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アウランティウムの旅日記  作者: 燈真
第三章 〝神の小鳥〟と守護獣の真実
26/32

4-3 盛夏月/有明~晦

 同行を求む。その一言に、ウィリディスの目がパチリと瞬く。何か告げる前に、隣のドゥルキィが頓狂な声を上げた。

「えぇ、バレンスも!?」

「……すまない」

「ちょーっと、待ってて、ティニー、ティニーを呼んでくる!」

 バタバタと裏口から出て行った彼女の後ろ姿を見送って、ウィリディスは再び視線を彼へと向けた。

「……それは、私が東領の〝神の小鳥〟の守護獣であると知っての申し出ですか」

「無論」

「目的を伺っても?」

 机と椅子の位置を目の端で確かめながら問う。鋭さの増した半人獣の眼差しに、月輪熊の人獣は冷静さを失わないそれを返した。

「決着をつけねばならぬ、相手がいる」

 一つの確固たる事実のみを告げる、淡々とした応えだった。受け取ったウィリディスの方が、少し驚いたほどに。猫の両腕を組んで、低く唸る。

「私と共に行けば、その相手に会えると?」

「あぁ」

「私は、アウランティウムが私を守護獣にと望む限り、彼の奪還を最優先とします」

「守護獣であれば当然の判断ゆえ、邪魔立てはせぬ」

 揺るがぬ声音に、眉間の皺が深くなった。

「利害は一致する、と?」

「そう言っている」

 猫の爪先で自身のこめかみを掻くと、内心の天秤を幾度か傾けた。悪くはない、が、もう一押しが欲しいところではある。その太い腕をこちらに振りかざさないという、確証が。

「もしもその決着をつけなければならない相手が、己の味方になりうると判断した時。一方で私にとって紛れもなく敵となる時。貴方はその腕を相手に向かって振るえますか」

 片目を眇めて見上げれば、月輪熊は瞑目ののち低く告げた。

「〝神の小鳥〟の本意に沿わぬことは、せぬ。守護獣と〝神の小鳥〟の意志が同じであれば、我が力も沿うものとなろう」

「……なるほど」

 左目にしばし肉球を当て、橙色の光の筋を睨む。揺るがぬ光の先に思いを馳せ、ウィリディスは頷いた。

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 出立を二日延ばせ、と叫んだテロミニーガは、その延びた二日の間に持てる限りの保存食を作りにかかった。ウィリディスとバレンスはその間ドゥルキィの頼みを受け、店や近所付き合いのある家の修繕を行ったり配達を請け負ったりしながら、合間に稽古を挟んで過ごしていた。バレンスは村の自警団にも顔を出していたようで、挨拶に赴けば若いヒョウやサイ、バイソンの人獣たちは彼の留守に寂しげな表情を浮かべ、代わる代わる最後の訓練をねだった。団長と思われる中年の虎の人獣にも頭を下げられ、月輪熊の戦士は頷いて団員たちを呼び寄せる。ウィリディスは近くの芝生に腰を下ろし、統率の取れた訓練の様子を興味深げに見物していた。聞けば、この中の数名は東領の中央警察機関に採用され、近々州司のいる街に招集されるという。

「皆、動きが洗練されている。村の治安も良くなった。バレンス殿が基礎を叩き込んでくれたおかげだ」

 誰にともなく呟いた団長の声は寂しげで、半人獣の娘は改めて、団員たちの間を動き回るバレンスを眺めた。

 ウィリディスよりも一月以上前に村に流れ着いたというが、村を見渡しても彼を慕う者は多い。クンナシュ州の外れとはいえ〝樹〟の恩恵を受けた土地だ、山間の空気は清らかで、村の雰囲気ものどかで緩やかである。テロミニーガとドゥルキィの師弟の家は温かく、不足など何もないように見える。彼が村のために働く限り、彼の居場所はここにあるはずだ。彼自身も厭うている様子には見えない。それでも、出て行くのだという。

「ウィリディス」

 己の名を呼ぶ低い声に、ウィリディスははたりと目を瞬いた。見れば当の本獣がまっすぐこちらを見つめている。

「模擬戦をする。相手役を頼む」

「……私が、ですか」

 思わず問い返せば、同じ疑問を抱えた数々の人獣の目がこちらを凝視する。あからさまに寄こされるいくつかの侮蔑の眼差しに、今回ばかりは心底同意したが、バレンスの声は揺るがない。

「敵を侮ればどのような目に遭うか、叩き込んでおく必要がある」

「……なるほど」

 ひょいと立ち上がるとぐるりと腕を回し、手首足首を軽くほぐして、月輪熊に問いかける。

「徹底的に我流でやりますが、それでも?」

「構わん」

「ならば」

 向かう足取りは軽く、しかし徐々に速くなる。小柄な身体をグンと沈め、あっという間に一頭に迫ると、いまだ蔑みの情を残していたその顔を下から殴りあげた。悲鳴を上げて仰け反った腹に肘を入れると、隣の一頭の腰目がけて蹴りを見舞う。崩れた首の後ろを殴った時には次の標的に目を向けており、その喉がヒクリと鳴ったのを見逃さずに捕らえる。

