第9話 炎の魔法少女Ⅳ~燃え盛る中で~
「一人娘の護衛をして欲しい」
こんな稼業を続けていれば、いつか汚れ仕事を頼まれる日が来るだろう。
その時、自分はそれを断れるのか、そもそも拒否出来る状況なのか――
そんな不安を女性が募らせる日々の中、株式会社レインシエラの会長から舞い込んで来たのは明日友人達とショッピングモールに行く愛娘が外出している間の護衛と、恐らくは手を汚す要素の無い依頼内容。
ノワルから脱獄した凶悪犯が何処でうろついているとも知れぬこの状況下で無ければ、過保護な父親からの依頼という認識で済んだかもしれない。
翌日。さぞ甘やかされて育てられたであろう依頼主の娘に会ってみれば……今日ある重大発表の事で頭が一杯で、友人達も気さくで明るい女子高生の集まり。
軍事企業フェンリールの次期当主と目される狼垣寺冥能がいた事には驚いたが、それでいて上下関係を感じさせない人間模様は眩いまでの陽だまりと言えた。
気が付けば摂るつもりの無かった昼食を奢られ、何のお洒落もせずに長く伸ばしただけの白い髪を揺らしながらチョコクレープとタコス・アラベスを頬張る事に。
女性は純粋な白髪では無くアクアマリンの色味を程々に帯びているが、思わず気を緩めてしまうような状況下にあってもフリーのボディーガードとしての意識を絶やす事は無く、その淡いアメジストの瞳を心の中で鋭くする日々だった。
――ヒトの命が奪われる状況など一瞬で出来上がる。極僅かな時間でも護衛対象から目を逸らす事は致命的な失態なのだ。
女性が仕事をする上で常に抱いている信念とも呼べる決意は、そう表せる。
午後四時半が近付く頃。女性はショッピングモール一階でフェンリール次期当主を交え護衛対象と行動を共にしていたのだが……突然、建物中央部で大きな爆発が起こる。
程無く女性の目の前に炎の壁が迫り、それから百秒近くが経った――
「依頼主しか守らないんじゃなかったっけ?」
無感情のようで何処か含みのある狼垣寺冥能の声が、突如女性が展開したコウモリの翼が発達したような銀色の両翼の中で響く。
護衛対象である彩雨陽子のみならず狼垣寺冥能の身まで自らの翼で覆う事により炎を防いだ女性だが……フェンリール社の令嬢の声が程無く続いた。
「――ドロシー・カリフ」
自分の事をレドラだと知る人物の口から名乗っていない実名が出ようと最早驚く事では無い為、質問の方を気にした女性――ドロシーは事務的な声を返す。
「……わざわざ貴方を動かすのも無駄な動作ですので」
ドロシーが背中の翼を広げれば両端までの長さは五メートルに迫るだろう。人間二人を咄嗟に包み込むには十分な大きさだった。
「光ってる……綺麗」
彩雨陽子の目の前にはドロシーの翼の飛膜部分が広がり、その凹凸具合はアメジストの原石等に見られる幾多の結晶が群れを成す形状の類と言えよう。
飛膜が湛える色はウルトラマリンのように飛び抜けて鮮やかで味わい深い青色で大中小が集合する結晶から成る並びは程よく乱雑。
翼で銀色の部分は背面から見た全域と正面から見た際の指骨部分……つまり正面の青色要素は飛膜部分のみ。
詳らかに言えば結晶領域は飛膜周辺から銀色で始まっており、飛膜部分に近付くに連れてウルトラマリンの青が混ざり始め内側に行くほど濃くなるものの……何処まで鮮やかな青になるかは場所によって異なり、青の濃淡が疎らな模様を描く。
左右の青い部分と形状は対称性が認められ無いものの、青の色が特に濃い分布は一目でも八割近くある事が窺えた。
「ふーん……こんなレドラがいる何てね」
ドロシーの飛膜部分は普段は一定周期で明滅しており、翼の動作次第ではそれが崩れる時もある。色と形状も相まって青い結晶の群れは宝石のような鑑賞性を欲しいままにし、狼垣寺冥能にも感心の言葉を上げさせていた。
「周囲は炎で燃えています。早急に避難しなくては」
会話する事も無くドロシーが異状を述べた矢先、狼垣寺冥能の発言が続く。
「控えの警備に酸素ボンベ持たせてたけど……全部無事って連絡が取れたし、このまま留まろうか。そういえば飛行型だったよね」
