第12話 燃え、残ったもの
その日、二人の少女は猊帝内に数あるショッピングモール『ペリオ』の中にいて巨大な建造物は横倒しのアンモナイトを模していた。
黄色いシャツに青の短パンの少女が千熊蜜子、安っぽい青のサメパーカーを着た少女が遠音遥……それが二人の名だった。
本日この場所では彼女達のクラスメイトである彩雨陽子の父親が会長を務める『レインシエラ』による企業イベントがあり、それに緊張する彩雨陽子に付き添うという案に乗った二人は仲のいい面子と共にこの場に集まっていた。
そんな日の午後四時二十分。
レインシエラのイベント開始まで残すところ十分の中、千熊蜜子と遠音遥の二人は会場となる一階中央広場を目指していた。少し前までは四人の女性達と一緒にいたが、今は別行動である。
千熊蜜子の速い足取りに遠音遥は臆した様子を見せながらも追従していたが……ここで千熊蜜子が立ち止まり、遠音遥も同じ理由で足を止めた。
「何これー。可愛い!」
「赤ちゃんアザラシ型の豪華客船……可愛い」
モール内の至る所で設置された立体投影装置の一つが今映していたのはリヴァイアサン社と大手旅行会社によるコラボキャンペーン動画。
先日大々的に発表された幼少期のゴマフアザラシ型客船『タイニーホワイト』の姿は二人の間で好印象のようだ。
「ちょっと贅沢な船の旅に貴方も揺られてみませんか? 只今ツアー第一弾の予約受付ちゅ――」
そんな広告音声が流れる最中、イベント会場となる一階中央広場で大規模な爆発が巻き起こった。
その音に驚いた二人が振り向くと、視界を覆う程の炎が迫っていた為、動揺した千熊蜜子はレドロ部分である自らの左手で何とかしようと思ったものの行動が定まらぬままバランスを崩し、傍にあった突起物に頭を強めにぶつける。
倒れる千熊蜜子を受け止めようとした遠音遥だったが、錯乱して駆け出していた通行人に気付く間も無く衝突……僅かな時間で三人の気絶者が生まれた。
それから暫くが経って千熊蜜子の意識が戻り掛け、
「クマ子、クマ子……」
そんな声が傍らで響いて来た事により、千熊蜜子は再び意識を手放さずに済んだのだが……まだ朧げな様子。
「う、うーん……」
目を開けた千熊蜜子の視界には黒ずんでいながら銀髪のような光沢を放つ髪色の少女が鴇色の瞳で此方を覗き込んでいた。
「えーと……」
「あ、みっちゃん……起きた」
目の前の少女の名を思い出している間にサメパーカーを着たおさげ髪の少女の顔が視界に加わるが……意識がまともになって来た今、千熊蜜子は呟く。
「あー、そだそだ。おはよ……まなちゃん、はるちゃん」
愛称で呼ばれた愛行響と遠音遥は千熊蜜子に、爆発騒ぎが起こり既に事態は収拾したという情報を与え……その後、三人は歩き出した。
「よくわかんないけど……あちこちに燃えた跡があるねー」
「私もさっき目覚めたばかり……何が何やら」
「服とか結構焦げてるけど……火傷とか大丈夫?」
そう言う愛行響が着るアザレアモチーフのポンチョにも少し燃えた痕が。
何気なく会話をする中、三人は自分達がこの場で出来る範囲のチェックをして行き、緊急性の高い症例は無いという判断に至った。
「それにしても情けないなぁ……あたしレドラなのに」
断続的な会話が続く内に千熊蜜子がやや声を張り上げ、遠音遥も発言する。
「レドロって火災現場とかでも普通に活動出来て、溶岩の中でも平気な個体もいるんだっけ?」
「水中での活動も出来るって聞くけど……」
愛行響が首を傾げ気味にし、千熊蜜子は残念がるような表情で言う。
「やっぱり左手がレドロなだけじゃ、その辺の恩恵って得られないのかなー……」
「恩恵……見た目は変わるし寿命に関わるし。マイナス圧勝……?」
「……それだけ人間に近いって事じゃないかな」
少しの間だけ考え込むような様子を見せた後に愛行響が淡白な声を出したが……人間という単語を発した際、愛行響が寂し気な表情を浮かべていた事に気付く者は誰一人としていなかった。
やがて時刻は午後五時半に。
本来ならばタイランによるパーソナルデバイスの新機種発表を見に集まった者達で会場が埋まり、今頃はその内容に騒然としていたかもしれないが……舞台となる場は大きな半球面を描くように抉られ、周辺は先程まで調査が行われていた。
穿たれた一帯を優に覆う程のミスリル合金の板を用意する事自体は難しくは無いようだが……ここでイベントに関するアナウンスが流れる。
「本日予定していたイベントの時刻変更をお知らせ致します。レインシエラの発表を十八時、エージャのファッションショーが十九時より開始……タイランの新機種発表は本日中にネット内にて行う運びとなりました」
イベント自体は行うという情報に対し、店内にいた人々の声が相次いだ。
「うぉおお! やるのか!」
「こんな状況だけど……無事だった人も結構多いし、営業再開した店舗も少なくないからなぁ」
「見渡す限りの火の海だったのに、気が付けば全部消えてたのも大きいって事か」
「今日のイベントすっごく楽しみにしてたんだー……嬉しい!」
既に全ての重症者の救助活動は終えておりエージャ側のデザイナー自身及び出展する衣服の方にも被害は無い。
