古の守護者と砂の牢獄 先客
ギ、ギ、ギ、ギ、ギ…。
油の切れた機械仕掛けのような、不快な音が辺りに響き渡る。
しまった!
何か危険な罠を踏んでしまったという直感が、ハシムには働いた。
振り返り、歩いてきた道を恐る恐る手にした松明で照らす。
照らした部分だけがぽっかりと色づき、そこ以外は真っ暗闇に染まった通路が続いていた。
目を凝らしてよく見ると、歩いてきた石畳の中、一つだけ色が違う砂影石に気付く。
恐らくは罠のスイッチとなる砂影石を踏んでしまったのだろう。
「くそ、凡ミスだ。こんなんじゃ“あの街”を出て冒険者になんてなれないぞ」と、独り言のように自分を叱責する。
どのような罠が作動したのだろう、下半身を微動だにせずに首から上だけで恐る恐る辺りを伺う。
彼が言う“あの街”とは、現在足を踏み入れているこの危険な古代遺跡、その南東に位置する一番近隣の街、バルカナの事である。
砂漠に囲まれた閉鎖的な立地環境の中、豊富な温泉と古代遺跡という魅力的な観光資源と、質の高い精霊石という産業資源に恵まれており、人口こそ少ないが、かなり潤っている街だと言える。
しかし、その実態は、主な産業である精霊石の利権に絡んでいる人間のみが莫大な富を得ており、採掘に携わる労働者は安価な人件費で奴隷のようにこき使われていた。
光が強い反面、影が色濃く残る、そんな貧富の差が激しい街といえる。
彼はその街で一攫千金を夢見る、よくいる貧しい少年の一人、ハシム。
遺跡の内部までいき、未だ眠る手付かずの古代の遺物を掘り出して一攫千金を果たし、スラム街から出たいと夢見ている。
街を出たら、冒険者として世界を旅したいとも。
同様の夢を、この街のほとんどの若者が夢見ている。
遺跡には多くの危険な魔物が生息しているため、命の保証はない。
実際に友人、知人が遺跡に行くと言い残して出て行ったが、帰って来たものは一人もいない。
それでもハシムは遺跡に足を踏み入れずにはいられなかった。
この街でまともな仕事に就くには、学がいる。
計算が出来る事は当然の事ながら、何よりも特別なコネクションが必要だった。
学校にも行けず、毎日毎日、精霊石の採掘場で肉体を酷使し、倒れる寸前まで働かされる日々に勉強をする隙間も余裕もあるはずがない。
それでも家族三人が食いつなぐための日銭を稼ぐのがやっとという有様であった。
幼い妹には同じ思いをさせるわけにはいかない。
母は暫く体調を崩し、寝たきりが続いている。
もはや家族が破綻するのは、火を見るよりも明らかだった。
一刻も早くこの生活から抜け出すしかない、焦りは焦りを生んだ。
妹に「数日で必ず戻る。」そう言い残し、思い立って勇んで古代遺跡に足を踏み入れたのが、冒頭の所であった。
心の準備はしていたつもりであったが、経験や道具、情報、全てが足りていない、準備不足は明白であった。
幸いにも魔物には遭遇しないまま、道中の砂漠を越えて古代遺跡の入り口を潜ったまではよかったが、その後は迷路のような道をひたすら適当に進んだ先の出来事であった。
地図も用意しなかったのかと言われてしまいそうだが、この遺跡は不思議な事に、入るたびに内部が変化してしまい、道順などは毎度出鱈目になってしまうのだ。
始めは警戒を強めていたが、行けども行けども魔物は一切現れず、単調な道が続き、気が緩んでしまった。
ギギギギギ、ガコンッ!
油の切れた機械仕掛けのような不快な音が響いた後、足下の床が一面根こそぎ両サイドに開き、ぽっかりと暗黒の口を開けた。
その暗闇の中へ、成すすべなく落ちていく。
穴の底は槍の山か、毒蛇の巣か、いずれにせよこれでもう終わりか…なんて呆気ない人生だ。
ハシムは真っ暗闇の穴の底へ落ちていきながら、「ジャスミン、母さんごめん…。」と心の中で呟いた。
……………。
「う、ううん」
どれほど気を失っていたのだろうか。
目を開けると、そこにはかなり広い空間が広がっていた。
天井は遥か高く、ハシムが10人以上肩車しても届きそうにない。
広さも十分で、見渡す限り空間が広がっており、見たところスラム街がすっぽり収まってしまうほどの広さだった。
落ちる前の遺跡は、明らかに人工的であったのに対して、現在の地下空間は、周りは岩で囲まれており、天然の洞窟のようにも思えた。
壁にはうっすらと光る苔が、びっしりと隙間なく生えている。
苔は一定の間隔で順番に点滅をくりかえし、辺りを照らしていた。
お陰で暗闇で困る事はなさそうである。
「こんな高さから…よく生きていたなぁ」
どこまで続くともわからぬ天井を見上げながら、ハシムは呟き、胸を撫で下ろした。
命を繋いだ事を素直に噛みしめる。
改めて辺りを見渡すと、自身が腰を下ろしている地面がぷよぷよと柔らかい半透明の素材で出来ていることに気づく。
どうやら、この柔らかい半透明の地面が落下の衝撃を和らげてくれ、お陰で命が助かったのだろうと推測できた。
さらに触ると、ひんやりとして心地よかった。
まるでスライムのような、ゼリー状の絨毯である。
試しに飛び跳ねてみると、かなりの弾力性があり、高くまで飛び跳ねる事が出来た。
