2-3 初夏月/立待③
一緒に話を聞きたがるキュルテルを夫人が説得して自室に引き上げ、州司がアウランティウムを再度執務室に連れて行く。ウィリディスはフォルガの部屋で椅子に座らされ、使用人が用意したホットミルクを飲みながら、これまでの経緯を洗いざらい話した。終始腕を組み聞いていた兄は、なるほどなぁ、と頷いて、薄布を取り顕わになっているウィリディスの顔を眺める。
「奇形の半人獣ながら、流石は我ら誇り高きグリフォニアの血筋だな。兄として、お前の行動を誇るよ」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げた妹の顔は晴れない。
「しかし、お前が守護獣か」
「兄上は、守護獣がどのようなものか、ご存知なのですか?」
「ま、跡取りだからな。もしも今、央領に〝神の小鳥〟が現れたら、俺は守護獣に名乗りを上げるだろうよ」
当たり前のように告げられたそれに、ウィリディスの目が丸くなる。その立場に兄がいることに、今までちっとも思い至らなかった。それ故に、今になって父の命令が現実味を帯びてくる。
「……兄上は、父上の命令に従うのですか」
「お前の話を聞けば聞くほど、父上の判断は妥当だと思うよ。だが、〝神の小鳥〟がお前を守護獣に指名してしまったからなぁ」
今頃執務室で何を話しているのやら。部屋がある方向を見やって呟くと、うなだれる妹にミルクのおかわりを注いでやる。
「で、ウィリディス。お前はどうする。受けるのか?」
「私は」
両手で持ったコップの中で、ミルクがゆらゆらと揺れる。
「彼を大使館に連れて行くことは反対です。あの時、職員たちを命を盾にしてまで拒んだ彼は異常です。前の守護獣から身を守るためという、それだけではないような何かを、抱えています。だから私は、ここまで彼を連れてきました」
少年を守りながら、東領の人間保護センターまで送り届ける。ウィリディスが覚悟を持って決めたことだ。それだけは違えない。けれど。
「守護獣になるとなれば、話は別です。いくら私でも、他領の者が守護獣になることの危うさくらいわかります。ましてや私は半人獣です。アウランティウムにとって、リスクでしかない。狂気の沙汰ですよ」
コップを粉砕しそうなほどの力で握る。その様を他人事と愉快げに眺めると、フォルガは耳に嘴を寄せそっと囁いた。
「でもな、ウィリィ、知っているだろう? 〝神の小鳥〟に最後まで付き添った守護獣は、何でも願いを叶えてもらえるんだぞ? 例えば、俺たちと同じ人獣にしてくれと願うこともできる。母上も父上もさぞ喜ぶのではないか?」
他でもない己の兄からの言葉は、甘く柔らかくウィリディスの心を包み込む。
想像する。人獣となった自分を。薄く緑がかった羽毛に、兄と同じ黄金の瞳。がっしりした猛禽類の前肢に、薄黄金の堂々たる獅子の後肢。獅子の尻尾を一振りし、濃茶の鷲の翼を広げてこのクシュオの空を翔るのだ。
『ウィリディス』
母が呼んで微笑む。
『ウィリディス、フォルガの支えとなれ』
父が重く頷く。幼い頃から兄に憧れ、いずれ州司を継ぐ彼の力になりたいと一心に願っていた。
想像する。それら全てが叶う、将来を。
それはとても、とても――
「反吐が出るほど気味が悪いですね」
淡泊に切り捨てた言葉の端に、堪えきれない怒気があった。
「私はこれでも、この家族を誇りに思っています。私が奇形のなり損ない故に疎まれ、その末に家を出たことは事実ですが、兄上も母上も父上も誇り高きグリフォニアの人獣であり、偉大なる州司の一家であることもまた事実です。それが、たかだか外見が変わった程度で私を受け入れるんですか? それが本当なら、私はこの家に失望しますよ」
馬鹿にしないで下さい。冷淡に吐き捨てられたその一言に、兄の目が丸くなる。
「私は、私です。奇形種半人獣のウィリディスとして、家族の重荷にならずとも生きていくために、戦う術、守る術を叩き込みました。今さら、妙な恩恵など受けるつもりはありません」
