第20話 一日目。或いは浮かぶものたち
嘗て、惑星ヴェリオン全土を覆う大規模な戦争があったと記録は示す。
各国の人類は心許ない数まで減少し、何処を見渡しても途切れる事の無い壊滅的な光景……築き上げて来た文明は大幅な後退を余儀無くされるかに思えた。
一方、インフラ設備及び当時から既に高水準のプログラム型AIを為す機能部分への被害は乏しく殆どが健在も同然……地球に関する情報はネットワーク環境さえあれば誰であろうと閲覧出来る状況だった。
人口が緩やかな回復を始めると共に、生き残った人々は地球にあるとされる技術を取り入れて行き、日が重なる内に復興状態と言えるまで立て直す。
地球のアーカイブを解析し有力なものを選出しては実用化に導いたAI達による働きも大きいが……ロドキア教が生まれたのはそんな復興が進む中で――即ち先の大戦前には存在しない宗教だった。
尤も、惑星ヴェリオンにはロドキア教が誕生するまで宗教という概念そのものが無かったのだが……今は此方の話だろう。
モーフィアス号とVR機器を用いたジェイナ女学園高等部一年生達の修学旅行は全ての生徒がVR機器によるフルダイブ状態へ。
中を覗いてみればダイブした生徒達は複数のバスの中で各々が眠っているような状態……気が付き次第行動を始める者もいる中、この生徒はそこから出遅れた者の一人。
そんな少女の傍にいたシアンのアンダーリム女子生徒が声を掛ける。
「みおちゃん……みおちゃん」
長く伸びたアメジスト陰影の銀髪少女は静かな声で目の前の丸眼鏡少女を揺らしていたが……やがて、その生徒の目が覚める。
「う、うーん……」
くすんだベージュ髪の女子生徒が紺色の瞳を開きながら、そう呻いた。
一度脳を休眠状態にした後、サーバー内のデータ空間でその意識を再起動するような方式のフルダイブでは、VR機器装着後に眠りに落ちVR空間側で意識を取り戻すような事が起きるのだが……この光景はその一例と言えよう。
「あ、おはよ……さくちゃん」
隣の席の少女がそう発す中、生徒達を乗せたバスはトンネルを抜ける。
ブリリアント・エクスペリエンス・コーポレーション。『ベック』とも略されるベンチャー企業が今回用意したVR空間は地球の日本の西部にあるとされる京都、奈良、大阪……それらの主要観光名所や景色を詰め合わせ構築したもの。
トンネルを出て視界が開ける中、生徒達を出迎えたのは程よい風に乗りながら多めに舞う、桜の花弁の群れ。
VR内での修学旅行一日目の季節設定は春だった。
地球にあるとされる日本最大の湖、琵琶湖の面積はおよそ六百七十平方キロメートル……その形状を忠実に再現した湖の周囲に、前述の観光名所などを集結させた一辺四十キロメートルの立方体から成るVR空間は端と端が繋がっており、各オブジェクトはそれを前提に配置されている。
ひとまず『修学旅行エリア』と呼称してみるが、ここでは生徒が感じる一時間は現実世界では二分二十四秒。現実世界で三時間が経つまでにこの修学旅行エリア内では二十五倍の七十五時間――実に三日と三時間を過ごす事となる。
◆
「やっぱり……水準的には充分ヤバイ食材だよ、これ」
アタシが銀髪ピーコックグリーン陰影の綺麗な女の人を目撃してから数日後のメイの屋敷にて。今日もアタシはお抱え料理長が使うべき厨房でお料理。
メイが一流の味を食べたい時と食べたくない時の判断基準が気紛れ過ぎて、アタシが適当に料理する時と料理長が料理する日の割合が安定しない。最近はアタシの方に偏ってるから……そろそろ逆転しそうかな。
昨日は使う食材を厳選する為に料理長が同じようなものを大量に集めてたけど、アタシの目の前にあるのはその中から選ばれ無かった方。
だけどちょっと質が悪いからって捨てるのは本当に勿体無いくらいな高級食材の数々でもある。
一流の味しか認めない雇い主なら最上級の食材を選りすぐる過程で上級の食材は弾かれ、雇い主にとっては価値が無いものなので……廃棄される。
「でも。おいしく食べられるものをすてちゃうなんて、もったいないよ」
メイの屋敷に来て一年と経たない内にその事実を知ったアタシはメイと料理長を前にそう言ったけど……まずはメイが答えて、お抱え料理長の言葉が続いた。
「非効率的だけど、出来不出来にバラツキがある食べ物を扱うからには避けて通れない事なんだよねー……それがウチでは随分と厳しいだけで」
「最高で在り続ける為には最高の食材を見極める眼力を常に養い、最高の味に触れ続けなければなりません……中途半端なものをお出しする事など出来ません」
「最高じゃないものは最低なものだから棄てるって考え方かな。お客さんを招いた時に目の前で残飯ガツガツってわけにもいかないからねー……まぁ、でも」
飄々とした口調のメイだったけど最後の方で少し声色が変わって、こう続けてた。
