第2話 銘璃磑《メリウス》にて
「あの誘拐犯らしき二人はレドロに食べられちゃったんだなぁ」
「何とか残骸は残ってくれたけど、やっぱり雇われの便利屋だったねー」
昨日の事件もありアタシとメイは電動武装ヘリに乗って屋上から登校した。
今は昼休み。事件に関する情報が結構集まってたので、それを眺めながらアタシはメイと会話してる……今日のアタシの髪型はツインテール。
やっぱりアヌビス社の差し金かなー……あのレーザー銃はフェンリール社のものだったけど、少し前にセールしてたから自営業の便利屋なら調達してる方が普通。
まぁ、何はともあれアタシとメイの通う学校――銘璃磑総合大学附属高等学校での日常はこうして再開。
メリウスは男女共学の名門校。お金さえ払えば卒業出来る所だって揶揄されるし実際ここでは成績はお金で買える。
そんな事がまかり通るのは、ここが弥の国に三つある大陸の一つにして資本主義特化区域首都――『猊帝』ならでは。
地図上ではひと纏まりに見えるくらいには離れ合った三つの大陸を一つに纏めて『弥の国』って長きに渡り内外から呼ばれてるけど……三大陸のそれぞれが国でもよさそうなくらい実態差があるんだよね。
授業を頑張ってるフリしてお金を注ぎ込み続ければ卒業出来るメリウスだけど、メイは純粋に学年トップレベルだから、そんな仕組みに甘える必要は更々無い。
メイまでは行かなくても実力で成績優秀な企業出身の生徒ってウチのクラスには結構多いんだよねー。クラス内の発言力が高いのもそんな面々。
アタシは居候の身ながらメイの家庭教師を共用出来る事もあり、何とか学費軽減ラインの成績をキープしてる……理数繋がりは特に頑張りたいし。
教卓背後の黒板は鮮明な立体映像で、その黒板の前でチョークを使う素振りをすれば映像が追従。実際にチョークで書いた時のような音を出すと共に描画される。
立体映像エリアには教師も投影され、担当するAIのアバターの姿は成績上位者に設定権が与えられるけど……ウチのクラスはずっとRPGで有名な横長耳の人型種族――エルフの美少女が選ばれてる。
たまに思春期の男性には刺激が強過ぎる格好してる事あるけど、そういう時って提案したのは軒並み企業令嬢なのがアタシがいるクラス……。
今回はバリエーションに困った生徒がアタシにアイデアを求めたから、袖の長い猫耳パーカーで生足スニーカーという格好のエルフ教師が数日前から見れるね。
そろそろ昼休みも終わるのでアタシとメイは教室に戻ろうと廊下を並んで歩き、前方にはパーソナルデバイス片手に寝ぼけ眼で窓際を歩く生徒の姿が。
不意に生徒が顔を上げるとメイが目の前まで迫ってる事に気付いて、両目を見開くと共に大声で叫んだ勢いのまま壁際方向へ跳び上がったんだけど……その結果、窓を開けて外を眺めてた近くの女子生徒と衝突。
「あー! ナポリターヌちゃんが!」
さっきから抱えてたカピバラのぬいぐるみを三階の窓から取り落とした事を嘆く声が廊下に響き、その叫び声を耳にし更に怖くなったのか当の生徒は一目散に逃げ出す……これは起き抜けにメイを見て、パニックになっちゃった感じかな?
そんな現場に一人の女子生徒が通り掛かる。
程よく焼けたパンケーキのような色合いの髪をしたボブカットの女の子はすぐに状況を把握したので、窓から地面まで左手を伸ばす素振りを見せる。
「はい、取れたよ」
ここからだと見えなかったけど、何が起きたかを目の当たりにした落とし主にはおそらく。
十メートル近く先の地面にあるぬいぐるみ目掛け、ヒトの手が凶暴化したような形状で異様なほど青白いあの手が伸びて行く様を目の当たりにしただろうね。
伸びたであろう手首部分の色は人体に痣が出来た時の青紫色に染まったような感じで、それをアタシが最初に見たのは……いつだったかな。確か――
「こんな手で触られるの。嫌だった?」
「そんな事は……」
「じゃあ余計な事じゃ無かったみたいだね、それじゃ」
「あ、あの!」
そう考えてたら会話が始まると見たメイが立ち止まったのでアタシも止まる。
「なぁにー?」
「本当に……ありがとうございます!」
「落ちた直後に拾っただけだってば」
「で、でも!」
この女性生徒、レドラに理解があるみたいだね。だからこそ心中穏やかじゃなくて痛々しく叫んでる……悲痛さが滲み出てるような声色は更に続いた。
「レドラって……使えば使うほど……」
「あたしのはコスパがいいから、伸ばすだけなら大丈夫だよ」
レドラは使用者の生命力をエネルギーに変換する事で力を発揮する能力。使えば使うだけ寿命が縮まると認識されててもおかしくないし……それで合ってる。
「でも……」
「お腹が減る前に使用をやめれば、その日の内に回復するから」
会話が始まってからレドラが使える女の子は屈託の無い口調を続けてる……この子の場合、言動通りに受け取っていい。
問題自体は解決したんだし、この半端な空気をどうにかしよう……アタシはメイと繋いでた手を離した。
髪型がツインテールなんだし、それらしく振る舞う事にするかな……これで無理矢理にでも明るい空気にする。
「みーっちゃあーん!」
自分では確認出来ないけど満面の余所行き笑顔で叫びながら大袈裟に手を振って近付くアタシがいるはず……声も無理矢理可愛い感じにしたつもり。
いっそキラキラした背景が似合う感じになってて、笑い声にエコーまで掛かるとか……アタシは罰ゲームで高得点を目指してるのかな?
