第1話 猊帝《ゲーテ》にて
放課後の帰り道。アタシは幼馴染のメイと手を繋いで歩いてた。
それが三十分くらい前の出来事で、いつもは結構喋りながら歩いてるんだけど、今日は考え事があったから黙り込む事しかしてない。
例えばネコをどんどん機械化させて行って、全ての機械化が完了した時、それはネコと呼べるのか。
呼べた場合。今度はその機械ネコと同じ材料で0から機械ネコと同じものを作ったら、それはネコと呼んでいいのか――
結論を出そうとするわけでもなく疑問自体を眺めるかのように、ぼんやりと思考を巡らせてたら……少し前に他の事が気になって、考え事は中断。
今は傍に人がいる事だし……そっちを聞いてみようかな。
「すみません」
「え?」
振り向いた男性はこんな時に声を掛けて来るとは思わなかったって表情だけど、アタシは臆面も無く続ける。
「オーストラリアの総合面積っていくつですか?」
場違い過ぎる質問に男性が呆気に取られた表情になる中、違う男性が答えた。
「七百六十九万二千平方キロメートルだ」
「そうなると、この国の大陸が三つとも入る……で、いいですよね?」
自分で調べればいいんだけど……ちょっと今、『パーソナルデバイス』が手元に無いんだよなぁ。
インターネットへのアクセス及び通話が行える端末で、ものによっては平面画像だけでなく立体映像も投影出来る個人用汎用機器。
そんなパーソナルデバイスをさっき道端に落としちゃったんだよね……アタシのは手にフィットするには大きめで、板のような縦長形状してる。
「合ってるよ。まなちゃん」
ここへ来てから、ずっと押し黙ってたメイがやっと口を開く。
メイなら弥の国にある三つの大陸の各面積を覚えてるし、暗算も余裕だね。
……せっかくだし答えてくれた男性に、これを聞いてみよう。
「それにしても。顔、隠さないんですね」
「そこの女も、こんな状況でよく落ち着いていられるな」
目付きが険しい方の男性はずっと手に持ってたレーザー銃をメイに向ける。結構大振りな拳銃サイズなんだよね、これ。
廃ビルの一室と言うにはまだ小綺麗なこの場所は、アタシとメイと険しい顔の男性とその部下っぽい男性がいるだけで……静かだなぁ。
「我が社の製品ですね。ご購入頂きありがとうございます」
会釈するメイの瞳は深紅という言葉が似合うくらい鮮やかで発色がいいものの、その表情は涼しいだけで、相変わらず何の感情が宿ってるか読み取れ無い。
股下まで届く長さのメイの髪は黒に見えて紫掛かった暗清色だから、いつ見ても綺麗だし、髪型は前髪含め平行カット。如何にもお嬢様って雰囲気が出てる。
アタシとメイは別々に拘束されてるんだけど、椅子同士の距離が離れ気味ながらほどよく感じるのは、こうしてメイの様子が充分見えるからかな。
「……殺せない事、読まれてるな」
銃口をメイから離す男性。そりゃ、メイを殺すのが目的ならさっき道端で歩いてた時に力づくで捕まえる何て余計な事せずに、狙撃するでしょ……。
銃には軍事企業のロゴがあり、フェンリルと読まれがちな綴りの最後の三文字を大文字にする事でRIR部分が強調され『フェンリール』と読む事になる。
ロゴがカラーの時は小文字部分を色的に目立たなくもしてるんだよねー。
そんなフェンリール社を継ぐ事になるのがメイで、こんな風に身代金とかで誘拐される際にアタシも巻き込まれる展開とか、覚悟してた。
何しろライバル会社『アヌビス』との争いは激しさを増すばかりで、メイの会社だってこういう感じの事してるって黒い噂は昔から絶え無いから、火種が潤沢。
「よし、周辺に目立った動きは無しだ。近くに大きな乗り物がある反応も無――」
アタシが最初に声を掛けた男性が喋ってると、突然の轟きに部屋全体が揺れた。
まるで分厚い壁でもぶち破った時に出るような音だけど、実際にアタシとメイから離れた場所の壁に大穴が出来てるんだよね。
まだ粉塵の群れが収まらない中、大きめの人間が入れるくらい広く穿たれた空間にいたのは二メートルくらいの人影。
「こんな時にか!」
険しい顔の男性が声を張り上げ、もう片方の男性は情けない声を発した。
「勘弁してくれ! 何でこうも狙ったかのようにレドロが来るんだよ!」
人影と言っても、異様に発達した両腕から歪に生えた大きな鉤爪とヒトの肌に血が滲んだような皮膚からなる姿だから、ひと目で人間じゃ無いのが解っちゃう。
鉤爪の色は白っぽくて歯や骨のような質感で、両腕ほどじゃないけど二本の脚も筋肉量ヤバそう。
「案ずるな。レドロなど形がバグっただけの獰猛な獣でしか無い。一匹迷い込んだのなら銃器で撃退してしまえば済む事」
「一度に複数現れるんだったよな。一匹だけなのは運が……いや、どうなんだ」
男性二人がそう言ってる間にレドロと呼ばれた存在はその大きな右手で男性二人をまとめて横に吹き飛ばし、アタシとメイが拘束されてる椅子ごと両脇に抱えたまま部屋の壁に開いた風穴まで突き進み……跳躍した。
夕焼けにはまだ早い時間だから眼下に広がる高層ビル群とデザイナーにより生まれた多様性ある造形の群れは壮観で……こんなに高い場所にいたんだなぁ。
飛び降りて逃げるという発想はとても出来ない高さ、と思ってたら、一帯に配備されたプログラム型の人工知能――AIによるアナウンスが鳴り響いた。
