67 頼れる助っ人と昔話
長すぎる夜は既に明け、太陽が辺りを照らし始めた頃。
つまりは、僕の起床時間がちょうど24時間を超えた辺りで……僕は復元したテントの前で剣を持ち、凶悪な敵と相対するという謎の状況に身を置いていた。
もちろん、空腹や睡魔が敵、という話じゃない。
「あっち行って、お願いだから!」
ブンブンと剣を振ってみるも、その敵――テントから5メートルくらい離れた場所からこちらをみつめる“巨大な獣”は一歩も引いてはくれなかった。
茶色い毛、巨大な体躯、鋭い爪に森の中とくれば、無知な僕でも流石にわかる。
あれこそが前世でも毎年人が襲われていたという凶暴な獣。
所謂、熊であるのだと。
「ひぃっ!?」
突然唸り声を上げ、立ち上がった熊から数歩下がる。
軽く見積もっても3メートルはあるし、勝てっこないよこんなのっ!
「サラ、サラ、助けてっ!」
熊から目を離さないようにしながらテントに向けて声を掛ける。
しかし、中からの返事はない。
まぁ、夜番の順番すら無視して寝坊してるくらいだもんね!起きるわけないよね!
「誰か助けてー!」
遂には突進してきた熊に震えながら、僕は力いっぱいに叫んだ。
すると、突然熊が“後ろ向き”に倒れ――
「まったく、お前らはどうしてこう、落ち着きがないんだ」
いつの間にか倒れた熊の上には、深々と溜息をつくヴァンさんの姿があった。
「なによ、ゆかりぃ、体が痛いんだけどぉ」
「あ、起きたんだ……遅すぎだけど」
背後から聞こえてきた亡者みたいな声――恐らく“蔓ベッド”で体を痛めたサラに向けてリバージョンを使う。
すると、回復したサラはお礼すら言わずに倒れた熊へと目を向けて――直後、瞳をキラキラさせながら嬉しそうに飛び跳ね始めた。
「熊を獲ってくるなんてやるじゃない!まったく、縁はなにしてたのよ」
何してた?必死にテントを守ってましたけど?寝坊したサラのせいで死にかけてましたけどぉ?
さっきまでの頑張りを全て無視するような発言に、沸々とした何かが内から湧き上がってくる。
なんだろうね、この気持ちは。
無性にサラの頬っぺたをムニムニしたくなる、この気持ちは……きっと、怒りだね、うん。
「あんたもヴァンを見習って、せめて朝食の材料くらいは集め――むあぁああ、ひゃめなはひほぉ!!!」
「ずーっと、寝てただけのサラには言われたくないよ!この、このっ!」
「……いや、本当に来て正解だったな、これは」
ヴァンさんの呆れたような声をちょっとだけ無視しながら、僕はサラを膝上に座らせて、その柔らかすぎる頬っぺたを思い切り摘まみ上げた。
少しだけやりすぎな気もしてきたけど、昨日からサラのわがままには振り回されてばかりだったし。
ここは心を鬼にして、サラには反省してもらおう!
決意を新たにしながら暴れるサラを押さえつけて、ムニムニ、プニプニとその頬をこねくり回す。
「もしかしたら虐待になるのでは?」と思いつつも、頬を楽しむこと数分後。
お仕置きが効いたのか、気付けばサラは瞳から光を消していて……遠くを見つめて唸るだけの、ただの置物と化していた。
「勝った……!」
「何をしているのだ、まったく」
無事に反省してくれたサラを隣に座らせてから、いつの間にか熊の解体を始めていたヴァンさんへと視線を移す。
そういえば、何でヴァンさんはここにいるんだろうね?
「ヴァンさんは、どうしてここに?」
森の中に2人だけっていうのは確かに不安だったから嬉しいけど、ヴァンさんはラーファの護衛なのに離れて大丈夫なのかな?
「ラーファに言われてな。俺も、お前たちの宝探しを手伝うということになったんだ」
「そうなんですか!それなら安心です。ちょっと、昨日はトラブルもあって……心細かったところですし」
ヴァンさんに言葉を返しつつ、横目でハゲ山と化したテントの周囲を見渡す。
すると、僕の視線を追ったヴァンさんは再び溜息をついて……ついでにサラを見つめて、もう一度大きな溜息をついた。
「この惨状とラグマットや寝袋が無い件はその小娘が原因だな。いや、出掛けに持ち出した食料も無いのか?となると、この熊しか食料はないわけ、か……」
え、熊を食べるの?
ヴァンさんの呟きに内心困惑しながらも様子をうかがえば、ヴァンさんはさっきまでとは段違いな速度で熊を解体し始めた。
止まらないナイフ、生き物から食べ物へと姿を変えていく熊。
何故かグロさを感じさせない芸術のような解体ショーに、気付けば僕は感嘆の息をつきながら拍手を送っていた。
「おぉ……」
「感心している場合ではないぞ。そら、今からでも少しは学んでおけ」
学ぶ?
