ドラゴンスレイヤーと反旗の姫君 呪喰
一人の少年がうずくまっている。
辺りには埋め尽くすほどのクリスタルリリーの花が咲き乱れ、一面を白銀色に染め上げていた。
白銀の花に埋もれるように座り込む少年は、膝を抱え、涙を堪えるように上を向いている。
「ここが、お前の父ちゃんの墓か?」
後ろから不意に声をかけられ、心臓が飛び上がるほど驚いた少年が振り返る。
この地方では、クリスタルリリーは古くから死者の鎮魂の花と言われている。
振り向くと同時に、一陣の風が吹き抜けた。
風と共に舞い上がる白銀の花弁。
その名の通り、水晶のように透き通った無数の小さな花弁が舞い踊り、朝日を乱反射させた。
光の反射によって、目まぐるしくその色合いを変化させ、幻想的な空間を創り出す。
声をかけた男は、それこそ、この世のものとは思えないほどの美しい光景に目を奪われた。
あの世に足を踏み入れてしまったかのような錯覚を覚える。
死後の世界とは、こういう場所なのかもしれない。
そう思った。
この感覚こそが、クリスタルリリーが死者と生者を繋ぐ花となった所以なのであろう。
少年の伸びた前髪が、風に踊り視界を塞ぐ。
前髪を正しながら、声のした方向へと視線を送り、声を発した人物を探した。
ここはワラビー村の墓地である。
墓地の入り口には、青い鎧の偉丈夫が眩しそうな表情で立っている。
その手には、小さな花束と、村で購入した地元の酒。
「あぁ、グレンさん」
声をかけられた少年、サンは久方振りの帰郷となったワラビー村で、父の墓参りに来ていたのだった。
ワラビー村の墓地は少し特殊で、クリスタルリリーの花畑の中に、ぽつぽつと錫製の杭が刺さっている。
水晶のように煌く花畑に、鈍く光る銀色の墓標。
その杭の一本一本に、奉られる家名が彫ってあるのだ。
その中に、彼の父、サムバの墓標もあった。
サンは墓参りのたびに、この景色を眺めるのが好きだった。
声をかけた男であるグレンに、彼は返事をする。
「ええ、父さんのお墓です」
言葉と共に示す視線の先には、同じく錫製の鈍く銀色に輝く一本の杭。
姓は無く、ただ「村の戦士 サムバ」とだけ彫られていた。
グレンは持参した花と酒を墓前に手向け、静かに手を合わせた。
『確か、この少年はサン・ジェルマンと名乗った。
姓があるということは、歴史ある血筋という事。
その父の墓に姓を掘らぬ理由はない。
父親にはせいがか無い、となると…実の父親じゃないのか?
訳あり…か?』
口にこそ出さなかったが、つい疑問が頭をよぎる。
こういう時には、自身の鋭い観察眼を恨めしく思う。
何かと目敏く、常に余計な事を考えている自分がいる。
「お姫様の具合はどうですか?」
このところ、サンは決まって同じ質問をする。
機械的に、毎日。
「ああ、変わらずだ」
険しい顔つきのまま、グレンは答える。
これもまた、毎日同じ返答だ。
この国の王女であるヘザーが倒れてから、丸4日が経った。
彼女は、未だに目を覚ます様子がない。
首筋に巻きついた黒い茨模様の痣は少しずつ太くなり、色の濃度を増していく。
全身から汗が吹き出し、時折うなされるように呻き声をあげる。
サンが森の薬草で体力回復の回復薬を煎じてみるが、彼女には既に飲み込む力さえなく、むせて戻してしまう。
特製の回復薬はサンが50年もの年月を費やして研究し、あらゆる調合を重ねた自信作であったが、飲み込まなくては効果が発揮されるはずもない。
まずは呪いの解呪が先決である。
