××日目 水槽でダンゴムシとか飼ってる女の子が毎朝起こしてくれる話
「……ーい。おーい、起きて。もう朝だよー」
布団の上からポスポスと俺を叩く手の感触。
……もう朝か。
窓から入り込む太陽の光から隠れるように布団を頭まで被る。
「もう少し……もう少しだけ寝かせて……具体的には始業の30分前まで……」
「却下でーす。ちゃんと朝ごはん食べないと、お仕事には行かせられませーん」
女――改め嫁子さんは布団をめくって、俺の顔を覗き込んでくる。
「朝ごはんの支度出来てるから、起きて顔洗っといで」
「あと5分ほど……情状酌量を……」
「そんなこと言ってると、可愛い新妻に狩られちゃうぞー」
冗談めかしてそう言うと、俺の頬をつついてくる。
「……仕方ない、狩られる前に狩らないと」
「わきゃ!」
俺は嫁子さんに腕を回すと布団に引きずり込む。
「この抱き枕あったかい……二度寝不可避……」
「こらっ! 朝から悪い子だ!」
ベシベシと俺の頭を叩くと布団から抜け出す嫁子さん。
……なんだよ、向こうからちょっかい掛けて来たのに。
「さ、ご飯出来てるよ。冷めちゃうから早く」
「ふぁい……あー、良く寝た」
顔を洗って食卓につくと、目の前にはやたらと食器が並んでいる。
「ご飯つぐね。はい、大盛りだよ」
「ありがと。って、これ……旅館とかで、固形燃料で温める奴?」
「そ。こないだ商店街の潰れた店の前に、ご自由にお持ちくださいって並んでたの」
しかもそれが3つも並んでいる。
嫁子さんはマッチで火を点けていく。
一つ目は陶板焼きだ。
どこで売っているのか分からない、やたら小さな魚の干物をわざわざ固形燃料で焼く……安旅館の朝食でいつも疑問に思ってた奴だ。
「こんな小さな干物、どこで売ってたの?」
「自転車で1時間程のとこに小さな漁港あるでしょ? その近くの店で一籠100円だったの」
現地買い付けか。
しかもあえて一尾しか出さないのも分かっている。
二つ目は鍋だ。
ふたを開けるとその中には―――
「味噌汁……?」
これも安い温泉旅館の朝食にあるパターンだ。
旅館の味噌汁は普通は熱々で出て来るので、あえて固形燃料で温める必要はないはずだが、少しでも食卓を賑やかにしようとする苦肉の策だ。
となれば、3つ目の鍋は……
蓋を開くと、そこには湯豆腐。朝はむしろさっぱりと冷奴の方がいいのだが、理由は味噌汁とおんなじだろう。
「煮えるまでもう少し待とうね。火、見ててあげるから先に食べてて」
「これ、テーマは旅館の朝食?」
「うん。ほら、新婚旅行で熱海行ったでしょ? 旅館の朝ごはんなんて初めてだったから楽しくて」
嫁子は横からお茶を出す。
「ありがと。あれ、君は食べないの?」
「納豆ご飯をもう食べたよ。朝からこんなに沢山あっても正直、胃にもたれるし」
それを食わされる俺の立場は。
「それに今日の私は仲居さんです。お客さん、若いんだからお代わり食べるよね?」
ほれほれと掌で煽ってくるが、そもそもまだ食べ始めたところだ。
目の前の皿には、小さく切った明太子と佃煮、梅干し、玉子焼きに漬物が盛り付けられている。横には温泉卵の小鉢と焼き海苔。
……完全に旅館の朝飯だ。
煮え立つ直前、嫁子さんが鍋の蓋を開ける。
「ほら、そろそろ食べ頃だよ。魚も早く食べないと焦げちゃう」
「待って待って、沢山あり過ぎてオカズが渋滞してるって」
前半戦のご飯のお供で意外と食が進んだぞ。気が付けば茶碗が空になっている。
「はい、お代わりどうぞ。一杯食べてねー」
お代わりを貰おうか迷いつつ、時計を見る。
「でも、そろそろ仕事に行く準備しないと」
「大丈夫だよ、時計30分早めてあるから」
干物に伸ばした箸が止まる。