「飛行時はこの青い光が更に強くなるので隠密性能に欠けます。私が持ち続ける事さえ出来れば重量制限無く飛べはしますが……」
「翼を使って飛ぶんじゃなくて飛行能力があるからレドロ部分が翼形状になってる感じなのかな? わたしのアルマもどういうわけか飛べるんだよなぁ」
「やっぱり能力って非科学的なのかなぁ」
最後だけドロシーの依頼主が漠然とした声を浮かべていた。
ドロシーの翼はレドロの硬質部分同様、ダイヤモンド並みの硬度を誇るがロイヤル出力のレーザーならば貫通は容易い。翼自体の厚みが乏しい為、多数束ねてしまえばクイーン出力でも穿てるだろう。
結晶部分を更に肥大させて個別に飛ばす等の攻撃手段があるわけでも無く、飛行能力が評価され無ければドロシー・カリフのレドラはただ硬いだけのお飾りという事になる。
尤も飛膜部分から生体ビームを放つという芸当が出来ようものなら、一日で寿命を使い果たし兼ね無いレドラになっていたが……。
彩雨陽子の発言から少しして、ドロシーの目の前に防護服に身を包んだ幾つかの人影が現れ……程無く狼垣寺冥能が呼んだ部隊だと確認が取れる。
そんな状況に安堵せずドロシーは怪しい素振りをする者の有無を注視。未だ翼を片側しか開けないドロシーを見て、狼垣寺冥能は淡々と呟く。
「出来た護衛だね。これが依頼主を狙った爆発なら、こういう時にこそ仕掛けて来る……どうやらわたしを狙ったものですら無いみたいだけど、さて――」
そこまで言うと狼垣寺冥能は周囲を軽く見渡し、続ける。
「わたしの幼馴染は、こういう時に死んじゃうマヌケかな?」
火の海という言葉は、今のモール内の光景に使うのが相応しいだろう。
各階全体が燃え上がっている事が一階から見上げるだけでも存分に窺える程の炎の規模だが……。
激しく揺らめく炎の中で静かに呟いた狼垣寺冥能の表情は揺れ動くものを帯びた気配が見受けられず、只々よく透き通っただけの声色だった。
◆
「クマ子とハルカは先行っちゃったなー」
一階中央広場でやるレインシエラの発表イベントまであと十五分くらい。
まだ少し早いかなと思うアタシを他所に会場へ向かってしまった二人にそう呟いてはみたけど、素直にアタシたちも向かおうかな……そう思いながら歩いてたら、お洒落な小物屋さんが目に入ったので、アタシはメイと彩雨さんに言う。
「ちょっと覗いて来る! 半には間に合わせるから先行ってて!」
護衛の女の人にも手を振って、自動ドアから入った店内をアタシは早足でくまなく見て回りつつ目に付いた品を店内アプリの方のカートに入れて行き……大体一巡したから入口近くのカウンターまで戻る。
除外するものがあるか軽く吟味しようとしたものの、どれもワンポイントお洒落な安物だったから金額はクマ子が無理すれば払えるくらいかな……パーソナルデバイスの時間を見たけど五分くらい掛かったね。
購入したのはマグカップにお皿に金属の食器とかだけど、メイに渡されたカード自体がメイの屋敷まで届くように設定されてるから、アタシは手ぶらで店を出た。
隣には商品が所狭しと並んだ古着屋さんがあり、そこへ女の人が入って行くのを視界の端で確認。目で追おうか少し迷ったけど……そのまま前進を続けようと決めた、その瞬間――
中央広場で大きな火の玉が見えるや爆発音と共に炎が噴き出して来て、押し寄せて来た爆風がアタシを直撃。
吹き飛ばされた勢いで仰向け気味に倒れたアタシだけど、さっき隣の店に入った女の人って確か、手足どころかお腹も出した服装だったような……そう脳裏に浮かべてたら、
「きゃぁあああ!」
後ろの小物屋と違って壁で仕切られてない狭いお店から、さっきの女の人が全身を燃え上がらせながら叫び声と共に飛び出して来た。
見渡せば燃えてる客は他にもたくさんいて、あちこちから悲鳴が上がってる。
こういう時の為の消火剤は開発されてるけど、この人数じゃ行き渡るまで時間掛かりそう……手遅れになる人も出て来るだろうね。
各店舗が扱う品々は燃えるものが多いし、金属や樹脂だって熱量によっては変形するから、このまま火災が続けば大部分の商品が台無しになる。