ウェリントンの精霊魔法で呪術の進行を遅らせ、水分を直接体内に送り込んではいるが、もはや時間の問題であった。
体力の限界は、すぐそこまで来ている様子だった。
水の精霊魔法では、この茨のような呪いを解呪する術は無いという。
申し訳無さそうに謝るウェリントンを責める事など、誰にも出来なかった。
村には医師がおらず、薬師がひとりいるだけなのだが、やはりと言うべきか、何も出来ず、お手上げの状態であった。
交代で看病をする事になり、4日目の夜はサンが看病をする事になった。
相変わらず苦しそうな寝顔を見つめながら、ため息をつく。
この人のために、僕は何も出来ないのか・・・。
サンは己の無力さを恥じた。力が欲しい。
そう強く願った。
コンコン。
ドアがノックされ、心配そうな顔をしたアインスが部屋に入ってくる。
冷め切った部屋に暖かい空気が混じる。
やはり、幼い頃から勉強係として成長を見守ってきたからか、特別な感情があるのだろう。
初日は「姫様、姫様」と、慌てふためくだけで、ものの役にも立たなかったが、今では冷静さを取り戻している。
「サン君、考えてみたんですが…もしかしたら、君なら、姫様を救えるかも知れません。」
突然の発言の意図が分からず、サンは驚きの声をあげる。
「どういうことですか?」
アインスは神妙な表情で、自身の考えを話してくれた。
「呪術や祈祷といった目に見えない力というのは、魔法という分野に集約されます。しかし、それはあくまでも自然の理の中での出来事に他なりません。必ず科学的な法則性や自然との共存共栄といった関係性で成り立っています。今回の姫様にかけられた呪いは闇属性に分類されるものです。より強力な闇には喰われ、光属性には弱い。そういう方則があります。」
サンには言葉の意味が理解出来なかった。
少し困った顔をして、次の言葉を待った。
「つまり、君の強力な不死者の力、闇属性の力で姫様の呪いを吸収する事が出来るんじゃないでしょうか。
これはあくまで仮説なのですが、吸血鬼には生ける者の生命力や闇の力を奪い、糧に変える能力があると聞きます。
君と契約をしたというイザベルは、一説には真祖吸血鬼。
高位の魔族です。
その眷属である以上、君にも同じような能力を受け継いでいる可能性があるのでは、そう思ったんです」
彼の話は難しく、内容の半分程しか理解は出来なかったが、思い当たる節はあった。
空腹な際に、食事の代わりに草花の精気を吸い取る事が出来、栄養に変えられる事をアインスに伝えた。
「おそらく、生物でも出来ると思います。怖くて試した事はないけど・・・。
それを呪いの力に対して使えばいいんですね?
難しそうだけど、やるだけやってみます」
自身でも半信半疑ではあったが、もう残された時間がない事は、彼女の容態が物語っている。
苦しそうに顔を苦悶に歪め、尚もぐったりと横たわるヘザーを見つめ、サンは覚悟を決める。
まずは言われるがまま手をかざして、念じてみる。
暫く、うんうんと唸っては見たものの、何も起きる気配はない。
やはりダメか…と、アインスは肩を落とした。
サンも諦めかけたその時、ふとイメージが湧き、首筋の黒い茨模様に指を当て念じてみた。
食事をするように、呪いの力を喰らう様を想像する。
バチっと黒い火花が指から飛び出し、指先に黒い模様が吸い込まれるような感覚がある。
サンは視界が赤く染まっていくのを感じた。
ドクン、ドクンと脈動が激しくなる。
「喰らい尽くせ。呪喰」
自然と言葉が口から飛び出していた。
バチ、バチバチッバチバチバチッッ!!
