11日目 歩く女
金曜日の朝。
金曜日の朝がウキウキとするいう感覚、しばらく忘れていた。
さて、今日は出社しないと出来ない作業や、打ち合わせを終わらせよう。
そうすれば週末は家で仕事ができる……
ジャージからTシャツになった例の女は、いつものように空き地にいる。
ひょっとして俺を待っていたのだろうか。
目が合うと、俺に手を振ってきた。
「おはよう、社畜さん。今日も元気そうね」
「おはよう。元気そうなんて3年ぶりくらいに言われたよ」
「ちょっと見せたいものがあるの」
女は嬉しそうにポケットを探ると、白くて丸い物を取り出した。
「なにこれ。新しいたまごっち?」
「違うよ。防犯ブザー」
「子供でもないのに。どうしてまたそんなモノ」
そしてなぜ俺にそんなものを見せつける。
「それがね。毎朝、名も知らない男の人とお話ししてるって言ったら、家族に持たされたの」
「……それ、俺に見せない方がいい奴だよ。ポッケの中とかに忍ばせといて、俺がご無体をしそうになったら紐を引っ張るんだ」
俺の忠告を聞いているのか。女は俺の顔に防犯ブザーを突き付ける。
「それにほら。見て、万歩計が付いてるの」
「へえ、万歩計」
液晶画面には『1128』と表示されている。
「結構歩いてるね。朝から散歩でもしてるの?」
「そんなとこかな。この調子なら、来週中には一万歩を達成するんじゃないか」
「……来週中?」
なんだろう。
会話が成立しているようで微妙にかみ合って無いこの感じ。
「……もしかして。万歩計って、通算一万歩を目指す物だと思ってる?」
「どういうこと? トンチじゃないんだから、千歩の次がいきなり一万歩にはならないでしょ。一歩一歩積み上げていかないと」
なんかちょっといい話風に言っているが、こいつが分かってないことが良く分かった。
「非常に言いにくいことだけど。一万歩というのは、健康のために一日に歩く推奨の歩数なんだ。つまり」
ようやく話を理解したらしい。
女は驚いた顔で液晶画面を見つめる。
「毎日リセットして……一日一万歩歩けってこと……?」
何故か女は両手で指折り、何かを数え出す。
「……無理。一万歩とか死んじゃう」
こいつ、指で何を数えてたんだ……?
「普通に暮らしてたら数千歩くらい歩くって。つーか通算で1100歩って少なくない? いつから使ってるの?」
「前からと言っても一昨日からだし。私わりと歩いてるし」
二日前から通算して1100歩……?
その歩数でどうやって暮らしてるんだ。
「君って入院かなんかしてるの? 勝手に抜け出して怒られない?」
「失礼ね、健康そのものよ。腹筋だって、最近出来るようになったんだから」
「出来るって、何回くらい」
「……回数の話はしてないんだけど。出来るってこと、それが大切じゃない?」
まあ確かに。
クララが立ったからって、何歩歩いたか聞くのは無粋というものだ。
「まあ確かに。数字はあくまでも定量的に図る道具に過ぎないしね。君が1000歩で十分歩いたと思えばそれでいい気がしてきた」
「分かればいいのよ。ちなみに1128歩ね」
……そこ、こだわるとこなのか。
「じゃあ俺、そろそろ行くよ。無理しない程度に歩いてみてね」
俺は上着に袖を通して歩き出す。
「じゃあ、行ってらっしゃい社畜さん」
女は1129歩目を踏み出しながら俺に手を振った。
「はい、行ってきます」
 