言葉の意味がわからずに首を傾げると、ヴァンさんが僕の側に何かを投げてきた。
「いや、その、これは……?」
「ん?あぁ、それは先ほどの熊の子供だろう。獣に復讐心があるとは思えんが、見逃す理由もない故に狩っておいた」
狩っておいたって、子供は何もしてないのに……。
そんな話を聞かされて、解体しようなんて意欲が湧くはずもなく。
寂しさと悲しさが同居したような、そんな気持ちで僕が子熊を見つめていると、視界の端から小さな手が伸びてきた。
「どうせ、可哀想とか思ってるんでしょ。食べ物にまで同情するとか、あんたも大変よね《――水よ》」
目を向けてみれば、それはいつの間にか復活したサラの手で。
サラは僕が止める間もなく、手際よく子熊の首に氷のナイフを突き刺した。
「本当なら川の水で半日は冷やしたいところなんだけど、時間が無いから水魔法で手っ取り早く行くわ」
「いや、手っ取り早くって……」
「魔法を使う時点で真似は不可能なんじゃ?」と、思っている内にも解体は進められていき。
気付けば子熊はすっかりと動物の形をなくして、親熊と同じように食べ物の形へとその身を変えていた。
「うぅ、もう食べ物にしか見えない」
僕がいつも食べていたお肉がこうして作られているのは知っている。
帝都では訓練で鶏を殺していたし、解体だってすることがあったから知っているのは当たり前なんだ。
だけど、正当防衛とはいえ親を殺して、ついでに子も殺してしまうなんて、そんなことはなかったから。
だから、こんなことを――サラに聞いてしまったのかもしれない。
「ねぇ、サラ。サラは……大事な人が死んだら、どう思う?」
どんな反応が返ってくるかわからず、不安になりながらサラの様子をうかがう。
すると、サラは長い耳をピクリとだけ動かし、視線は熊肉から動かさないままに淡々と言葉を返してきた。
「あたしにはそんな経験ないけど……負けるにしても死ぬにしても、それはそいつの実力不足のせいでしかないわ。自業自得としか思わないんじゃないかしら」
僕とは根本的に違う、冷たい言葉。
この前には『何で人を殺しちゃダメなわけ?』とも言っていたし、常識が違うのはわかっていたことなんだけど、少しだけ寂しく感じてしまう。
「僕はサラがいなくなったら悲しいよ。今から考えても、立ち直れるか不安になるくらい……」
比べる物じゃないんだろうけど、ホルトンさんの時も死ぬほど泣いた僕だったから。
友達がいなくなってしまったらどうなるのか、自分でも想像できなかった。
「そうなの?あたしは別にあんたが死んでも、実力的にしょうがないって、思う、はずで――」
あれ、どうしたんだろう?
いつもとは違う様子に首を傾げると、突如としてサラは横目で僕をにらみつけ、足元に置いてあった鍋(昨日の惨劇を生き残った猛者)を突き出してきた。
「……なんか嫌な気分になったから、あんたが水汲んできて」
「嫌な気分って、もしかしてサラも悲しくなってくれたってことじゃ――」
「知らないわよ!昨日見つけた川でいいから、早く行って!」
リバージョンで戻っても水を持ち帰れない以上、空を飛べるサラの方が適役――なんて、言う隙もなく。
僕は何故かプンプンと怒り始めたサラに急かされながら、強制的に川へと向かうハメになった。
「もしかして、照れてたのかな?」なんてことを思いつつ、それからは僕が持ち帰った水で熊肉のスープを作ったり、再度の魔物襲撃をヴァンさんが未然に防いでくれたりと。
昨夜から続いて、いろいろなことがあったわけだけど……。
何とか無事に朝食を終えた僕達は、ようやく本来の目的である“宝探し”をできるようになった。
「“あの”ラーファが財宝なんて言うくらいだから、きっとスゴい魔物とか、迷宮があるはずよ。縁、準備はいいかしら?」
「大丈夫。毒蛇襲来、殺人ピラニア、洞窟で原住民の頭蓋骨が出るくらいは……覚悟したから!」
不思議そうな表情で首を傾げるサラに、僕はガッツポーズと頷きを返す。
こういう時の為に冒険モノはテレビで予習済みなんだ。
きっと大丈夫、大きな足跡があっても、最終的に正体は謎のままで終わるはずだしね。
「それじゃあ、早速――」
「ちょっと待て」
お腹もいっぱい、気合も十分。
そんなノリで宝探しに踏み出そうとしたのに、何故かヴァンさんからの待ったが入った。
「ちょっと、何で邪魔するのよ!」
案の定、勢いを邪魔されたことに怒ったらしいサラがプンプンと腕を振り上げる。
けれど、そんなサラに対してヴァンさんは何回目かもわからない大きなため息をついてから、止めた理由を説明してくれた
「宝探しは大いに結構だがな。拠点の整備も周辺地理の把握も食料の備蓄もない――そんな全てが不十分な状況での無計画探索は流石に見過ごせん。“縁が無理をしている”現状、今日は準備に充てるべきだ」
僕が無理をしているって?