「怯むな!」

 バレンスの鋭い声が空気を裂き、泡を食ったように団員たちが動き出す。三頭を落としたウィリディスの周りに、徐々に円が生まれていく。

「これは、どちらの訓練になるんですかね」

 動きの鈍い者に次々と狙いを定めながら、彼女は独りごちた。

 そうして、瞬く間に二日は過ぎていった。


 下げた麻袋にはテロミニーガ手製の保存食と、ドゥルキィ手製の昼飯。バレンスの背にも同じ物が入っている。膨れきったそれを揺らしながら、二頭は店の前で深々と頭を下げた。

「お世話になりました」

「数々の好意に感謝する」

「どういたしましてー」

 柔らかい声と共に、ドゥルキィが代わる代わる二頭を抱きしめる。

「ぜーんぶ終わったら、また遊びに来てちょうだいね。今度は、アウランティウムさんも一緒に」

「はい、必ず」

「バレンスも、いつでーも戻っていらっしゃい」

「……かたじけない」

 テロミニーガは保存食の注意事項を一通りまくしたてたあと、小さな身体をふんぞり返らせて言い放った。

「いいか、次に来るときは薬膳など出さんからな! 怪我して戻ってくんじゃねーぞ!」

「はい!」

「心得た」

 背中を叩かれた勢いに押されるように、二頭は踵を返し、旅立った。村の外れで一度足を止める。

「バレンスは、人間保護センターに行ったことは?」

「ある」

「頼もしいです」

 ウィリディスの左目は依然として、橙色の細い光による彼の足跡をとらえている。背中の鷲の翼が大きく広がった。獅子の腕をぐるりと回し、隣の巨体を見上げる。

「可能な限り、速く。構いませんか?」

 低い唸り声が返ってくる。漆黒の体躯が屈むなり、四つ足の獣の姿を取る。月輪熊は太い前肢で軽く地を掻いて告げた。

「構わん」

「では」

 鷲の鉤爪が、熊の前肢が、鋭く地を蹴る。片や空へ、片や陸を、二頭は同時にかけだした。

 

 霊峰フーシアの頂を南に眺めながら、西に駆ける。小休憩を挟み昼食を腹に入れ、落ちてゆく日に目を細めながら翼を駆るうちに、二頭の視界に大きな施設の黒い影が姿を現した。東領の中央に位置し、最も大きな州・シャンヌ。そのさらに中央に佇む石造の施設は、辺りをぐるりと塀で囲い、中への容易な立入を阻んでいる。目視したウィリディスが、大きな舌打ちをした。

「駄目ですね、移動した痕跡が見えます。アウランティウムはもう、ここにはいない」

「遅かったか」

 とはいえ、もう辺りは夜闇に浸りつつある。今日は宿を取るしかあるまい、と着地した彼女を、人獣の姿に戻った月輪熊が手招いた。

「こちらに馴染みの宿がある」

「それはありがたい」

 並んで歩きながら、黒々とそびえる塀を見上げる。バレンスが跳び上がっても決して届かない高さで、その上には鋭く尖った棘のようなものがずらりと並んでいる。

 アウランティウムが生まれ育ち、少し前まで横たわっていたはずの場所。

「バレンス」

 声をかけると、濃金の瞳がじろりと見下ろしてきた。その視線を返事と受け取り、センターの入口を指し示す。

「半日だけ私に時間をください。明日、あちらに立ち寄ってみます。ここを出るまでの、アウランティウムの様子を知りたい」


* * *


盛夏月/晦


 アイツは今日も機嫌が悪い。

 昨日ようやくセンターを出たことが、よほど気にくわないらしい。本当は、僕が目覚めたらすぐにでも動こうと思っていたのだろう。

 ……それ以前に、自分が守護獣になれないことが不満なんだ。僕が、頑なに断るから。

 ウィリディスは逃げたのだ、と、アイツは言う。アイツに負け、僕を置いて、守護獣なんてやってられるかと、逃げ出したのだと。

 そんなわけがない。ウィリディスはそんなことをしない。一月ほどの付き合いだけれど、そのくらいはわかる。だってウィリディスは央領で、東領のあらゆるものから、僕を守ってくれたのだから。守護獣である前に用心棒であるウィリディスが、保護対象を放り出して逃げるはずがない。

 だから、僕はアイツを認めない。守護獣になれないアイツがクントに入るのは不可能だ。だから、アイツは最後には、きっとウィリディスを待ち受ける。

 僕がアイツのところにいるということは、アイツがウィリディスに何らかの危害を加えた可能性がある。それだけが、心配だ。どうか、どうか、無事でいてほしい。無事ならば、ウィリディスなら絶対、橙の道を追って必ず僕を見つけてくれる。

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― 新着の感想 ―
[一言] バレンスさんの安定感(*ノωノ) 決着。そうだよね。正々堂々真正面から決着つけてやりましょう、バレンスさん! 囚われの姫(違う)がとりあえず無事でなによりだけど…早く追いつけますように…!
[一言] アウラが大丈夫そうでちょっとほっとした。 因縁の相手ともう少しで対峙できるはず!
[良い点] よっし! 色々と準備万端で……今度こそ!
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