首元まで伸びたボブカット少女はアタシを見るなり、その蜂蜜色の瞳を輝かせ、
「まなちゃーん!」
一般人にしてアタシとメイとも仲のいい――千熊蜜子はアタシと同じくらい手を振りながら元気一杯に叫んだ。
その場を離れてから、みっちゃん……じゃなくて、『クマ子』も加わって三人で教室に向かってる。何がみっちゃんだよ……さっきのアタシ、誰なのさ。
そんな気持ちを託してアタシは全身で項垂れんばかりに呟く。
「ガラにも無い事したぁー……」
「ここ最近で一番可愛かったよ。まなちゃん」
「まなちゃんってドライなようで結構ノリがいいんだよね」
無表情のまま親指を立てるメイと素朴な声のクマ子。
個人差はあるけどレドラで消費した生命力は食事を摂る事で補給が可能。一日の回復量を上回った運用を続けてると、その分だけ寿命が削れて行く感じ。
でもレドラを使い込んだ場合の影響は他にもあって、今のクマ子の手がそれをよく物語ってる。
「この微妙に大きな白い手ともすっかり長い付き合いになるなぁ」
「最初に会った頃から既にその手だったよね」
教室が見えて来た距離で左手を眺めるクマ子と、相変わらず感情が読めないけど気を許した相手には声色自体は砕けた感じになるメイ。
クマ子の左手って右手より一回りは大きくて鋭い爪が伸びてるんだけど、大柄の男性の手には負ける中途半端なサイズ。女性らしいフォルムが残り気味だから手先の器用な動きは損なわれて無い。
基本的にレドラは自らの体の一部をレドロに変異させて力を振るう能力。使用後はレドロ部分が元に戻るんだけど……段々戻りにくくなって、戻り掛け状態が続くようになり、やがて一切戻らなくなる。
「発現した日に使いまくったからなぁ……遠くの物がこの手で取れる。それだけで嬉しくってさ」
「例に漏れず、わたしのアルマは制約が多いから、そもそも無駄遣い出来ないんだよねー」
メイのアルマは見た事あるけど、仕様に関しては専用アプリが欲しいくらいエネルギー管理とかが面倒で、常に温存して空飛ぶ乗り物として使うのが気楽そう。
そう思ってたら、クマ子がぼんやりと呟いてた。
「アルマかぁ……はるちゃんも使えたねぇ」
そんな会話があった昼休みの終わり頃。クマ子の声と表情には自らを嘆くような様子とかは無かったけど……一貫して何処か寂しそうだった。
やがて迎えた放課後。アタシはメイと一緒に職員室へ足を運ぶ。
メリウスの教員は大半がAI――つまり実体は無いプログラムで賄われてる。
人間なのはAIを導入した時よりも優れた教え方をする教師と体育実技に長けた教師が少しいる程度……常駐の教師となると更に減るね。
今アタシの目の前にいるのは成績優秀なクラスにだけ割り当てられ、いつ他校に引き抜かれてもおかしくないレベルの教師。うちのクラスではお馴染みだね。
その先生の右上半身は血が滲んでて、人間の皮膚とは思えない歪気味な形状を為し、右腕の前腕からは完全にレドロになってる。
右側の顔をその紅茶が更に赤くなったような前髪を伸ばす事で隠してて、髪自体は首を少し過ぎた辺りで切ったミドルヘア。瞳はターコイズブルーなんだけど……もう片方の目が人間のままなのかは悪戯に確認したく無いなぁ。
そんな岐埼嶺夏先生が昨日アタシとメイを助けてくれた人物で、全身をレドロ化する事で身体機能を大幅に強化する感じのレドラ。
ご覧の通り、力を使い続けて人間部分が大分失われて来てる……そろそろ右脚にもレドロ部分が及び始めてるのかな。
それにしても今日のレナ先生はお洒落だ。花などの模様部分を除けば黒と言える和服をアレンジしたドレスで、体の右側部分を通す為に大胆に裁断。
レナ先生の右側部分が丸出しでも喜ばれそうに無いから露出に躊躇が無いけど、大きく膨らんだ方の左胸はちゃんと見えないようにしてるね。
