第15話 ……まぁ、穏やかな日々
「ちぃっ!」
こんな女のバッグをすれ違い際に奪い取るなんざ楽勝だぜ。
そう思って道端で引っ手繰りを働こうとした男性は女性から抵抗を受け、狙った獲物を奪えずにいた。
「あぁ、面倒くせぇ!」
数分が経過し始めると男性は掴み合ってるバッグから一旦手を放す。
「きゃっ」
その瞬間もバッグを引っ張っていた女性は後ろに吹き飛ばされるかのように尻餅を突き……思わず閉じられた女性の瞳が再び開かれると男性の表情は苛立っておりやや大振りの刃物まで手にしていた。
おらっ! さっさとその高そうなバッグを寄越しな!
廉価なミスリル合金製ナイフを女性に突き付けた暁にはそう叫ぼうと思っていた男性が右手で握るナイフを伸ばし始めた、その直後――
柄を持つ部分に何かが当たり、手が痺れるような痛みを受けた男性はナイフを取り落とし……ナイフが落下し始めるや銃声が響き、その場から遠ざかるような軌道でミスリル合金製ナイフは弾かれて行った。
「痛っつ……」
一発目は樹脂製の弾丸で二発目は実弾による狙撃だったのだが、男性が思わず手を抑えようとし始めた次の瞬間――
男性に捕獲用ネットが放たれ、傍にはそれを発射したと思われる武装を抱えたアヌビス社製のロボットの姿。
「ぐぉっ……と?」
事態を飲み込めないまま声を発した男性だが……女性自身とバッグに被害は無く後は男性が連行されるだけの光景だった。
◆
「あっ!」
そこそこ離れた場所でひったくりが起きて、相手の女性が抵抗を続ける中、ひったくり男性が業を煮やしてナイフを取り出すのを見て、リーザが叫んだ。
そんな叫び声が終わったか怪しい内に……男性の手が狙撃され、取り落としたナイフが更に銃撃されたと思ってたら捕獲用ネットが男性を覆う。
まさにあっという間に男性が捕縛され、網を放つ道具を使ったロボットに強盗犯の男性は連れ去られる……やっぱりアヌビス社製だね。
メイの会社フェンリールもああいう汎用特化の人型ロボットを作ってるけど……技術的にめぼしい権益を確保する事に注力するだけで、シェア自体を奪う姿勢は見せて無いなぁ。
内部構造を知る技術者達の引き抜き合戦が長い事続いたせいで、権利を無視すればアヌビス社製のロボットは大抵の技術者なら作れようになっちゃったし。
当面の間はフェンリールもアヌビスと同水準のロボットを製造出来るわけで兵装次第で軍用にも工業用にもなる汎用人型ロボットのシェアはアヌビスに任せ、そのロボットが装備可能な兵器を充実させる戦略をフェンリールはずっと続けてる。
「随分と真正面から事に及んだなー……この街は初めてだったのかな?」
そう言いながらメイはパーソナルデバイスで投影した平面ウインドウを操作。
今の男性の事を調べてるんだろうね……欲しい情報が手に入ったのかウインドウを閉じたメイは更に発言した。
「今回ので市民ランクが下がって……次下がって事に及んだら、その場で銃殺され兼ね無いかな」
「そう言えば……千熊さん」
「えっ?」
何かを思い出したのかレナ先生がクマ子に話し掛ける。
「先生は頑丈だからと傍にいた犯人と一緒に機銃掃射を受けた事があるわ。事前に防御するよう言われ、先生に直撃した弾丸は無かったけど……」
「えーと?」
引き続き困惑するクマ子に対しレナ先生は厳かに言う。
「そういう意味でレドラは有事の際に人間扱いされ無い時があるの……普通の人間には致命傷でも、私くらいなら軽傷にすらならないからと。先生個人としては気にしてはいないけど、こういう事がある度に自分が人間とは掛け離れた存在だという事を思い知る羽目になるから、人によっては――」
その度に心が傷付く事になる……とでも続きそうだったけどレナ先生はそれ以上は言わず、少しの間沈黙してから真剣さを帯びた口調で続けた。
「だからレドラでありながら生身の人間と扱いが変わらない事で落ち込むだ何て、私には感心出来る事では無いわ」
