第19話 そんな生徒達を乗せて、三時間前
ジェイナ女学園高等部一年にして生徒会長――月海咲朔夜。
高等部一年に近付くに連れて学園の生徒会長に相応しい人物であると生徒達の間で謳われ続けて来た彼女が生徒会長になるのは時間の問題だった。
副会長の紙通湯雨は大きな校則違反行為は無い成績上位常連で、月海咲朔夜が生徒会長に立候補した際に出ていれば対抗馬として申し分無かったほど。
紙通湯雨が出馬しなかった事に疑問を持っていた月海咲朔夜が当選後、紙通湯雨に副会長になるよう持ち掛けた一幕も。
そんな実力で選ばれた副会長に対し書記に選ばれた美幌風海香の仕事ぶりを見るに、優秀とは程遠いが戦力外とも言えない様子。
ミスはするものの月海咲朔夜がカバー出来る範囲内であり、注意されればそれに対するミスは減って行き、慣れた作業の速度と効率は向上する。
お荷物という程では無いが優秀な人材としては力量不足と言えよう。
そんな美幌風海香が生徒会役員なのは生徒会長となった月海咲朔夜が書記に任命したからに外ならず、要は月海咲朔夜が傍に置きたかった身内枠。
「では私がその機材を取って来ます」
「わ、私も行きます!」
そんなある日の生徒会室。会議に使う資料を投影する機材を取りに行く話になった矢先、名乗りを上げた紙通湯雨と中等部二年の女子生徒。
他の三役と違い、生徒会長補佐という名の雑用枠は入れ替わりが激しい事を想定しており、問題を起こさずとも生徒会長の一存で常に変更可能も同然。
二人が機材を取りに向かうと月海咲朔夜と美幌風海香はテーブルを囲み、くつろぎ始める。片やシアンのアンダーリム、片や銀縁の丸眼鏡だが両者共に視力は充分にあり、どちらの眼鏡にも度は入っていない。
ジェイナ女学園の校舎は地球で旧来の外観とされる内装を重んじた造りを為し、強固なセキュリティが施された場所は少ないが、そうする事で抑えられた維持費により低学費が実現している側面も。
故に認証式自動ドアなどは無く、施錠されていなければ生徒会室の引き戸は関係者以外でも開ける事は可能……その光景が今、訪れた。
「ゆうちゃん! いるー?」
戸をひと思いにスライドし発言したのはミドルヘアでレモンイエローの髪の所々に緑色掛かった部分があるカッパーアイの女子生徒。
部外者ではあるが知らぬ顔では無かった為、月海咲朔夜が応対。
「ユウなら物を取りに行ってる。戻って来ても会議だし、今日はもう帰るのが得策かな……あとね、ナナカワさん」
続けて月海咲朔夜は目の前の高等部一年の女性生徒――那奈河華に伝えた。
「そろそろ生徒会室内も外部に漏らしたくない情報ばかりになって来るから、状況が落ち着くまで生徒会室には近付かないで欲しいんだけど」
「今だと修学旅行の情報かな?」
その問いに対し月海咲朔夜は表情を変える事は無かったので、ハナとも呼ばれる女子生徒は違う質問をした。
「こっちの情報はいいかな? ……トランプタワー?」
ハナの視界には月海咲朔夜と美幌風海香がテーブルの上で何か作業をしているように映っているが、テーブルの上には何も無い。
それでいて何かを手にし空中に積み上げるが如く動作を見て、二人がトランプタワーに興じていると思いながら発言したハナだったが……そう予想するのは難く無い程、この生徒会室内ではよくある光景と言えた。
ジェイナ女学園がある区域は猊帝に住まう者からすれば田舎町と映る余地はあるものの猊帝で普及している主な技術や商品はこの辺りの住民にも浸透している。
故に空中で何かを操作している者を見かければ、その手元にあるパーソナルデバイスで投影している画面を操作していると判断出来る者は多数を占める。
ウインドウは厚みを感じぬ程薄いのが主流だが、投影中に向かい合わせで覗かれても内容が見えぬよう設計されており、その上で様々なデザインのものが販売され表面にのみ文字などを映し裏側は模様部分を維持するというシンプルなものも。
表示する文字などのオブジェクト裏側を常に背面模様と一致するような処理をしたい条件とも言え、裏面を模様では無く単色にすればオブジェクトの裏をその色にするだけで済む。
もしもウインドウを周囲では無く、自分の視界にのみ投影する事が出来れば高い機密性を得られるが……それを実現するのが視界拡張デバイスで、主流となる形状は視界全域カバーが可能なゴーグル型。