脚部分を覆うには心許ない形状だから、今は右脚が丸見えで……やっぱり脚の付け根辺りにレドロ化が進んだ箇所が少しある。
全身が人間だった頃のレナ先生を見てみたいなぁ、って会う度に思う……今でもこんなに綺麗な女性なのに。
「贈った服。気に入ってくれたようですね」
「こんな高い服を破くみたいな事……事前にそうするって伝えた上で買ってもらわないと出来ないわね。……ありがとう、狼垣寺さん」
助けてくれたお礼をメイは昨日の内にしてたんだね。じゃあアタシも……。
「レナ先生。昨日は本当にありがとうございました。月並みな言葉で申し訳ありませんが……」
「可愛い生徒がさらわれて、駆け付けるだけの力が私にはある。変身中も理性を失わずにちゃんと手加減出来たし。まだまだ教師を続けられそうだわ」
レドラを使い続けて理性や知性を失って行くケースは数多い。
レナ先生は変身する度にその辺が低下していないかのテストを受けてるけど……ずっと高得点を維持してる。
その時がいつ来るかは分からないけど、続けられる限りは続ける――
この言葉はもうすっかりレナ先生の口癖。
ヒトの体が徐々にレドロになって行くという光景を目の当たりにしたせいか昨日考えてた事が再燃した……機械ネコの方。
ネコを徐々に機械化して行くのに対し、ネコ形状の機械の方にネコ部分を増やして行って最終的に全てネコ部分にするという逆転の発想。
昨日は完全機械化したネコと全く同じものを目指して最初から組み立てて行き、完成した機械ネコとこれから機械ネコと同じ構造になる機械化前のネコ……その三匹のネコは全て同じだと言えるものなのか、みたいな事を考えてたけど。
今脳裏に浮かんだ事も合わせて考えると――
生身のネコをお手本に、全く同じ細胞構成でネコを構築して行き、最終的にネコと同じものが出来上がった場合……それは、ネコなのかな?
そんな話題をレナ先生に振るのもおかしな話で、他の話題にしようと思ってたらレナ先生が少し気遅れ気味にアタシに聞いて来た。
「あの、アイギョウさん。いつも思うのですが……本当にアイギョウさんで宜しいのですか?」
アタシの名字は愛と行の二文字だけど……それでアイギョウと読まないんだから初見殺しも甚だしい。
毎回説明して相手に訂正させる事になるのが嫌なのと、アイギョウさんと呼ばれるのは別に嫌いじゃ無いからレナ先生にもそうお願いしてる。あと――
「同世代ならともかく、大人の方から『まなちゃん』は流石に……」
正直クラスメイトから、まなちゃんと呼ばれるのも気恥ずかしい……メイやクマ子やハルカくらい仲のいい間柄から呼ばれてやっと、受け入れられるか怪しいってくらい。
だから大して親しく無い人、目上の人、尊敬する人からは『アイギョウさん』と呼ばれるくらいの距離感が、丁度いい。
「そもそも、『まな』って名前じゃないよねー」
メイが悪戯っぽい声出したけど本当に、アタシの名前はこれでいいのかと事ある毎に思う……例えばここに黒板があったとする。
まず黒板に玉と響と書く。玉響と読むこの漢字だけど……送り仮名を振った上で玉の方を黒板消しで消す。すると響という漢字と送り仮名の『ゆら』が残り、その文字がアタシの名前なんだけど……いいの?
これが許されるなら足袋と玩具の一文字目を消して……とかも許される事になるけど……ねぇ、いいの?
弥の国の『弥』一文字だけ書いてヤノクニって読むのも乱暴だけどこれは略式的なもので……いやまぁ、ゆらという名前自体は好きだけど。
「まぁ名字の最初の文字だし……」
読み方も合ってる事だし、と思い浮かべながらアタシが半ば投げやり気味に答えてから程なくしてレナ先生との会話は終わり、メイに手を引かれてアタシ――
愛行響は職員室を後にした。