死神と呼ばれた男
これは後に、世界最高峰の力を持つまでに至った、一人の男の物語。
彼はまだ8歳…どこにでもいるような少年であった。
名前はファル ド ランス。
生まれ育った村は、田舎ではあるが、貧しさを感じさせない緑豊かな農村だった。
大きな変化も娯楽もない毎日ではあったが、それなりに楽しい日々を送っていた。
「おれは勇者ガリオンだー!とりゃー!」
少年ファル ド ランスは、幼なじみのモルブと共に、いつものように勇者ごっこをしていた。
どこの街角でも見かけるような、ありふれた光景である。
「俺様は魔王だー!勇者なんかに負けないぞー!」
勇者ガリオンが魔王を討ち取ってから、早100年余り。
世界には多少の魔物や魔獣が蔓延ってはいるが、概ね平和と呼べる日々が続いていた。
勇者ガリオンの冒険譚は、少年少女たちの教科書とも言える物語だ。
ここで、勇者がみんなから力を貰い魔王を倒すというのが、いつもの流れではあったが、この日は少し違った。
「どんな強い魔王だって、このファントムには勝てないさー!」
勇者役のはずのモーブの口から、見知らぬ単語が飛び出した。
「ファントムって誰?新しい勇者?」
気になったファル ド ランスは険しい顔を作っていた魔王役から素に戻り、素直に尋ねた。
「違うよ。世界を救う人達の集まりの名前だってさ。
この世界の何処かには、その人達が作った最強の暗殺者を育てる神殿があるんだぜ。その暗殺集団がファントムって名乗ってるんだってさ。旅の冒険者さんが言ってたんだ。」
モーブは腰に手をやり、得意気に声を上げる。
彼は村で唯一の酒場の息子であった。
夜な夜な店の手伝いの際に、旅人や冒険者の話を仕入れて来ては、こうやって得意気に村の子供達に聞かせるのだった。
今回の話も、店の客から聞かされた話なんだろう。
彼が持ってくる話の大半は、酔っ払いの戯言だ。
ありもしない財宝の話や、いるはずもない恐ろしい魔獣の噂から下卑た猥談まで、なんでもござれといった感じだった。
それでも娯楽に飢えた田舎の少年達にとっては、そのどれもが魅力に満ち溢れた話ばかりだった。
世界を救うために暗殺を繰り返す集団なんて、熱狂的な思想に身を委ねた危険な宗教団体に他ならない。
だが、子供である彼らには知る良しもなかった。
暗殺者、世界を救う伝説の組織、魅力的な言葉の羅列に妄想を膨らませて楽しんだ。
「さあ二人とも。おやつの時間よー」
ふいに、モーブの母が子供達に声をかける。
彼女が作るお菓子や料理は、とても美味でこの味を求めて酒場へ通う者も少なくない。
「こら、モーブ!行儀が悪い。いただきますが先でしょう」
蒸しパンに伸ばした手をピシャリと叩きながら母がモーブに告げる。
「そうだぞモーブ!この食前の挨拶は儀式だ。命をいただきますって意味なんだからな。食材に感謝して命をいただき、自らの糧とするんだからな」
「わかったよー」
叩かれた手の甲をさすりながら、渋々とモーブも手を合わせる。尊敬する父親の言葉には素直に従うようだ。
このいただきますという行為や含んだ意味が、ファルドランスには妙に府に落ちた。
そんな平和な日常は、突然、終わりを告げる。
はじまりは、一人の男の突然死からだった。
酒場で飲んでいた男が、突然血を吐き出して倒れたのだ。
誰もが、飲み過ぎか持病でもあったのだろうかと思った。
翌日、昼間の往来で女がこれまた血を吐いて倒れた。
昨夜死んだ男の情婦であった。
偶然にしては出来過ぎだ。
流行り病かと、周囲の緊張感が増す中、さらに犠牲者は増えていった。
女が働いていた酒場の女将、翌日にはその亭主と息子。
息子というのは、モーブだった。
翌日には、その周囲の人間といった具合に、どんどん人が倒れていった。
誰もがなす術などなく、その脅威は圧倒的な速さで村全体を飲み込んでいった。
一週間後には、村人の9割が死んでいた。
ファルの叔父は行商人で、たまたまその期間は二人で近隣の村へと行商に出かけており、生き延びたのだった。
彼と叔父が村へとついた時には、全ての村人は横たわっていた。
ある者は川に浮かび、ある者は寝室で寝たままの姿で死んでいたのだ。
恐ろしい程の短時間で死に至った事が想像できた。
その後、国の調査が入るも原因は一向に判明せず、流行り病という事で処理された。
不思議な事はその後も続き、何故か生存者であるはずの叔父が捕縛される。
「こんな凄惨な大事件が起きて、運良く生き延びるなんて怪しいやつだ!」
なす術なく連行される叔父をただ見つめていた。
「待って!叔父さんは何も悪くないよ!」
ファルの叫びは届かない。
「お前も関係者か?」
それどころか、衛兵の一人がファルにまで手を伸ばす。
ファルは隙を見て逃げ出した。
しばらくは近隣の林に身を潜め、様子を伺う事にした。
王国の調査団は、一つの決定を下す。
村の周囲一帯は封鎖され、全てを焼く事となった。
事実上の証拠隠滅である。全ては無かった事とするのだ。
炎によって土地を浄化する、というのが彼らの言い分だった。
後々分かった事だが、当時ご執心だった神への儀式、その捧げ物だったのだそうだ。
それは、ちょうど軍が秘密裏に開発していたウイルス兵器の実験台も兼ねていた。
ウイルスは熱に弱く、火で焼けば死滅する事を軍は知っていたのだ。
村を見渡せる秘密の丘の木の上で、ひっそりと身を屈めながら、ファルは炎に包まれる村を眺めていた。
嘘みたいな光景の中、炎の中で崩れていく家。
村人全員が集う集会所の役割もあった教会。
夜には活気のあった酒場。
山羊と追いかけっこをした牧場。
全ての場所に思い出が詰まっているのだ。
悔しさから涙が溢れ出る。
頬を伝い、口に涙が流れ込む。
それは血の味がした。
モーブの言った言葉が脳裏に浮かぶ。
--------------「何処かに、最強の暗殺者を育てるための神殿があるらしいぜ」--------------
なんでだ…なんで僕らがこんな仕打ちを受けなくちゃいけないんだ!
僕らがどんなに叫んだところで、世界は何も変わらない。
この国を…僕が殺してやる。
暗殺者にだって、何だって成ってやる…!
その後、この辺りでファルという少年の姿を見た者は誰もいなかった。
彼が表舞台に舞い戻って来たのは10年の月日が経った頃だった。
この10年、暗殺者養成施設でどれほどの地獄を見てきたのか。
ファルの顔からは表情が消えていた。
様々な暗殺術と変装術を身につけ、最強の暗殺者としてその界隈では頭角を現した頃、突然機関を抜けた。
そして、10年で腐敗の進んだこの国の王都に、ふらりと一人の男が現れる。
黒い長髪を靡かせた、ひょろりとした長身の男。
顔は整っているものの、無表情で、これと言った特徴がない。
記憶に残らない顔だった。
ファルドランスである。
国にいた頃はまだ幼かったため、彼を知る者は一人もいない。
その日の夜、国は滅ぶ事になる。