タイランがこの場では発表しなくなった為、レインシエラが前座に見える恐れも無くなり、残った両社はイベント開始を少し遅らせる意見で一致する事となった。
「まなちゃーん。席こっちだよー」
「延期になってたら、この気持ちがどれだけ長引く事になるか不安だったけど……あぁ、ああ……やっぱり緊張する……」
狼垣寺冥能の隣で体を震わせる彩雨陽子。その傍らにはドロシーの姿もあった。
そして時刻は午後五時四十五分となり、
「何か変なガセ記事があるー。レインシエラ重大発表肩透かし、タイランの新機種に厳しいコメント相次ぐ……どっちもまだ発表されて無いんだけど」
「やめてぇええ! 今私にそんな話、しないでぇえ!」
千熊蜜子の記事見出し読み上げに悲痛な叫びを上げる彩雨陽子の姿があった。
「事前に記事がばら撒かれるように仕込んでおいたのかなー。六時になった辺りでファッションショーの方でも似たような記事が流れたりして」
「皆で嘘見出しの予想でもする? ……悪ノリが過ぎるか」
狼垣寺冥能の無関心気味な声の後に愛行響が続くも次第に発言を悔いて行く表情を見せる。
フェンリール社の令嬢が予想した通り、午後六時を少し回るとエージャのファッションショーを非難する記事が投稿された。
「へぇ、この記事。用意したそれっぽいコメントがリアルタイムで書き込まれて行くようになってる……よく出来て……あ、そろそろだね」
そんな手の込んだ嘘記事に狼垣寺冥能が感心を示す中、遂にレインシエラの発表内容が明らかに。
程無く会場は沸き立ち、直後に巻き起こったネットでの反応も併せるならば……大いに盛り上がったと言うのが落とし所だろう。
◆
「彩雨さん! 昨日の発表、動画配信の方で見たよ! あんなに凄い発表になるって知ってればレインシエラの株、買っとけばよかったなー」
「スカイカー技術を使った新スポーツの提案とそれを実現する技術力のPR……ベンチャー企業がやるような事を老舗企業がやるってマジかよ!」
メリウスの教室にて数多の生徒が一か所に集い、その中心にいた彩雨陽子が受け答え。
「私、何にも聞かされてなかったから本当に気が気じゃ無かった……ありがとう」
空飛ぶ乗用車――スカイカーの技術はかなり充実して来たものの、根本的な安全性と大掛かりな専用設備が必要な事からアトラクションやPV作成の際のアイテム程度の需要に留まっていた。
更に逆風となったのは転送装置による技術の発達とその利用者の増加。
転送装置は対象となる物体を遠方にあるもう一つの装置に移す事を目指すもので既に物品は疎か人体を転送する技術の高速化合戦の段階にある。
大規模なインフラ整備が出来る程のコストや敷地があるなら、スカイカーよりも転送装置の為に活用した方がいい――
そんな世論が優勢であり、現にスカイカーはフェンリール社もしくはアヌビス社が話題に乏しい時期の場繋ぎに起用する時があるか、優れたスカイカーを生み出す事で自らの技術力の高さを世にアピールする為だけに開発される程度。
後者は定期的に行われる為、スカイカー自体の知名度はあるものの、コンテンツとしては見事なまでに形骸化しているのが実情である。
昨日行われたレインシエラの発表を受け、そんな状況を打開し兼ね無いと判断した者達が相次いだのか……既にレインシエラの株価は二日連続でストップ高。
昼休みには愛行響、狼垣寺冥能、千熊蜜子、遠音遥の四人が集まり、その事に触れていたが……やがてファッションショーが話題に上る。
「エージャのファッションショーよくわかんなかったけど……オーラは感じた!」
「思わぬ余興もあって印象的だったなぁ」
「中止しなかった意味……出してた」
狼垣寺冥能が会話を眺める中、千熊蜜子がまたも最初に発言。
「燃えちゃった服や花とか集めてあんなオブジェを作る何てなぁ」
「被害があったお店は普通に大損害だったから」
「それを材料にまた新しく服を作ってた……しかも複数」
ファッションショーが中断されなかったのは会話にもあった演出をデザイナーが提案したのも大きく、エージャは更なるブランドイメージの増強を果たした。
話に花が咲く光景が狼垣寺冥能の目の前で広がる中、愛行響が時折浮かない表情で沈黙するからか……やがて狼垣寺冥能が声を掛ける。
「まなちゃん。どうかした?」
「ん?」
沈んだ調子のまま返す愛行響だが、愛行響が会話中にテンションが低い事自体は珍しくは無い。しかし今回は狼垣寺冥能から見て不自然に映ったようだ。
「なーんか、今日はずーっと沈んでてさー」
「あー……」
半ば脱力気味に声を発した愛行響は心の中で呟いていた。
――もう暫くは無能力者の幼馴染を演じとくか。
そんな想いを他所に愛行響は発言を連ねる。
「ま、イベント疲れが出てるんだろうね」
言葉を発すと共に愛行響は仲のいい顔触れが会話する光景に再び目をやり、機嫌がよさそうな顔をしていたが……何処か曇ったような雰囲気も漂わせていた。
その表情は己の身に起きた事に対する悲嘆の感情を何処まで浮かべたものだったのか――
魔法少女グリーンブレイズはただ、物憂げに佇むだけだった。