被害総額も凄い事になるんだろうけど、せっかく皆に買ってもらう為に並んでる商品たちがダメになってしまうのが、すごく嫌だ――
彩雨さんの会社が社運を賭けた発表するまでもう少しだったのに……用意してたもの次第だとそれも燃えてるかもしれないし、エージャのファッションショー用の服だって既に火の手が上がってるかも……。
この日の為に頑張って作り上げたものが、爆弾が仕掛けられて起こったみたいな炎によって商品としての価値と作品に吹き込まれた表情が、皆失われてしまう。
この際、誰がこんな事をとかどうだっていいから……この建物の中にある、火災に加担してる全ての炎を消し去りたい――全部消えてよ。
そんな事は不可能だとでも言うように、ただの女子高生のアタシの体は燃え始めた。体が熱くて、頭の中まで熱が充満してるような……意識が朦朧とする――
……そんなアタシに幻覚みたいな事が起きたのかな。
在りもし無いものが視えるのが幻覚だと思うけど、これは別に何も視えて無い。
何だかすぐ傍に、起き上がって手を伸ばせば届くような距離に……『杖』があるという実感が、強烈なまでに湧いて来る――
熱さで頭がおかしくなったとはこの事だね、でも……。
――どんな杖だろう?
ぼんやりとだけど考え始めてしまった。
例えばアニメで魔法少女が使うステッキも杖の一種だけど、あれって片手で持てるくらいのサイズばかり……子供用の玩具として商品化もされるからね。
RPGの魔法使いが持つ杖って背丈を越えてる場合が多いのかな?
杖ってそんな感じかなぁ……そう思いながら、他にも色々と考えてる気がする。
まぁ、仮にだけど。
もしも今アタシの傍にあるのがそんな、アタシを魔法少女にしてくれる杖だというのなら――是非とも手にしてみたいなぁ。
そんな取り留めの無いまどろみのような思考の中でアタシがどんな杖をイメージしたのか知らないけど……その甲斐あってか目の前に鮮明な幻覚が形作られた。
目の前で浮かぶアタシの髪の色みたいな硫化銀の質感の金属の杖はそれこそ人の背丈を越えそうな長さで……先端の大きな宝石は無色透明で何色でも無かった。
さっきから横たわったまま体が動かないけど、アタシの体は起き上がってて……何て言えばいいのかな……寝転がってるアタシと、立ち上がってるアタシの感覚が同時にあるような……どっちもアタシだって実感出来るほど。
だから立ってる方のアタシは目の前に視える垂直状態で浮かぶ杖まで手を伸ばしてて、寝転がってるアタシはそれを眺めてる。
手はアタシの意志で伸ばしたんだけど……寝転がってるアタシからはその様子が見えている……不思議な光景だなぁ。
そして杖を右手で握った瞬間――寝転がってる方のアタシの感覚は消え去り、起き上がった方のアタシの感覚だけが残った。
手にした杖は硫化銀が硫黄と化合する前の銀に戻って行くかのようで、杖の色が変化する様は何だか金属部分から汚れが染み出しては広がるような要領で銀の色に蝕まれて行くみたいで……そういえば宝石部分にも色味が出て来てるね。
この色って――
「店内で大規模な火災が発生しました。お客様は店内アナウンスに従って避難して下さい。繰り返します」
止まっていた時間が、急に動き出したような感覚に襲われた。
夢から覚めたような気分って言いたいけど、むしろ夢を見てるかのように頭がぼんやりしてるなぁ……でも意識は結構ハッキリしてるから……何なんだろう。
とりあえず店所属のAIがモール内に音声を発信してるね……それも、こういう時に不自然な機械音声で余計な不安を与えないよう人間の肉声と同じ水準で。
各店舗も燃えてるけど、その傍にいる人たちも燃え上がってる……。
もしも皆を苦しめてる炎を今すぐ消し去る事が出来れば……でも、そんな事。
出来る気がする――
こうやればいいという衝動のまま、アタシは手の平を突き出すと、そのすぐ先から鮮やかな色の炎が吐き出された。
辺りの景色はすっかり炎の赤で染まったも同然だったけど、アタシが出した炎の色は……。
どう見ても、緑色だった。