろんです」
迷いの一切ない返答に、続けるはずの問いを呑み込む。なぜだか、問うてはならない気がしたのだ。
アウランティウムが両手を組んでいる姿、食卓を前に長く頭を垂れている姿など、ウィリディスは一度も見たことがなかった。
「〝神の小鳥〟の状態は安定していたようだ」
センターの出口で腕を組んで待っていたウィリディスは、バレンスの一言に安堵の息を吐いた。聞けば衰弱が激しく、目が覚めても回復できるまではセンターを出ることは許されなかったという。待ちかねたように飛び出していったのは、つい一昨日のことだった。
「ならば、急げば追いつく、ということですね」
深々と頷き、ウィリディスは目を細めてバレンスを見上げた。
「流石、アウランティウムの初代の守護獣。同行していただけて良かった」
「……気付いていたのか」
「アウランティウムが言っていました。最初の守護獣は、厳格で勇ましい月輪熊だった、と。私の知る東領の月輪熊は決して多くはありませんが、貴方や周りの反応を見ていれば、わかります」
目の前の月輪熊は束の間瞳を閉じて、ゆるりと首を振った。
「どれほどに武があろうが、義があろうが。今の己は、役目を追われた一介の戦士に過ぎぬ」
「アウランティウムは」
ほとんど反射のように、その名を口にする。
「貴方を慕っていました。生きていると知れば、喜びます。私も、貴方であれば」
勢い込んだウィリディスを、濃金色の鋭い眼差しが縫い止めた。言いしれぬ圧が、彼女を包む。
「今の守護獣は、お前だ。“神の小鳥”がそう定めた。軽々に『代わる』などと、口にするべきではない」
圧されて黙した彼女に、バレンスは重ねて告げた。
「〝神の小鳥〟を連れている者の狡猾さは、お前も知るとおり。むやみに追えば、二の舞を演じることとなる。考えることだ」
「……えぇ」
不承ながらも頷いて、ウィリディスはふと、先ほどの疑念をぶつけてみる気になった。
「バレンスは、人間たちの食事前の感謝の習慣を知っていますか」
「あぁ」
「〝神の小鳥〟は、例外なのですか」
「……何?」
月輪熊の濃金の瞳に、怪訝な色が宿る。その色を受け止めながら、ウィリディスは言葉を続ける。
「アウランティウムがその仕草をしたところを、私は一度も見たことがありません。故に〝神の小鳥〟ゆえと思ったのですが」
「それは、ありえぬ」
いやにきっぱりと、月輪熊は言い切った。
「〝神の小鳥〟こそ、感謝の念を表さねばならぬのだから。彼の者も、ここを出てからも食事の前は必ず手を合わせていたはずだが」
「しかし、ならばなぜ」
違和感に眉を寄せる彼女を前に、バレンスの表情が見る間に険しくなっていく。センターを足早に出ると、獣気のない場所へと誘導し、彼はウィリディスの名を呼んだ。
「お前が〝神の小鳥〟の様子に覚えた違和感は、それだけか」
有無を言わせぬ声音に、守護獣の顔も険しさを増す。促されるままに、ウィリディスはこれまでのことを一つ一つ、彼に打ち明けていった。
いよいよ佳境に入ってまいりましたが、今後、毎週の更新ができなくなるかもしれません。
申し訳ありませんが、気長にお付き合いいただければ幸いです。