月海咲朔夜と美幌風海香が装着しているのは眼鏡型と小振りだが、パーソナルデバイスの内容を眼鏡越しの視界に反映させ、それを二人の間だけで共有出来るように月海咲朔夜がリヴァイアサン社に作らせたもの。
現在二人の間で視えているトランプは商品価値に疑問を持つほど像が薄めだが、二人の間で使うだけなら不足は無く、例え両デバイスが壊れても気軽に再生産出来る使い捨て仕様となっている。
「そうね」
ジェイナ女学園の生徒会長が空き時間に生徒会室でトランプを興じている事自体は何の問題も無い為、そう明かした月海咲朔夜だが……そもそもハナとは二人だけでババ抜きをしていた時にどの札を取るべきか相談した事もある間柄。
因みにその際に迷っていたのは美幌風海香の方で、トランプがあるのはこの辺だろうとハナが指差し、その結果が何だったかは美幌風海香の表情変化が乏し過ぎてハナには判らず仕舞いという場面だった。
月海咲朔夜には常々思っている事がある。
他に担い手がいなかった場合、自分がリヴァイアサンを継ごう――
自身が出来る限り優秀な人材になる事を目指すのは飽く迄も、満足な候補がいなかった時の保険に留まるのだと……故に月海咲朔夜は自らがリヴァイアサン社後継ぎ候補筆頭と謳われる状況は一時的なもので終わるという認識を抱いていた。
そんな令嬢を持つリヴァイアサン社だったが、常に強硬手段を取るフェンリール社とアヌビス社の在り方を踏まえると、この会社は異様に映るかもしれない。
例えば人気スポーツチームや個人ブランドがあり、それが企業に買収されたとしよう。フェンリール社やアヌビス社ならば自社の名前を前面に出した名称への改名を強要する中、リヴァイアサン社は元の名前が使われる事を前提に買収を行う。
敵対的買収自体はリヴァイアサン社も盛んに行っているものの買収先からは友好的に受け取られる傾向が非常に目立ち、その後のトラブル発生率が他の企業と比べ圧倒的に少ない。
それもフェンリール社とアヌビス社のように事前に反抗する者を排除するような手を使わない上で。
その為かリヴァイアサン社が買収を行おうと利用者が反感を抱く事は無く、買収された事も忘れて利用し続ける者も数多い。
「ユウに用件があるなら私が伝えておくけど?」
月海咲朔夜からそう言われたハナは、一瞬だけ考え込んだような表情をするものの……やがてこう返す。
「んー……終わってたら連れ出したかっただけだし、それはいいや」
それを受け、手にしたトランプの角でテーブルを小突き続けるような事をしている美幌風海香を眺めながら月海咲朔夜はハナに言った。
「そう。それじゃあ当面は」
「うん。生徒会室に遊びに来るのはやめて、大人しく遠くで時間潰しして待つ事にする」
会話を終え程無くするとハナは戸を閉めて生徒会室を後にし……暫く廊下を歩いた先にてパーソナルデバイスで2Dゲームをプレイ中の女子生徒に声を掛ける。
「ゆうちゃん今日は忙しいってー。あと、しばらく生徒会室には迂闊に入れ無いから事前に打ち合わせみたいな事しないと合流出来ないかも……」
左右でリボンの色が違う女子生徒はハナに向けていた視線をゲーム画面に戻したが……更にこんな事を言われる。
「ところで例のミニゲームのスコアアタックの調子はどう?」
「……もうひといき」
「まさかそのミニゲームをやり込んでやっと狙えるスコアの達成が隠しダンジョンを出す為の条件の一つだ何てね……ちょっと酷いかも」
「あ、惜しい」
ミニゲームをプレイしてる方の女子生徒がミスをしてゲームオーバーになったのを見るやハナは手を差し伸べ、こう言った。
「じゃ、帰ろっか。ひまちゃん」
やがてハナはヒマと呼んだ女子生徒を連れ、学生寮へと戻って行った。
◆
「本日は我らブリリアント・エクスペリエンス・コーポレーションが開発中の旅行プロジェクトのテスト運用にご参加頂き誠にありがとうございます」
モーフィアス号が離陸体勢に入る中、ジェイナ女学園の生徒達へ向け船内のシステム全てを制御するAI――『ドリー』の音声が流れていた。
「ジェイナ女学園の生徒の皆様はフルダイブルームへお越しください。全ての機器のメンテナンスは完了しています。万全で快適なパフォーマンスによる――」
