2-8 初夏月/寝待③
トンと頂を蹴り、翼を広げながら湖へと空を駆ける。その後ろをウィリディスが続いた。青の上を優雅に翔て、小島へと降り立つ。“原初の五樹”はその枝振りも逞しく、蒼天を黄金の葉で飾る。アウランティウムを背から降ろしたペガスシアの巫女は、二人に跪拝を命じた。従ったのを確かめ、甲高く鳴く。大樹の根元がゆらりと揺れ、見る間に影が現れ、一つの形を作りあげ、色が乗った。
全身に淡い黄金を纏い、鹿を馬ほどに大きくしたような体躯は鱗に覆われている。顔は龍に似て、逞しい角と長い髭の間、黄金の瞳が鋭く輝いていた。鬣は光の加減で淡い五色に色を変え、尾はふさふさと長い。
央領の神獣、麒麟。
ペガスシアの巫女が麒麟に近寄り、翼を畳んで足元に身を屈め、額ずく。大儀そうに頷くと、麒麟は彼女の向きを来訪者二人の方へと変えさせ、その額に片方の前肢を乗せた。巫女の瞳が藍から黄金に変わる。
「……この地を踏み、我に拝謁することを許しましょう。東領の“神の小鳥”。我が地を乱す者よ」
キオネの声でありながら、その声音には威厳が満ち、ただの人間であるアウランティウムを圧する。
「そこの憐れな者を守り手としましたか」
ウィリディスを一瞥して告げられたそれに、二人の間に緊張が走る。
「“神の小鳥”の役目はその種を芽吹かせること。その役目を果たせるのであれば、守り手が誰かなど些細なことです。その憐れな者が守り手であることで東領の“神の小鳥”が速やかにこの地を去り己が役目に準ずるのであれば、我に異はありません」
ほ、とどちらともなく息が零れる。しかし、続いた言葉に二人は思わず目を剥いた。
「すぐさま東領に戻る手段ならば、我らの道を使うことを許します。さすれば瞬く間に東領の霊峰に至るでしょう」
辛うじて悲鳴をあげるような醜態は避けられたが、代わりに首筋からどっと汗が噴き出る。息を整え、震える声で応えた。
「……寛大な御心に、感謝申し上げます」
「では、あとのことは巫女に」
重圧がふと消える。顔を上げた二人の前には最早金色の神獣はおらず、元の藍色の瞳に戻った天馬の巫女が苦笑と共に立っていた。
「よほど貴方に長居をして欲しくないようです」
「『地を乱す者』だからですか」
天馬も一度だけ、アウランティウムをして「異物」と呼んだけれど、神獣からはその忌避感がより強くうかがえた。
「あまり長居をされると、土地が惑うのです。もしや我らが領の“神の小鳥”なのではないかと。そうなれば、真の“央領の神の小鳥”の誕生に支障が出るかもしれません。領の自然の摂理に影響することを、神獣はことに嫌いますから」
そして、二人に起立を促すと、大樹の根元へと導く。
「では、神獣の言のとおり、東領まで送りましょう。“神の小鳥”は我が背に。クシュオの娘も、特別に背に乗ることを許しましょう。……この先は、我ら巫女しか道行きを知らぬ場所なれば」
アウランティウムを先に背に乗せ、ウィリディスも鷲の翼と足を引っ込めると軽々と飛んで後ろに納まる。二人と一獣の目の前で、大樹の根元に大きな洞が開いた。
「参ります」
一声告げるなり、天馬の巫女は躊躇いもせずにその洞に飛び込んだ。
帰る。アウランティウムは胸の種を握りしめる。
東領へ、本来の旅へ、帰る。
頼もしい味方一人を伴なって。
贖罪の旅へ、帰るのだ。
来週、再来週は更新をお休みさせていただきます。次回の更新は1月9日の予定ですが、16日になったらすみません……!