「わたしとしては胃袋の中が宝石とガラクタでごちゃごちゃになってる方が楽しそうだから、まなちゃんが作った手料理を食べれる日があるのもありだけどねー」
そんなメイの唐突な提案に当時のアタシは深く考えもせず、
「え、じゃあ……アタシがさいこうじゃない、しょくざいをつかってりょうりできるようになれば……?」
何て言ったもんだから、最初の二年は調理道具の汚れの落とし方と手入れの仕方を教わって……その間にダメ過ぎる食材の見分け方とか食材の種類とか、料理長が片手間に教えてくれたんだよね。
自分で使う調理道具はアタシ一人で手入れ出来るようになって、食材の質を落とさない調理方法の中から簡単なのだけ教わって……だんだん学業やメイと遊ぶ事を優先するようになってったから本格的な事は未だに教わって無い。
料理長は自分の研鑽を優先する人だから、教えてくれるとは思えなかったし。
そんなわけで今アタシの目の前にあるのは昨夜料理長が海鮮料理を作る過程で弾いた、次善とそれ以下の海の幸の数々。
例えばこのエビはやたら大きいけど、身全体に栄養が行き渡ってないとかの理由で弾かれたんだろうね……このムール貝何てやけに小さかったり。
下ごしらえした、かなりの数の魚介たちと刻んでおいた余り物の野菜をオリーブオイルを入れた圧力鍋に……次にこのフタ外しても、もうひと手間あるんだよね。
というわけでアタシが作ってるのは『ブイヤベース』っていう鍋料理。
食材の味がもろに出る料理だけど、料理長は本命の料理に使う海鮮スープを用意する為だけにブイヤベースを作る時が結構ある。
そんな風に一つの料理を作る為に幾つもの料理を作るから……アタシがこうして料理するようになってからは黙って三日は掛けて料理するようになったなぁ。
このブイヤベースが残ったら、明日のお昼用に茶碗蒸し作るのもアリかな。
昔からメイの屋敷はそんなにメイドさんが多くなくてコックの数も料理長が少数精鋭主義だから数える程しかいない。
アヌビス社の汎用人型ロボットみたいなのはこの屋敷には導入されて無いけど、人型じゃないロボットなら結構いて、お掃除ロボットや監視システムは充実……その結果、こんなに広い屋敷でもメイドさんの数は片手を少しはみ出す程度。
そしてここはメイが暮らす為だけに用意された屋敷だから、アタシはメイの両親とは直接会った事が一度も無い。たまーにメイが直接、両親のいる所に出向くくらいでアタシが気が付いた時には、その用が済んで帰って来てるケースばかり。
それじゃ、そろそろフタを開けて鍋から具材を取り出すかな……そうこうする内にアタシはスープの裏ごしを始めてたんだけど、そこで――
「お元気そうですね」
程よい背丈と程よく膨らんだ胸をした女の人が声を掛けて来た。
手と顔しか露出しない白い服装だけど、その肌の色は青みのある黒い染料を帯びたかのよう……地球のロシアみたいな気候をもう少し厳しくした北方方面の人はこの青味のある灰色肌――『北方肌』なのが特徴。
そんな北方出身の女性……と言うか料理長にアタシは軽く返事。
「あ、料理長。仕込み終わったんですか?」
「まだまだです。しかし貴方の様子をふらりと眺めに来るのはいい気分転換になります」
すっかり長い付き合いになるけど、料理長はアタシに料理の手ほどき自体はして無いんだよね……そう思いながらアタシはこう言ってみた。
「結局、料理長からは食材の扱い方しか教わりませんでしたね」
「私が教えずとも、料理をするだけなら色々なレシピに挑めばいいではありませんか。あれだけ食材の扱い方を教え込んだのです……普通の料理をただ失敗せずに作るだけなら、困るような事は無いでしょう」
結構前に食材の扱い方が雑なコックがいて、気が付けばアタシと料理対決する事になって、指定されたのが簡単な料理で何とか作れたと思ってたら……相手の食材の扱い方に落ち度があったからアタシが判定勝ちしてそのコックは解雇。
そんな感じで容赦が無いよ、料理長は。
「では、私は作業に戻ります」
ふらりとアタシに挨拶して、すっと去って行く。そういう関係がもう長い事続いてる……そろそろ十年かな。
立ち去る料理長に軽く手を振ったけど、裏ごし作業を済ませたスープに絞り切った野菜以外の具材を入れ直して……再び煮込む。
圧力鍋だから普通の鍋より煮込む時間は短いけど、中から聞こえて来る音が何だか温かくて、ぼーっとしちゃう……そういえばメイド長は南方肌だったなぁと思い浮かべてたら、
「クマ子とハルカは今頃、船の上かぁ……」
突然、考えてる内容が変わった。
噂の豪華客船の先行お披露目キャンペーンに参加するクラスメイトに付いてったんだよねー……ブイヤベースどんな味になったかなぁ。
◆
「ダイサカ……あ、大阪か!」
「じゃあハナ。この神社は何て読む?」
「んー、なんとかナニ神社?」