その言葉に僕とサラは顔を見合わせる。
「縁、あんた無理してるの?」
「一応、眠気はないけど……ちょっと、気持ちがポワポワしてるかもしれない」
肉体強化もあるし、無理なんてしてないと思うけどなぁ。
そう思って、僕はヴァンさんに言い返そうと――って、あわわ!?
「それは感覚がマヒしているだけだドアホめ。睡眠不足で生き残れるほど自然は甘くない、今日は大人しくしておけ」
どうやら反論は聞いてくれないらしい。
僕はヴァンさんに抱え上げられ、成す術もなくテントの中へと放り投げられた。
けれど、僕の身体に伝わってきたのは冷たい地面の感触でも、蔓ベッドの固い感触でもなく……。
「魔法で鞣した熊の毛皮を敷いておいた。『アルラウネ』の蔓よりはマシだろう」
「『アルラウネ』って追いかけてきた蔓のこと?」とか、「毛皮も魔法で何とかなるとかズル過ぎる」とか、いろいろと言いたいことも聞きたいこともあったのに。
暗い空間、柔らかな感触。
それらを感じ取った瞬間に襲い掛かってきた眠気には抗えず、僕はゆっくりと毛皮に体を横たえた。
「うぅ、宝探しぃ」
「財宝に関しては気にするな。あれはいつ探しても変わらん――というか、“探す必要もない”モノだしな……」
え、それって、どういう?
浮かび上がった疑問も、眠気の前では何にもならず。
僕はそのまま意識を閉ざして――
再び目覚めたのはすっかり外が暗くなった頃。
いつの間にか、隣でサラが寝ているくらいに夜がふけてからのことだった。
「……何時間寝たのさ、僕」
「10時間以上は寝ていたな。起きたなら、少し話に付き合え」
返ってくると思わなかった答えにぎょっとして目を向ければ、テントの外には火の番をしているヴァンさんの姿があった。
サラが寝てるって事は、代わりに夜番をしてくれてたのかな?
「お前が寝ている間に小娘を使ってある程度の準備はしておいた。明日の探索は心置きなくできるぞ、よかったな」
「あ、ありがとうございます……」
『小娘を使って』ってことは、サラも頑張ったってことだよね。
僕は隣で眠るサラの頭を撫でてからテントを出て、焚き火を挟んでヴァンさんの正面へと腰かけた。
……正面に、腰かけてしまった。
「さてと、これは大した話ではないんだが――って、何を震えてるんだお前は。今は夏だぞ」
怪訝そうな瞳からとっさに視線を逸らす。
今更な事ではあるんだけど、僕はヴァンさんとはあまり話したことがなかったというか……。
ヴァンさんは神出鬼没だし、ラーファも話題にあげないし、そもそもトント村の“あの出来事”があるまで普通の会話も無かったわけで。
……実を言えば、2人だけで話したことなんて一度もなかったんだよね。
だから、緊張するのも仕方なくて――でも、それ以上に。
「その、迷惑を掛けてばかりだなって、そう思って……」
聖都でのこと、今日のこと――そして、トント村でのこと。
僕は足元に視線を落としながら、申し訳ない気持ちで頭を下げた。
「いろいろと、ごめんなさい……」
「何がごめんなさいなのかはわからんが、気にしなくてもいい。お前よりも迷惑な奴らを、俺は身をもって知っているからな」
身をもって知っている?
ヴァンさんの言葉に顔を上げて、首を傾げる。
すると、ヴァンさんは少しだけ笑ってから――何かを懐かしむように、焚き火へと視線を落とした。
「俺にもいたんだよ。お前にとっての小娘のような、そんな仲間がな」
仲間が“いた”。
その言葉に心臓が跳ねる。
けれど、続いた答えは僕が想定していたモノではなかった。
「もう、随分と昔の話だが……。俗に言う『英雄パーティ』というやつにな、俺もいたのさ」
僕が驚きで目を見開く中、ヴァンさんはゆっくりと空を見上げる。
「あれはまだラーファすら産まれる前の――今よりも世界が荒れ果てていた、そんな時代の話だ」
それは、今まで僕が知ることのなかった“この世界の歴史”。
僕はヴァンさんの口から語られるその言葉に、静かに耳を傾けた。