「へ? いつの間にそんなことしたの?」
「昨日の晩、お風呂入ってる間にこっそり」
「スマホの時計は?」
「昨日、貸してもらったでしょ? その時にこっそり設定替えたの」
「どうしてそんなこと。あ、ご飯半分頂戴」
俺は茶碗を差し出す。
「だって……疲れてそうだから早く寝て、朝ごはんゆっくり食べてもらいたかったし」
「じゃあ、昨日布団に入ったのもいつもより早かったのか」
嫁子さんが差し出した半盛りの茶碗を受け取る。
「うん。だからちゃんと寝れたでしょ?」
「んー、でも確か。昨晩は君の方から―――」
昨夜のことを思い返しながら、湯豆腐をレンゲで掬う。
鍋の湯気の向こう側、嫁子さんは耳まで真っ赤にしている。
「あっ、あれはほら! 3分くらいだったから睡眠時間に影響無いし!」
「……朝から凹ませないで」
俺は豆腐をゴマダレに浸す。一匙分、じっくりタレを沁み込ませつつ、最後にご飯に乗せて食べるのだ。
「ね、今日は早く帰れる? 夕飯、ちょっと頑張ろうと思って」
「んー、多分大丈夫だと思うけど」
「じゃ、腕によりをかけるね。楽しみにしてて」
嫁子さんは鼻歌交じりに立ち上がると、棚の上、土の入った水槽に霧吹きで水を足す。
水槽の中のダンゴムシは、一時期、毎朝会っていた空き地から連れてきた奴だ。
その後ろ姿を見ながら、俺は今日の日付を思い出す。
「あれからちょうど一年か」
何気ない一言に、嫁子さんは勢いよく振り返る。
「あれ、いまなんてった? もう一度!」
「え? だから、その……俺達が初めて会ってから……今日でちょうど一年だなーって」
俺は味噌汁を飲むフリをして顔を隠す。
……なんか恥ずかしいぞ。
結婚記念日や誕生日じゃなくて、出会った日を一々覚えているとか、ちょっとキモく思われるかも―――
テーブルの向かいに腰掛けた嫁子さん。両手で頬杖をついて、俺をニヤニヤと眺めている。
「なんだよ」
「へー、日付まで覚えてたんだ。ひょっとして一目惚れ? 一目で恋に落ちた?」
「……いや、第一印象はそんなでもだぞ」
だって、朝からダンゴムシ拾ってる変な人だったし。
「またまたー、相変わらず照れ屋さんだな。ま、今日の日を覚えていたことに免じて勘弁してあげる」
「そりゃどうも」
……たった一年前。
あの日、始発電車に合わせて家を出なければ。
変なテンションで彼女に声をかけなければ。
今日は全然違う朝を迎えていただろうし、そもそも迎えていなかったかもしれない。
過ぎれば一年は短いが、その短い間に人生が変わることだってあるのだ。
更に言えば、彼女と空き地で世間話をしていた一月足らず、彼女と初めて話をしたほんの数分……
俺は空になった茶碗を置いて手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「どういたしまして」
……さて、そろそろ出勤の支度をしなくては。
今日は定時退社が最優先事項。
出勤の準備を済ませた俺は頭の中で仕事の手順を組み立てつつ、革靴に足を突っ込む。
「おーい、お弁当忘れてるよ」
嫁子さんが弁当の包みを差し出した。
「ありがと。朝ごはん多かったから全部食べられるかな」
「そう思って少し軽めの内容にしてるよ」
嫁子さん、食べることに関しては実に気が利く。
俺は撫でられ待ちの嫁子さんの頭をポンポン叩く。
「それじゃ、行ってくるね」
嫁子さんは笑顔で手を振る。
「それじゃ、行ってらっしゃい―――あなた」
社畜さんとダンゴムシの娘さん、無事ハッピーエンドを迎えることが出来ました。
良ければ二人へのご祝儀代わりにブクマ、★~★★★★★をお寄せ頂ければ幸いです。
連載中の作品もぜひよろしくお願いします。