黒い茨の痣が、吸い込まれるように指先から吸収されていく。
指先から体内へと流れ込んでくるのを感じ、体が熱を帯びる。
熱を伴った魔力が全身を巡り、自身が活性化されていくのが分かる。
指先まで、巡って行くのをまざまざと感じる事が出来る。
麻薬のような快楽を伴った衝動が、全身を駆け巡る。
思わず目を見開く。
魔力の中に、異物のようなものを感じた。
呪いの力と共に、悪意に満ちた感情がサンの体内に流れ込んできたのだ。
それと同時に、断片的な映像が脳裏をよぎる。
それは、まるでフラッシュバックのようだった。
虚ろな目をした、だらしない表情の男が見える。
その無気力な顔は落ち窪み、まるで生気を感じない。
口からはだらしなく涎が糸を引き、床を濡らす。
豪華な椅子に腰をかけ、王冠を戴いている。
恐らくはこの国の王なのだろう。
王の傍には、胸元を強調したドレスに身を包んだ女が一人。
ドレスは黒を基調とした、肌を露出した際どいものだ。
彼女の艶かしい肢体は、蠱惑的な魅力に満ちており、まるで完成された彫刻のように見事という他ない。
その頭上にはティアラが輝いている。
女が、王に何やら語りかけている。
王は、虚な表情で女の進言を盲信し、実行する。
サンには、その女が、直感でイザベラだと分かった。
しかし、彼の知っているイザベラとは、表情や纏っている雰囲気がまるで違っていた。
女神のような神々しさは、一切感じない。
その姿は、人を惑わす魔族そのもの、背筋が凍るような美しさだった。恐怖すら感じた。
映像が切り替わり、もう一人の男が現れる。
その手には赤黒いペンダントを手に持っている。
件の呪いのペンダントはこの男が用意し、王へと手渡されたものだった。
この男が…。サンは言いようのない怒りを覚える。
その男は毒蛾のような装飾の悪趣味な眼鏡をかけ、でっぷりと太った容姿で、それは不潔そうな印象を抱いた。
「いい出来ね大臣。あなたの魔導具はいつも面白いわ」
満足げな表情を浮かべるイザベラ。
そこで突然映像が途切れる。
もっとだ!もっと寄越せ!全身に巡る呪いの力が新たな血を欲していた。
ヘザー の美しい首筋が目に入る。白い細首はとても美味しそうに見えた。
「そこまでです!サン君!戻れなくなる!」
突然、アインスに肩を強く揺すられ、サンは現実へと引き戻された。
「なんて…酷い顔をしてますよ。」そう、アインスに言われ、ふと窓を見た。
まだ仄暗い外界とを遮断する様に貼られた窓ガラスに自身の顔が映る。
そこには恍惚の表情を浮かべた悪魔のような形相の少年が立ち竦んでいた。
その目は真っ赤に輝き、まるで宝石のような妖しげな輝きを爛々に放っていた。
「これが僕…?!」
途端に恐怖を覚え、サンは自身の肩を抱き震えた。
「サン君、大丈夫ですか…?!あ、姫様が!姫様を見て下さい!」
アインスが驚嘆の声を上げる間に、ヘザー の顔色はみるみる良くなっていく。
黒い痣はすっかり無くなり、顔色にも赤みが差してきた。
暫くすると、呼吸もすっかり安定してきた。
サン自身も言い出したアインスでさえも驚きを隠せかった。
その後、脈を測ったりしていたアインスが深く息を吐く。
「もう、大丈夫でしょう。ありがとうサン君」
アインスは安堵の表情を浮かべ、目には薄っすらと涙すら浮かんでいる。
サンも自然と涙が溢れてきた。
この呪われた力が、誰かの役に立つなんて思わなかったのだ。
未だに先程の力に飲み込まれてしまいそうな恐怖は残っている。
だがそれよりも嬉しさの方が勝っていた。
いままで碌に寝てなかったのだろう。
安心したアインスは、急に目蓋が重くなってきたらしく、眠そうな目を擦りながら、夜食用に作り置きしておいたサンドイッチを頬張り、苦い珈琲で流し込む。
サンドイッチは、昼のうちにサンが料理したものだ。
亜竜の肉をハーブで揉み込み、白ワインで蒸すようにローストしたものと、ワラビー村特産のチェリートマトとフレッシュチーズをパンに挟んだ。
亜竜はグレンが道中に狩ったものだった。
下処理として血抜きがされており、臭みは抑えられていたので調理はしやすかった。
料理をしている最中にウェリントンとリムが頻繁につまみ食いをしに来た。
肉の臭みを消し、柔らかくするための香草がいたく気に入った様子だ。
料理を他人に振る舞うのはサンにとって初めての事で、他人に喜んでもらえる事が純粋に嬉しかったのだ。
部屋中に淹れたての珈琲の芳ばしい香りが漂う。
「う、ううん・・・」
その時、眠っていたヘザーの目が薄く開いた。
