9日目 憤る女
「……まったくなってない。なってないわ」
薄霧のかかる早朝の住宅街。
例の女は空き地の真ん中で憤っていた。
……チラチラと俺に視線を送りながら。
これは……何があったか聞いてくれということか。
実に面倒くさい。
面倒くさいにも関わらず、問わずばならないのが人付き合いというものだ。
「つまり何があったんだい?」
しゃあなしの俺の問いに、女は得意げな笑みを浮かべる。
「ダンゴムシ狩りにおいて、必要なものって何だと思う?」
……しかも質問に質問で返してきた。
これはガチで面倒くさいぞ。
「あー、なんだろ。集中力とか、そんな話?」
俺の言葉に、女は大してありもしない胸を張る。
「必要なのはダンゴムシとの適度な距離感……それが大人の向き合い方ってもんじゃないかしら」
言って指さした先には、ゴロゴロと乱雑にひっくり返された石ころ達。
「見て。最近、近所の子供が狩場を荒らすのよ。大人げないと思わない?」
「だって子供だし。そもそも虫採ったりするのは子供のすることじゃないか?」
「え……でも、大人でも昆虫採集が趣味って人、多いでしょ」
「そうだけど、ほとんどが男性じゃないかな」
「いいじゃない。男の趣味に理解がある女ってモテるんでしょ? こないだ神田うのが言ってたよ」
「……まさか男受けを狙ってダンゴムシ採ってたの!?」
もしそうなら一刻も早く止めた方がいい。
「そういうわけじゃないけど。婚活の一環とか言っとかないと、ばーちゃんがうるさいのよ。私だっていい年だし」
いい年って……こいつ本当は何歳なんだ。
初めて見たときは十代後半位かと思っていたが、精神年齢はもっと下の気もするし。
「いい年って……そんなの気にするような年齢には見えないけど」
「そんな簡単な話じゃないのよ。いい? 若ければ『若いのにブラブラして』って怒られるし、年を重ねたら『いい年してブラブラして』ってやっぱり怒られるの。女は若くても年をとっても文句を言われるのよ」
「……ひょっとしてだけど。それは『ブラブラしてる』ってところに苦言を呈されてるんじゃないだろうか」
「……」
……あ、なんか黙った。
可哀そうなので話題を変えよう。
「しばらくして夏本番になったら、子供たちもダンゴムシなんかに構ってないよ」
「どうしてさ」
「もっと採りがいのある虫が出てくるだろ。セミやカブトムシに比べたらダンゴムシはちょっと」
「カブトムシ出るの? クワガタも?」
女は途端に目を輝かせる。
「いや、この辺には出ないと思うけど」
「……あ、そう。いーよ、私は地を這う虫の専業で」
さっくりテンションが落ちた。
女はブツブツ呟きながら、ひっくり返された石を戻しだす。
こいつ、そんなに虫が好きだったのか。
がっかり具合が気の毒なので、俺は石を戻すのを手伝いだす。
「さっきの婚活の話じゃないけど。虫好きを前面に押し出したらモテるかもしれないよ。マニアックな趣味に理解のある女性は、相手からの需要は半端じゃないからね」
女は不本意そうな顔で俺を見る。
「私モテたいわけじゃないし」
「そうなの?」
「ばーちゃん怖いから、婚活してるふりしないと」
……働けばいいのに。
想いが顔に出たか。
女は俺の肩にポンと手を置く。
「社畜さんみたいに沢山働く人がいる。だから私も安心してブラブラ―――じゃなくて、フリーダムでいられるのよ」
「いや、俺が働いても君がブラブラしてるのは変わらないからね?」
くだらない話をしている内に、そろそろ電車の時間だ。
俺は手を払いながら立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ行くよ」
「行ってらっしゃい、社畜さん。私の為に頑張って働いてね」
しゃがんだままの恰好で手を振る女。
俺は手を振り返す。
さて、今日も一日働くか。
……この女の為じゃないけどな。