AI側はレナ先生を巻き込めば迅速で被害を抑えた対処に繋がると踏んでやっただけで、乱暴に扱ったという認識は無さそう……論理的にはレナ先生を怪我させる意図の無い選択肢だし。
「うーん……」
クマ子はまだ自分の中で整理出来て無い様子かな……さて、そろそろ話題を変えよう。丁度お腹も空いて来たし……アタシは言った。
「そろそろお昼にしない?」
「お店探さなくてもさっき見かけたテーブルまで戻って出前頼む事も出来るねー。わたしが払うよー」
メイがしれっと皆に昼食を奢る事を言ってると、控えめな声が聞こえて来た。
「んー……じゃあ。前から食べたかった味のピザ……試しても、いい?」
振り向けば、おさげ髪を両肩流しした女の子が向かって来てて……そのいい感じに鮮やかなアメジストの瞳も可愛いけど、やっぱり陰影部分に強い青味の出る銀髪が印象的だなぁ……アタシの髪の色も特殊な方だけど。
「あ! ハルちゃん!」
そんな遠音遥ことハルカに気付いたクマ子がさっきまで消沈気味だったのが嘘みたいに元気な声を出すと、レナ先生が続いた。
「と、言うと……あのピザかしら。狼垣寺さんのお言葉に甘えさせて頂くわ」
「リーザの補給はまだまだ大丈夫ー!」
こうして六人に増えたけど頼むのは五人前なんだよね……リーザの食べ物と言うかエネルギー源は燃料とバッテリーのハイブリッドで、いざとなったら充電するだけでも何とか動く。
「そう。地球にあったというタイ料理と、お魚の鯛を組み合わせた……」
「……念の為、もう一品頼んでおこうか。普通めのヤツ」
ハルカに続いてアタシが提案してみたけど……さて、どうなる事やら。
◆
愛行響がタイ料理とタイの切り身を併せたというピザを気の合う者達と共に食した翌日。銘璃磑総合大学附属高等学校ことメリウスの教室にて。
「遠音さん。昨日はお疲れー」
「当たり前のように頼りにされて、当たり前のようにこなしてるね」
「可愛い見た目で人知れず皆の役に立ってる……格好いいなー」
遠音遥のいる席の周りを取り囲むように集まる同じクラスの女子生徒達の姿が。
「え……でも、あれって」
心当たりはあるものの一般公開されていない情報を当然のように知っている言動に遠音遥が動揺する中、またも女子生徒達が一斉に発言する。
「あー、私ら三人ともその手の情報、定期購入してるから」
「そういう情報にお金を惜しんでたら他との差が開く一方だよ」
「知ってる人はウチらみたいに遠音さんを注目してるんじゃないかな?」
昨日の引っ手繰り犯が捕縛されるまでの二発の弾は遠音遥の狙撃によるもの。
一帯の管理AIの要請と指示に従った遠音遥による行動の詳細は安くは無い料金を払いさえすれば誰でも閲覧可能で、その閲覧者の情報は記録される。
自らが閲覧した履歴を秘匿するとなると更なる高額料金を支払う事となり、その操作を行った者の情報は管理AI側のみが閲覧可能となる。
詰まり女子生徒三名が昨日の強盗未遂事件の詳細を閲覧した履歴もまた、支払った者には知り得る情報であり、それを承知の上で三人は利用している。
そんな仕組み自体は知っていた遠音遥だったが富裕層では無い彼女には支払う額がかなりのハードルに見えていたのにも拘らず、目の前の三人が易々と越えていた事実に困惑の色を隠す暇も無い様子。
「やっぱり今の内に遠音さんをウチの会社の護衛に誘っておこうかなー」
「卒業までにあの会社、持つの?」
「遊び感覚でやってる子が少ないから普通に競争が激しい……」
メリウスならではの部活動話を前に更に圧倒される遠音遥だったが、そんな会話の場に一人の女子生徒が近付いて行き、
「はるちゃーん」
屈託の無い声でそう呼び掛けたのは千熊蜜子。それを受けて慣れないクラスメイトに囲まれ委縮気味だった遠音遥の表情が目に見えて軽いものとなる。
「あっ……みっちゃん」
無表情気味だった顔に明るさが灯り、嬉しさが滲み出た声色でそう呟くのを見た周囲の女子生徒は遠音遥に近付く千熊蜜子を特に阻む様子も無く、遠音遥と言葉を交わした後、そのまま手を繋いで教室を去る二人を暖かい目で見守るのみ。
「じゃ、部活行こっか……早く上場したいなー」