人数分のVR機器が用意された部屋まで女子生徒達が移動する中でのアナウンスだったが、そんな中、この生徒達の会話は盛り上がりを見せていた。
「ドリーって本当に直球なネーミングだよねー」
「モーフィアスも夢繋がりだそうだけど、こっちはドリームって英単語知ってるだけで丸分かり」
「最後の一文字取っただけだよねー……安直過ぎて」
「となると、レドロも安直になるのかなー」
「どう、だろう……? 英語のオーダーを逆に並べた造語だけど」
「この場合、規則正しく並んでいるって意味だよね。そんな単語を反対から読むから」
「滅茶苦茶に並んでるって意味になるんだとか……あとレドロに基く能力を持つ者はレドラって呼ぶ」
「レドラと言えば副会長……と言いたいけど、レドロ化部分が全然無くてあの身長の方が目立ってる」
「でも普通、目立つ外見部分がレドロ化するものなんだよねー。街中で不自然に体の一部を隠した人見たら……察しちゃう」
「生理的嫌悪止む無しな気持ち悪い見た目になりがちだから……大変だろうなぁ」
フルダイブルームが視界に迫れど尚も喋り続ける女子生徒二人だが……その後ろには一人歩みを進める別の女子生徒の姿も。
ジェイナ女学園はロドキア教を信仰する生徒が多い事でも知られ、この女子生徒のようにロドキア教の首飾りを身に付けている生徒も散見される。
正六面体と正八面体の二つを合わせた高透明度の立体がロドキア教のシンボルだが、正八面体のサイズは正六面体部分の面ひとつを正面から見た際の菱形が正方形の各辺の中点を結んだものとなるのが理想とされている。
この女子生徒の首飾りはそんな立体を一定角度で正面から仰ぎ見た際のシルエットを板状にし得られた稜線を表面に刻んだもので、エンプレスに成れなかった中から採れる第一段階を素材にした安物ながら充分な透明度と強度を持つ。
――今日わたくしはロドキア様を感じる事が出来るのでしょうか。
心の中でそう呟いた彼女は今回集まったジェイナ女学園の中で最も敬虔なロドキア教徒だった。
惑星ヴェリオンの主要宗教ロドキア教を簡単に紹介するならば、全ての機械的な存在は神ロドキアの使徒であり、それはネジなどの部品一つ一つにも及ぶ。
ロドキアは使徒を通して信徒達の行いを見ているという教えがロドキア教にはあり、周囲が機械で溢れたこの時代では如何なる時もロドキアに見られている事になるが……だとすれば――
これより始まるフルダイブ式VR機器により構築される仮想空間。自身の頭部にデバイスを装着し、全てが機械的なデジタル空間だけで構成された世界は……ロドキア教徒からしてみれば常に神の眼差しに包まれた状況となる事に。
それを信徒たる彼女がどのような想いで臨んでいるのかは……ただ厳かに歩みを進めている様子から窺う事は困難か。
そんな女子生徒から離れた位置に、先の生徒らでは無い、会話に興じる生徒達が二名ほど。
「空の旅をしてる間にVR空間で修学旅行……面白いアイデアではあるけど」
「やる事はVRルームに籠って皆で集団幻覚を見ましょう、だからねー」
「傍から見るとすっごい地味……機材さえ持ち込めば学校の体育館でも出来た事だし」
「ま、こうして皆で空の上にいれば体育館と違って外部から悪戯される心配も無くなるから、案外セキュリティが確保されてるって事じゃない?」
「んー、でも落ちないか心配だよー」
「電源が? こんなに大型の船から供給されてるのに七時間くらいの飛行の間も保て無いとか、有り得ないと思うけど」
「いや、船が……何かあったらVR解除して避難させるだろうけど」
「そこはそれこそロドキア様に祈っておけば? どうか無事に修学旅行が終わりますようにー、って」
「仮想的な存在にお祈りねぇ……まぁ、例え存在しなくても困った時に祈れる対象がいるって、普通に心強いよね」
最後は周囲にロドキア教徒がいない事を確認した上での発言だったが……ジェイナ女学園ではロドキア教に関する知識が浸透しているのであって、誰もが深い信仰を捧げているわけでは無い事が判る会話と言えよう。
一連の光景はこの日の午前九時を過ぎた頃――モーフィアス号から爆炎が上がるおよそ三時間程前に繰り広げられたものだった。