「……せめて稲だけは読んで欲しかったなぁ」
「でも、読み方……稲荷」
修学旅行エリア内に於いて一日目。
ユウ、ハナ、ヒマの三人組は琵琶湖が一望出来る旅館の一室でどの場所に行くかという話で彼女らなりに盛り上がっていた。
京都、奈良、大阪の主要観光名所を網羅したこのエリアが為す様相を例えるなら大阪城の隣に京都の名所……そんな傾向の配置が随所に見られるが、そもそもこのエリアの中心で広がるのは滋賀県にあるとされる琵琶湖。
再現性への考慮など最初から無いわけだが……ここでハナがユウに訊く。
「にしても、生徒会で固まって行動すると思ってたから一緒の班になれるとは思って無かったなー」
「データ空間なら権限さえ与えられれば、いつでも連絡取れて、問題行動起こした生徒を好きな場所に飛ばせるからね」
「ゲームと同じなんだから建物壊しても誰にも迷惑掛かるわけじゃ無いのに……罰しちゃうんだよねー。あっ! 壊さないよ?」
ここがVR空間なのは生徒全員が認識している為、ハナのような意見を持つ者もいるが、ジェイナ女学園生徒会副会長である紙通湯雨はこう返した。
「ここ数日何度も皆に言って来た通り、これは旅行シミュレーション。ここでの行いは実際の旅行先で起こしたものとみなして扱う。だから有形文化財を実際に壊したものとして学校側は捉えるの」
「え、えーと……今日は何処へ行こっか!」
「鹿煎餅……たべたい」
面倒事を振り切るかのように発言した那奈河華に続き、普段と比べて随分と雄弁なヒマが呟いた。
そんな少女の名は穿台瑕無というのだが……余暇という言葉に対し、瑕疵という言葉が身近では無い者が多いせいか、彼女の名を見て「ひまなし?」と首を傾げながら読み上げるものが後を絶たず、ハナの時はそれが顕著だった。
故に穿台瑕無にとって、かなと呼ばれるよりもヒマと呼ばれる方が身近となった為、今日も彼女は仲のいい級友から『ひまちゃん』と呼ばれている。
◆
「はるちゃーん! 見て見てー、シロクマぁー!」
「投影すごい……足元の氷も、きれい」
リヴァイアサン社が製造した幼少期のゴマフアザラシがモチーフの大型客船――『タイニーホワイト』の上で千熊蜜子と遠音遥は過ごしていた。
タイニーホワイトは白い産毛アザラシが放つ丸み要素と無機質に角張った機械的要素を絶妙に組み合わせたデザインだが、大きく取られた甲板部にて広がる演出もまたこの船の目玉。
先日ペリオ店内で二人が見かけた広告でも謳われていた通り、甲板部全体が専用の立体投影領域……床部分は所々に隙間のある分厚い氷が広がり、そこにシロクマやアザラシにペンギンといった極地生物の立体映像が動作付きで現れる。
数も種類も出現位置もランダムにした上で随時調節する事で極地生物に遭遇した際の感動の低下を防ぎ、手元のパーソナルデバイスで幾つかの限定楽曲を再生可能と自由度のある時間を提供。
時折現れるオーロラは頭上では無く甲板部全域に表示される為、乗客達は文字通り間近で見る事が可能。オーロラの内容は固定では無く乱数要素などで毎回違うものになるという触れ込み。
参加時に投影されたオーロラのデータは記念に持ち帰る事が出来、頭上にオーロラが見える事を重視するならば別途購入可能なゴーグル状のデバイスにより、その光景を視る事も。
「んー……いい天気。誘ってくれた、あいちゃんには感謝だよ!」
「私は武器持たされてるから護衛扱いだけどねー」
降り注ぐ日差しに負けぬ程の陽気な声を出す千熊蜜子だが、フェンリール社特製の片手持ち実弾兵器を備えた遠音遥のテンションはそれとは対照気味だった。
千熊蜜子と遠音遥の服装自体は狼垣寺冥能から急遽寄越されたパーティードレスタイプのワンピースとそのデザインに合ったお洒落な帽子。
有事でなければ護衛をする必要は無いと言われてはいるものの……遠音遥が緊張するには自らの手元に銃があるだけで充分だった。
二人と程近い場所には現在メリウスの制服枠に選ばれているビジネススーツに身を纏った少女がいて、視線を向けている千熊蜜子があいちゃんと呼んだ人物。
髪型自体はミドルヘアからのボブカットだが、癖毛の強さから清潔感を保ちながらもボサボサ状態と言えよう。水色の髪の所々にはピンク色のメッシュ部分があり比率は二割と言ったところ……二色ともかなりの彩度を放つ。
瞳は正面から見て左がやや緑色掛かった蛍光イエローで、右が黄色寄りのオレンジといったオッドアイに加え、高身長で童顔……第一印象のインパクトは相当なものだろう。
「ま、何も起きなければその銃もただのアクセサリーだから、今のところはラクにしてていいよ」
そんな特徴的な要素を数多く備える若くしてヘッジファンド会社『エネロ・ジャンヴィエール』を立ち上げ、そのまま世界レベルの企業へと導いた彼女が級友二人に掛けた声は気さくなものだった。
 