「メリウスには就活無いって言われるけど、これが就活みたいなもんだよね」
「就職するんじゃなくて自分で職場を作っちゃう」
資本主義に特化した猊帝のある大陸の中でもメリウスの特殊性は際立っていた。
一般的な部活動が存在し無いも同然で、卒業生が立ち上げた会社の引継ぎ運営や生徒自ら新しく起業……企業運営スキルに乏しい生徒はアルバイトという形で雇用され、それがメリウスに於いて部活動への所属行為となる。
学生業との兼任となる為、一般企業よりも制約が多いが、卒業前に上場を果たし卒業後に他の企業と変わり無く活動するケースも然して珍しい事では無い。
そんな事をせずとも自分の親の会社を継げる立場の生徒は数多いが、親が健在な内に自らが起業出来る事自体を魅力的に捉える生徒も少なくは無い様子。
このような形態を成す学校は国際的に見てもメリウスのみであり優良企業の令嬢や子息の中から実力ある者がこの部活に関われば、並の企業を圧倒する存在と化す事態が幾度も起きて来た。
そんなメリウスの制服事情もまた特殊なのだが……教室を出た遠音遥と千熊蜜子は廊下で何気ない会話をしていた。
「はるちゃーん。今日どうするー?」
「んー……」
「はるちゃんの家でゲームとかして過ごすのもいいし」
「そうだねー」
「あたしの家にお泊りするというのも……今お菓子いっぱいあるし」
双方深い考えも無しに喋り、次に口を開いた遠音遥はその傾向が顕著な様子。
「どうしよう、かなぁ……」
そんな会話をしながら仲良し二人組はメリウスを後にし、帰路に就くのだった。
◆
三大陸からなる弥の国の総面積は地球のオーストラリア程度。猊帝がある大陸は東側で、西側の大陸の主要都市は『傲栄』と呼ばれている。
猊帝が資本主義に特化しているならば傲栄は宗教社会特化と言えよう。
猊帝側の大陸の西には女学園があり、北側の大陸から見ても傲栄の方に近い位置にあるその学び舎は、傲栄での主要宗教である『ロドキア教』の影響を受けた生徒が多い事で有名だった。
そんな小中高一貫の『ジェイナ女学園』の実態は如何にメリウスが特殊要素で溢れていたかが際立つほど標準的で、男子禁制の全寮制ではあるが地球で永らく一般的だったとされる体育系や文化系の部活がどれも充実している。
校舎に至っては地球でコンクリートが主流だった時代のものに沿うようミスリル合金や第一段階止まりのエンプレスを主な素材に用い、その外観や内装を再現。
メリウスに通うのは富裕層とその従者が主となるが、ジェイナ女学園は私立にしては低めの学費で高水準の教育を受けられる為、低所得者層にも人気を博す。
進級条件と素行による退学判定が次第に厳しくなって行く為、ジェイナ女学園の卒業生は企業にとって高いブランド力を放つと言えよう。
そんな名門校のとある放課後にて、校舎とは離れた場所にある学生寮へと向かう二人の生徒の姿があった。
「みおちゃん」
「なぁに?」
少女二人は眼鏡を掛けており、声を掛けられた方は丸眼鏡。
「眠い?」
「……すこし」
アンダーリムの方の女子生徒は目の前の少女の顔を暫く眺めた後、
「そっかぁ」
と優しい声をそっと被せ、それを受け丸眼鏡の少女の顔が僅かに緩んだようにも見えたが言葉を発する事は無かった。
丸眼鏡の少女の髪色はくすんだベージュで、その長い後ろ髪を二股に分け御下げにし、使っている髪留めの色はアンダーリム少女のフレーム部分と同じシアン。
そんな少女の紺色の瞳を飾る丸眼鏡のフレームは細く銀色で、その消極的になりがちな挙動も相まって地味という印象が目立つのかもしれない。
いつも隣にいるアンダーリム少女の髪がアメジスト陰影の銀髪と目を引く上に、彼女の親がリヴァイアサン社の社長なのもあり不釣り合いな絵面という意見が出る余地のある組み合わせ。
尤もジェイナ女学園の生徒達には仲の良いお馴染み同士の光景としか映っていないようだが……この二人も居合わせるモーフィアス号の事件から数え、半月ほど前となる日での一幕だった。




