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1日目 ダンゴムシの人

 今日こそ電車に飛び込むと決めた。



 小山田駅5時08分発の準急行。

 人生の最期を飾るのは都心行きの始発電車だ。


 そうと決めた途端に身体が軽くなる。

 なにしろ、二度とあの職場に行かなくてもいいのだ。


 休日用の腕時計を2か月ぶりに腕に巻く。

 俺は勢いよくスーツに腕を通すと、明けたばかりの朝日の下に飛び出した。


「おはようございます!」


 俺はすれ違う新聞配達の若者に元気よく挨拶をする。

 若者は俺を胡散臭げに横目で見ると、無言でバイクで通り過ぎた。


 いつもならこれだけで三日は立ち直れないのだが、今日ばかりは無問題。

 何しろ三日後どころか15分後には俺はこの世にいないのだ。


 だから空地でしゃがみ込んでいる女の子を見つけた俺は、考えるよりも先に話しかけていた。


「おはよう。君は何してるの?」

「………」


 ゆっくり振り向いた女の子は俺を不審げに見上げた―――ように見えたがそうではない。

 小さな瓶を俺に見せつけるその顔には、自慢げな表情が浮かんでいる。


「これ、捕まえてたの」

「……捕まえる?」


 娘の小さな手に握られた小さな瓶には、黒い球体がコロコロと積み重なっている。


「ダンゴムシ?」

「もう50匹は捕まえた。今日は3桁の大台も夢じゃないよ」


 言って再び、地面の石をひっくり返す作業に戻る女の子。


 ダンゴムシ娘の見た目は年齢不詳。

 飾り気の無い見た目は大人っぽい中学生でも、子供っぽい大学生でも通用する感じだ。


 だが朝の5時から、ジャージ姿でダンゴムシを集めているのだ。

 ……ちょっと可哀想な子に違いない。


 可愛いのに気の毒な話だ。保護者の人とか居ないのかな。

 キョロキョロ辺りを見回していると、女は今度こそ俺を怪訝そうに見つめてくる。


「そこの社畜の人」


 うん?

 俺はさらに周りをキョロつく。


「あなただよ。スーツ着てるし、社畜さんなんでしょ?」

「スーツ=社畜とは暴論だね。社会には社畜以外でスーツを着る人も意外と沢山いて、スーツを着ない社畜も意外と沢山いるんだ」

「早口だね。じゃああなたは社畜さんじゃないの?」

 

 さて、職場には二度と行くまいと思っていたが。

 辞めていない以上は―――


「……社畜だね。間違いない」

「それじゃ社畜さん。さっきから突っ立ってるけど、なんか用?」

「ああ。そのダンゴムシ、集めてどうするのかなって」


 ひょっとして聞いて欲しかったのか。

 女は瓶を顔の横に掲げると、にまりと笑う。


「どうすると思う?」

「そうだね。ダンゴムシレースとか、名前を付けて愛でるとか」


 女はやれやれと首を振る。


「その辺は3年前には通り過ぎてるよ」


 こいつ、3年間もこんなことを続けてるのか。

 ブラック企業勤続2年の俺など、まだまだひよっこだ。


「じゃあ集めてどうするの?」

「この近くに小さな公園があるでしょ」


 そういえばそんなものもあった気が。


「そこに放すの。これまで相当の数を運んだよ」


 ダンゴムシを近くの公園に……?

 放生会ほうじょうえみたいなものか。いやでもちょっと違う気が。


「あの公園までたかだか100m程度。人間様ならわずか数十秒の距離でしょ」

「まあ、確かに」

「そのわずかな距離ですら、この小さく下等な生物には決して辿り着くことはできないじゃない?」


 俺はもう一度、「まあ、確かに」と繰り返す。


「決して辿り着くことのできないはずの新天地に私がこの手で運ぶの。何と言うか神様になった気分で、気持ちいいんだから」

「へえ……神様に」


 俺はなるほどと相槌を打とうとして―――


「―――予想外に小っちゃい話で驚いた」


 ついつい余計なことを言ってしまう。


「え? 私、ディスられてる?」

「だって。疲れた大人向けに、ちょっと深イイ話を言って……逃避を自己正当化させるような、そんな話を聞けると思ってた」

「社畜さん……あなた、道端でダンゴムシ拾ってるような女に何を期待しているの……?」


 こいつ、自分で言いやがった。


「下北とかに出れば、路上で色紙売ってる人がいるから。そっちに頼みなさい。ね?」

「終電後でも売ってるかな?」

「週末に行きなさいよ」

「そうは言っても……この2か月、休みなかったし」


 その途端、女は驚いたように立ち上がる。


「嘘っ?! 60連勤?! 社畜さん、どんだけ仕事好きなの」

「好きじゃないよ?! だって代わりがいなくて、俺がやんなくちゃどうにもならなくてさ! なのに上司は怒鳴るばかりだし……」


 女と入れ替わるように、今度は俺がしゃがみ込む。


「俺、もう限界でさ……」

「社畜さん……」


 女が俺の隣にしゃがみ込んでくる。

 ふわりといい匂いが鼻をくすぐる。


「ねえ社畜さん」

「はい?」

「……私に『仕事って命より大切なの?』とか『社員の代わりはいても、君本人の代わりはいないんだよ』……とか言って欲しいってこと?」

「いや……あの……そういう無責任で耳に優しい言葉を期待してたところはあるけど……そうはっきり言われると」


 女は呆れたように首を振る。


「あなた自分のライフプランを、ダンゴムシ拾う女に委ねちゃ駄目よ。高円寺の占い師を紹介してあげるから、そっち行ってきなさいって」


 確かにダンゴムシ女より占い師の方が信用できそうだ。

 占いなら深夜でもやってそうだし。


「その人、当たるの?」

「噂では当たるらしいよ。気が付くとガチ目の金額を払う羽目になるらしいけど」

「……そんな人紹介しないで」


 ……あれ。

 俺、ここで何やってんだっけ。


 ふらりと立ち上がった視線の先、高架の上を電車が駅のホームに向かっている。



 ……あ。5時08分発の準急行。



 乗り遅れ……というか、飛び遅れてしまった。


 朝起きた時の自暴自棄なテンションは既に無い。

 きっとこのまま仕事に出かけて、きっと疲れ果てて終電で帰ってくるのだ。


 大きくため息をつく。


 フラフラと歩き出した俺の背中に声がかけられる。


「―――行ってらっしゃい」

「え……?」


 ボンヤリと振り向いた俺に向かって、女は雑に手を振った。


「なにって……お仕事に行くんでしょ? だから、行ってらっしゃい」

「え? ああ……行ってきます」


 ……行ってらっしゃい、か。


 そんなことを言われたのは何年ぶりだろう。

 なんとなく立ち去り難くて、俺は女の背中に声をかける。


「ねえ君は、毎日ここでダンゴムシ集めてるのかい?」

「業者じゃないんだから毎日なんていないわよ。せいぜいが平日くらいね」


 ……平日はいるのかよ。


 瓶にダンゴムシを放り込む女をもう一度眺めると、俺は駅に向かって足を踏み出した。

 新連載始めました。

 こんな感じのダンゴムシ女と社畜さんの交流を、週5日平日7時過ぎ更新で連載します。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ぱわーわーど [一言] ブレない?キャラの立て板に水な主張が美しい。 めくるめく主観と客観の交錯にのうみそゆんゆん。 続きが楽しみです!
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