ぼんやりとした視界には見知らぬ天井。
瞳だけであたりを見回すが、状況がよく飲み込めていない様子だ。すっかりと衰弱しきった身体は、重くて思うように動かす事が出来なかった。
アインスが手短にこれまでの事情を説明する。
「姫様、ご無事で良かった!彼が命を救ってくれましたよ。皆さんもです。衰弱した体力が回復するまでには、もう少し時間がかかります。まずはゆっくり休みましょう」
ヘザーはゆっくりと体を起こし、サンとアインスを交互に見る。
いつのまにか夜は明けており、窓からは朝日がうっすらと差し込んできた。
オレンジ色に輝く朝日を受けた彼女は、一層美しく見えた。
吸い寄せられるように顔を近づける。
顔色を確かめるためだったのだが、思ったより距離が近くなってしまった。
先程までの涙を拭うため、顔を擦る。
見ると拭った服の袖口が赤く染まっている。
魔力の巡りがよくなり過ぎたゆえか、興奮状態による反動か、いつのまにかサンの鼻から鼻血が出ていたようだ。
「おいおい、興奮し過ぎだぞ少年。お姫様相手にそれはマズいだろ」
背後からの声にハッとして背筋を伸ばす。
振り返るとドアが開いており、グレン、ロイド、ウェリントン、リムがこちらを覗いていた。
グレンは、にやにやと意地悪そうな笑みを浮かべている。
まるで悪戯を思いついた少年のようだった。
部屋での騒ぎを聞きつけ、様子を見に駆けつけたのだ。
「いや、これは違うんです!能力を使った反動というか・・・なんか体が熱くなっちゃって、勝手に・・・」
しどろもどろと説明を始めるサンに、思わず吹き出すヘザー。
部屋中が暖かい空気に包まれる。
二人の様子につられて皆も笑い出した。
ヘザー はこれまでの人生を思った。
王女であるが故に、産まれた時から特別扱いを受けるのが当然であった。
ヘザー はこれ程までに気さくに接してくる人々に出会った事が無かったのだ。
顔色を伺う様子もなく、裏表のない言葉を浴びせる。
彼女にとって、まるで生まれ変わったかのように新鮮な体験だった。
いつも目覚めると、シャンデリアが嫌味なほどに輝く見知った天井が視界に広がる。
一日中スケジュールがびっしりと詰め込まれ、自由に部屋の外に出る事などは許されない。
まるで豪華な牢獄である。
せめてもの抵抗にと、騎士道と武術を学びたいと我儘を言って外に出る機会を作った。
常にお目付けの監視が側にあったが、それでも騎士団に混じり武術の稽古をする時間は開放感でいっぱいだった。
唯一の楽しみといってもいいほどに、大切な時間となっていた。
騎士団共に、城を出て遠征に同行する機会が過去に一度だけあった。
それは領地内で暴れ回る真竜討伐の任であった。
そこで初めて観る外の世界はあまりにも残酷で美しく、生涯忘れる事はないだろう。
討伐に向かった山は、王都から行軍して丸3日かけて辿り着ける遥か遠い地。
雪山では一面に広がる真っ白い雪原が広がっていた。
雪は見た事があった。
城の中の自室の窓から観る景色は、どこか別の世界の出来事のようで、温度を伴わなかった。
空にはいくつもの浮島が漂い、興味を引く遺跡や植物が顔を覗かせる。
空中に漂う手のひらほどの大きさの雪の結晶が幻想的な世界を彩っていた。
本の中でしか出会えなかった景色がそこには広がっていた。
その雪の冷たさに、圧倒的な景色に異常なほど興奮したのを覚えている。
一人の冒険者によって真竜は討伐され、竜騎士団の面目は丸潰れという歴史に残る苦い結末ではあったが、その際に見た荘厳な雪山の白化粧と、真竜の返り血で真っ赤に染まった冒険者が一人で佇む姿。
その色の対比があまりに鮮烈で美しく、今でも脳裏に焼き付いている。
まさか暗殺されそうになりお城を飛び出した挙句、その冒険者と一緒に旅をする事になるなんて。不思議なものだと彼女は思った。
運命なんて、大抵はこんなものなのかもしれない。
碌に体も動かせないくらいに衰弱していたが、今は不思議と清々しい気持ちでいっぱいだった。
部屋中に漂う珈琲と美味しそうなサンドイッチの香り。
香りを嗅いだ事で、自身が空腹な事に気付く。
アインスが手渡してくれた白湯で割ったサン特製の回復薬を受け取る。
ヘザーは、まるで新たに生まれ変わったようだと思った。
「ありがとうサン。アインス。みんなも。こんなに素敵な朝は初めてよ」
女神のような微笑みを浮かべ、皆を見回す。
金色の髪が朝日に照らされ、後光のように輝いて見えた。
外では夜明けを告げるホーロー鳥が、威勢良く鳴いている。