技術的に人間同等の流暢な発声が出来る中、原始的な機械音声を意識した不自然な音にしてるから、こういう時すぐにAIの発言だって判る。
「レドロが発生しました。周辺の住民は速やかに避難して下さい。確認されたのは地上型七体。大型レドロの有無は現在確認中です」
その情報を受けて、アタシでもメイでも無い女性の声が頭上で響く。
「あら。本当にレドロが発生したのね」
「こういう時、先生の能力は紛らわしそう」
「AI側には登録されてますが、こんな時に見かけたら発砲ものですね」
更にそう応えた人型レドロに見えるこの女性だけど、実際にはアタシもメイもよく知る人物。
メイが言ったようにレドロは生理的に嫌悪したくなる外見になりがちだから……手元に銃とかあれば撃っちゃうだろうなー。レドロは銃弾とか普通に効くし。
「あそこに着地するのがよさそうだわ。生徒が誘拐されたと思ったら四十日振りくらいにレドロが発生……忙しいわね」
「現れる度に武器の需要を刺激してくれる有難い存在……なんちゃって」
悪戯に茶目っ気のある口調のメイだけど、既に着地は成功してて、着地先となった建物の屋上は結構広くヒビが入りながらも十分耐えてくれた。
アタシとメイを縛ってたロープは合金製ワイヤーどころか只の麻縄だったから、鋭い鉤爪で切るのは簡単過ぎて、もう足元でバラけてる。
手荒な誘拐じゃ無くて、依頼主に引き渡す為の拉致依頼だったのかもね……。
「今頃は上空にヘリが来てる手筈だから……ロウエンジさん、あとはお願い」
「わたしに命令しちゃうのかー。ま、やるけど」
不敵な声を出しながら、メイは広げた手の平を突き出す。その直後――
メイの目の前に直径二メートル弱の球状のメカが出現した。
五段階で威力評価されるレーザーの三段階目の出力を放つ部分が所々にあって、頑張れば四段階目も可能ではあるけど、それは切り札。
そんな機械的機構を呼び出すのが軍事企業フェンリールの令嬢にして、アタシの幼馴染――狼垣寺冥能の能力。
科学的で機械的なものに関しては『アルマ』って分類されてるね。
呼び出したアルマをメイは屋上の手前まで移動させ、アタシとメイはその上部に座る。ここだけは座り易い形状になってるから意外と滑落するリスクが少ない。
アルマは本当に科学に則った事しか出来ないんだけど、たまに浮遊能力を備えてる事があって、その力でアタシとメイは迎えのヘリがある場所まで移動する事に。
状況が落ち着いたからかメイがいつものようにアタシの髪を適当に弄り出す。
下ろせば腰辺りまであるアタシの髪は癖毛が強いけど、いつもいい感じに波打ってくれるみたいで、髪型の雰囲気が可愛いらしいって評判……らしい。
金属的な光沢を放つアタシの髪の色は黒っぽいものの、どうやら銀が硫黄と反応して硫化銀になったものとよく似た感じで、絶妙な黒ずみ具合なんだとか……そういえば今日の髪型は珍しく結ってなかったなぁ。
その日のアタシの髪型はメイが決めるのが昔からの習慣。
一番多いのはツインテールだけど、不愛想なアタシの表情には似合わないって、毎回思う。
寝てる時の顔は大層可愛く見えるらしく、パーソナルデバイスで写真を撮られる所まで行かなくても、佇む子たちに取り囲まれて集団凝視されてる光景になってると聞いた事が……何の儀式かな。
「大型レドロの出現を確認! 戦闘力の計測を開始します」
そんな事を思い出す中、新たに響き渡ったAIのアナウンス。
現れたレドロはこの距離からでも見える大きさで、脚がいっぱいある。
中には浮遊能力のあるレドロもいるけど、地上型ならここまで来る心配は……そう思ってたら口から赤いビームを吐き出した……まぁ、大型のレドロって大抵ビーム使って来るんだけどね。自らの活動エネルギーと引き換えに。
だからレドロは暴れれば暴れるほど弱って行き、やがて体を維持する事させ出来なくなって溶けて消えるから、放っといてもいなくなる存在。
とはいえ今のビームで周囲の建物に結構被害が出たから放置するのは危ない。
そんなレドロの持つ力を扱える能力が『レドラ』だね。
迎えのヘリまで辿り着き中に入る寸前、メイはアルマの出現を解除。直径二メートルの球体を人間用のヘリに入れるのは無理あるし。
電動で静音技術の施されたヘリによる帰路は快適。アタシはまたぼんやりと思考を巡らせ始めてた。
アルマとレドラの他に、能力にはもう一つあって……それは科学的でも無ければ生物的でも無い……RPGに触れてれば培われる攻撃魔法を扱えるみたいな感じでいいのかな?
そんな能力を発現した者はアルマとレドラに比べればごくごく少数って話で、それこそ世界有数だろうね。でも――
もしもそんな『マギア』をまだ年端も行かない女の子が使えるようになったら、それって。
そこまで考えるとアタシは思考の海に潜り込むかのように瞳を閉じて、
「魔法少女って事になるのかな……」
そう声に出したようで実際は呟いて無かったかも……とりあえず閉じていた両目を開こう。
アタシの瞳は鴇色。ピーチジュースにピンク色を混ぜれば大分近くなるかな。
充電式のヘリは無事にメイのお屋敷に到着。アタシが落としたパーソナルデバイスは回収され、メイとアタシの部屋まで届けられてた。
アタシも昔からここに住んでるわけだけど……晩御飯、今日は何かなぁ。