私は私として、生きていく覚悟があります。
憮然とした表情のまま言い切ったその言葉を、フォルガはそれは楽しそうに受け止めて。
「本当に惜しいよ。どうしてお前は、人獣として生まれなかったんだろうな」
心から称賛を込めてウィリディスの頭をかいぐった。そして、ふと表情を改めて呟いた。
「なるほど、これが、あの〝神の小鳥〟が指命した理由か」
「兄上?」
「いや。良い妹を持ったなと感じ入っていたところさ。――ここ数日護衛しっぱなしで疲れたろう? とりあえず、今日はもう休みなさい」
釈然としない顔をしながらも、就寝の挨拶をして部屋を去る半人獣の妹。その後ろ姿を見送りながら、フォルガはしみじみと呟いた。
「……本当に、皮肉な話だ」
執務室の応接席で、アウランティウムは今一度州司と対峙していた。己の息子に命を下した時とは異なり、グルスの表情は苦みに満ちている。深々とため息をついて、椅子の背にもたれ掛かる。
「そこまで、知らされたか」
「はい」
頷くアウランティウムの顔は、以前青白いままである。その口の端が少し持ち上がった。
「否定されないんですね」
「貴殿が央領の者であれば、しただろうな」
あっさりと言い放ち、州司は目を眇める。
「あれを指名したのは、〝知らない〟からか」
「それもあります」
こちらも正直に肯定する。
「僕は今、人獣という存在、特に守護獣になるような者たちを信用できません。誰の願いも叶えたくない。彼女は知らないながらも僕を助けてくれた。僕を守る覚悟を告げてくれた。充分です」
実際、チーシェからクシュオに来るまでの旅路はとても快適だった。彼に合わせた一日のペースを正確に示してくれる。危険がなく、かつ目立たない道のりを適切に判断し選択していく。野宿の日もあったが、常にアウランティウムの寝心地を優先してくれた。前代守護獣に連れ回された時は自由などなかったから、彼からしてみれば久方ぶりの、自身の意志、自分の足による旅だといえる。
「もし東領大使館に連れて行かれるなら、僕はキュルテルに全てを話します」
グルスの嘴が僅かに開く。
「キュルテルを保護下に置いたのは、彼が腕のある木彫師だから、ですよね」
「脅すか、私を」
「僕も必死なんです」
ランプの灯がジリ、と音を立てかけ、慌てて鳴りを潜める。
「……娘さんが、心配ですか」
「まさか」
返ってきたのは蔑むような笑い。
「あれをグリフォニアの一族と認めたことなど、一度もない」
「なら、彼女の命を僕にください」
仮に守護獣としての役目を全うしたのなら、それはこの家の手柄になり、東領への恩も売れる。一方、仮にし損じたところで、「あの半人獣が勝手にやったこと」と切り捨てればそれでお終い。
「悪い話では、ないはずです」
窮鼠のような必死さで訴えかける。グリフォニアの嘴の端に皮肉げな笑みが浮かんだ。
「東領の〝神の小鳥〟は交渉の仕方も教わるのだな」
黙り込んだ少年を前に、クシュオ州司は重々しく告げた。
「明日、巫女に話をつける。明後日にはマーシに出立できるよう取り計らおう。なるほど、神獣に会いに行く理由は、後ろ盾を得るためか」
「……はい。感謝いたします」
深々と頭を下げた彼の胸元で、橙色の種が息をつくかのようにゆるりと光った。
* * *
初夏月/立待
ウィリディスの家は州司だけあって広くて大きくて、見晴らしのとても良いところだった。ウィリディスが「偉大な父です」と言っていたとおり、グルスさんはとても厳めしくて堂々としていて、僕の繕った言い訳なんて簡単に見抜いてしまった。こちらの手札全てを使ってようやく認めてもらったけれど、あんな形でウィリディスに守護獣を頼むつもりではなかったから、どうやって彼女を説得しようか悩んでいる。
でも、守護獣は彼女だと決めたから。明日明後日で、なんとかしないと。
……グルスさんは全否定しそうだけれど、ウィリディスのあの性格、絶対グルスさんから受け継いだんだと思う。親子だなぁ。