8日目 食う女
寝ぼけ眼をこすりながら駅に向かう道すがら。
今朝も女は空き地にいる。
立ったまま、両手で口元に何かを押し付けて―――
もさもさもさ……
何かを食っている。
あれは……ファミチキだ。
女は空き地の真ん中で、黄金色のカロリーの塊を食っている。
「ゲフンゲフン」
……あ、喉に詰まらせた。
俺は慌てて走り寄ると、カバンからお茶のペットボトルを取り出す。
「はい、これあげる」
ドンドンと胸を叩きながら、女はお茶を一気にあおる。
「ゴフッゴフッ」
今度はお茶にむせた。
色々と忙しい奴だ。
背中をトントンと叩いていると、ようやく落ち着いたのか。
女は息を吐きながらジャージで口元をぬぐう。
「ふはぁ……社畜さんのせいでひどい目にあった」
「俺のせいじゃないよね?」
こいつに恩とかいう言葉を教えたい。
「あの、社畜さん。これ」
恩知らず女は、なんか困ったように半分に減ったお茶を見る。
「私ファミチキ買っちゃって、お金持ってないんだけど」
「お金は別にいらないよ。お茶なら箱買いしてるし」
「え? 社畜さん、ヒルズ族……?」
「ヒルズ族ってむしろ箱買いしないんじゃない?」
そのお茶はドルマスの特典フィギュア欲しさに箱買いしたことは黙っておこう。
「だって、お茶なんて自分ちで淹れればいいじゃん。お茶や水を買うのは貴族だって、ばーちゃんが言ってたし」
Amazonでお茶を箱買いする貴族か。割と友達になれそうだ。
「つまり君……お金無いの?」
「はいっ!? 失礼ね、お金無いからお茶を買わないわけじゃないのよ」
「でも、飲み物無いと口の中パサパサになるじゃん」
「ほら……それは……とある貴族は、わざと食事を床にこぼして猫に与えたというわ」
ほう、なるほど。つまりそれは。
「ダンゴムシに餌をあげてるの?」
「もちろんそうよ。えっと確か……これがブレス・オブ・ファイヤって奴よ!」
「……ひょっとして高貴なる者の義務のことかい?」
「……」
俺のツッコミに、女はファミチキの油にテカらせた唇を尖らせる。
「ええ、日本語ではそうとも言うかもね」
「フランス語だけど」
女は聞かないふりをすると、お茶の残りをグイグイ飲む。
「ぷはーっ! はい、残りは返すよ」
「返さないで? しかも1cmだけ残して」
こいつ、返すふりしてペットボトルを俺に捨てさせる気だ。
「こんな美女の飲みかけとか、転売したらひと財産よ」
「買い手に届くころにはカビてそうだけど」
「……社畜さん、人を汚れの塊か何かと思ってる?」
「え、でもジャージとかあんまり洗って無いんでしょ?」
「はっ?! なんでそう思うの?」
「だって匂い―――」
言いかけて俺は口をとじる。
いくら虫を拾う女とはいえ、うら若き乙女である。
「……マ?」
女は自分の腕のにおいをクンクン嗅ぎ始める。
「いや……まあ……君から変な臭いはしないけど、毎日洗った方がいいんじゃないかなーと」
「やだなー社畜さん。毎日……洗っているに……決まってるじゃ……ない……ですか……」
なんかどんどん元気が無くなっていく娘さん。
……まずい。ちょっと言い過ぎた。
「えっと……大丈夫。変な臭いとかしないから」
「ホント? 臭わない?」
「大丈夫、逆にいい匂いするって」
「え……そこまでいくとキモイ」
「うわ、せっかくフォローしたのに。ホントのこと言っていい? 言うよ?」
「それは話が別だよ」
女はジャージの上着を脱ぐと腰に巻き付ける。
なんか近所の農業高校の女子がこんな感じだったな。
「いいからもう行きなさいって。はいはい、行ってらっしゃい社畜さん」
「分かったって。じゃ、行ってきます」
ちょっとセンシティブなところに踏み入り過ぎたか。
反省しながら駅に向かう俺の背中に、女の声が投げかけられる。
「明日は私、バラの香りしてるからね?! 絶対嗅ぎに来なさいね!」
……嗅ぐとか言うな。