10日目 半袖女
いつも通りの朝。
少しだけ違うのが、夜明けから間もない時間にも関わらず既に気温が上がってきている。
歩くだけで汗がにじんでくる。
「そういやもう7月だったっけ……」
なんか正月くらいから記憶がおぼろげだが、確かそろそろ夏になっていたはずだ。
スーツの上着を腕にかけ、いつもの空き地の前を通りかかる。
無意識に例のジャージを目で探すが、今日は見当たらない。
代わりに目に入った人影は、髪を雑にポニテに縛ったTシャツ姿の娘。
「おはよう社畜さん。なによ、無視して通り過ぎようとして」
「おはよう。ごめん、誰だか一瞬分からなくて―――」
女は変なTシャツを着ていて、髪はポニテ。その上、なんか手にはヨーヨーを持っている。
「なんか情報が渋滞していて良く分かんないや。一つずつ片付けてっていい?」
「……人をAmazonの空き箱みたいに言わないでよ」
俺は改めて女を観察する。
「まずその恰好なんだけど。今日はジャージじゃないんだ」
「朝から結構暑くなってきたしね。どう? セクシー?」
「んー、感想よりも。君をジャージで認識してたから、ちょっとまだ本人かどうか疑ってるんだけど」
「失礼ね。社畜さんにこんな美女の知り合いが他にもいるって言うの?」
色々言いたいことはあるが、朝からこれ以上は消化不良を起こしそうだ。
あまりこだわらない方がいい。
「それもそうだね。まだ後がつかえてるから、次行っていいかな」
「……どうぞ、社畜さん」
「そのTシャツの柄だけど」
「いいでしょ。結構探したんだよ」
女はおどけてポーズをとる。
Tシャツには見慣れた生き物のシルエット。
その上にはローマ字で大きく―――
『WARAJIMUSHI』
―――の文字。
「いいの? それ、ダンゴムシに対する裏切りになんない?」
「裏切りってなんのよ。ワラジムシもダンゴムシも似たようなもんじゃない」
「君がそれ言っちゃダメじゃん」
とはいえ本人が良いのならそれでいい。どっちにしろダサいし。
「じゃあ最後にもうひとつ。なにそれ。ヨーヨー?」
「うん。押入れの奥から見つけたの。結構練習したんだよ」
女は笑顔でヨーヨーに紐を巻き付ける。
きっと俺にトリックの一つも見せ付けようというのだろう。
俺が見守る中、女の手から降りたヨーヨーがゆっくりと巻き上がっていく。
と、戻り切れずに回転が止まったヨーヨーを、もう片方の手ですくいとる。
「ね、中々のもんでしょ」
「……え。それだけ?」
思わず口にした俺に向かって、女は不機嫌そうにヨーヨーを差し出す。
「なによ。そうまで言うならやってみなさいよ」
「いいけど……これ、ハイパーヨーヨーじゃないんだ」
特に仕掛けもなにも無い固定軸のヨーヨーだ。大きく『FANTA』と古めかしい文字で書かれている。
見ただけでかなり古いものだと分かる。
「これ……ジュースのファンタか? なぜジュースのロゴがヨーヨーに」
きっと昔はジュースくらいしかカッコいいものが無かったのだろう。昭和はそんな時代と聞いてるし。
とりあえず数回振ってから、当時得意だったループ・ザ・ループに挑戦する。
「……偉そうなこと言っといて3回が限度だな。当時なら無限にできてたんだけど」
最後にくるりと大きく回し、ヨーヨーを受け止める。
俺からヨーヨーを受け取りながら、女はぽかんと口を開ける。
「……社畜さん、凄くない? 実はヨーヨーチャンピオンとか」
「いやいや、チャンピオンがこんなところにいないって」
「ばーちゃんが子供の頃、ダイエーに来たのを見に行ったって言ってたよ」
……その頃、俺生まれてないし。
「クラスの連中はみんなこのくらい出来たって。じゃ、そろそろ時間だから」
「あ、うん。行ってらっしゃい、社畜さん」
うわの空でそう言うと、女はおっかなびっくりヨーヨーを振り回し始めた。
「じゃあ、行ってきます。……顔にぶつけないでね」
彼女暇そうだし。ちょうどいい暇つぶしになるだろう。
気が付けば俺の腕を抜いてたりして―――
―――と、視界の端を吹っ飛んだヨーヨーがコロコロと転がっていく。
走って追いかける女。
まだまだ抜かれる日は先のようだ―――
 