だが、油断するとすっぽりと体が覆われてしまうほどに体が沈んでしまう。
下手をすると窒息死してしまいそうだ。
不思議な事にハシムの足下の周り一帯は、見渡す限り青いゼリー状のものが敷き詰められていたのだ。
まるで“巨大な何か”の寝床であるかのように。
「いてっ」
辺りを探索していたら、何かにつまづき転んでしまった。
手に取ると、それは白くて軽い。
ハシムには見覚えがあった。
スラム街ではたまに目にする機会がある。
これは骨である。それも人骨。
それも一つや二つではない。
よくよく見ると、至る所におびただしい量の白い骨が落ちている。
目の窪みが一つしかないものや、角が頭から生えた頭蓋骨。
おそらく亜人族のものだろう。
ハシムと同じように遺跡に挑んだ町人か旅人か冒険者辺りであろう。
他にもゴブリンやオークであろう大きさの物、四足歩行の狼か野犬の骨もあった。
スライムの中に沈んでいるのは、なにも骨だけではない。
おそらくは“彼ら”が骨になる前、生前身につけていたであろう貴金属や武具もちらほら散見される。
この寝床の主人が消化出来なかったものだろうと言うことは容易に推測できた。
つまりここは寝床であり、食事場でもあった。
この寝床の巨大さから、持ち主の巨大さを想像し、青ざめるハシム。
だが幸運な事に、その主人は今は留守なようだ。
スライムベッドに沈んだものの中からいくつか見繕い、一つの剣と兜を選んだ。
他にも金貨を5枚、指輪を一つに腕輪を一つ見つけた。
剣はミスリル(魔鉱銀)製だろうか、華美な装飾などない質素堅実な作りながら、全く錆びる事もなく鋭い輝きを放っている両刃のロングソードだ。
兜の方は比較的損傷の少ない物を選んだ。
鉄製なのだろう、酷く重くて、装備をしたまま動き回る事などできそうもない。
だが鉄製の物は常に需要が高く、簡単にお金に変える事が出来るという利点があり、ハシムはそれを知っていた。
金貨は種類によって値段もまちまちで、「作られた年代と種類、金の含有量が価値に大きく影響する」と聞いた事があったが、そこまでの知識はなく、詳しい事は分からないため、取り敢えず腰に下げた布袋に仕舞った。
問題は指輪と腕輪だ。
どちらも銀で出来ているようで、霞んではいるが鈍い輝きを放っている。
専門家に見せなければ正確な事は分からないが、それなりの金になる。そう直感した。
装飾品としての価値は勿論のこと、万が一魔道具であったりしたならば、その価値は計り知れない。
これは当たりかもしれないと、思わず顔が緩んでしまう。
だが、こういった遺跡で見つかる道具には呪いがかかっている事も多く、場合によっては命を落としてしまう事もあるらしい。
だがハシムには迷いなど無かった。
元より命を賭ける覚悟は出来ているのだ。
迷う事なく、これらも布袋に大切に仕舞い、一先ずは脱出する事を念頭に置く事にした。
落ちてきた穴の周りには大きな柱もなく、ここを登るのはまず無理だ。
仕方なく奥へ進むしかなかった。
スライムのベッドはなくなり、地面の材質は石畳から土へと変わっていくが道は続く。
さらに奥へ進むと、道が二手に別れている。
右は風の音が聞こえるが下へ降るように続いており、左は真っ暗な道を登るように坂が続いていた。
さて、どちらへ進むべきか思案していると、真っ暗闇である左側の坂道の先から「ケロロロロオオオォォォォ」と、奇怪な声がこだましてきた。
下り坂を人が転がるように落ちてきて、ハシムの足下で止まった。
転がってきた何かが、地面に這いつくばっている姿を見て驚いた。
正確には人ではなかったのだ。
全身を緑色の皮膚で覆われており、頭部にはまるっきり蛙の顔が収まっている。
噂でしか聞いた事がなかったが、おそらくは蛙人族だと思われた。
種族としては蜥蜴人と同じく水辺を好む亜人種という分類に当たる。
普通に服を全身に着こなし、服の上にはライトアーマーを身につけ、腰の後ろには刀を差している。
服の裾はひらひらと広がっており、手元は見えない。
首には赤いマフラーを靡かせ、飛び出た両の目玉をぱちくりとさせながら、きょろきょろと辺りを見回している。
なんだか愛嬌のある姿にすっかり恐怖は無くなっていたが、果たして敵だろうか、ハシムは恐る恐る声をかけてみた。
「あ、あのう」
びくっと肩を震わせ、咄嗟に身構える蛙人族の剣士。
右手を後ろに回し、刀の柄に手を伸ばす。
その素早い動きに、それなりの剣士なのだろうと思って感心していたハシムのつま先から頭の天辺までをジロジロと一瞥した。
小さめの身長に、栄養の偏りが見られる細く貧相な体躯。
見知らぬ相手である自分に対して、隙だらけで近づいてくる不用心さ。
武術の心得も無いであろう構えや重心。
ふむ、と敵ではないと判断したらしく、彼は構えを解いた。
「ごめん、脅かしちゃった?派手に転がって来たけど大丈夫?」
「いや、此方こそすまぬ。脅かしてしまったのは拙者の方であろう。拙者はヤドク。お主は冒険者か?失礼だが、見た所あまり武芸が達者な様には見えぬが、一人でこの危険な遺跡に挑んでおるのか?」
「俺はハシムって言うんだ。いや…冒険者には憧れてるだけなんだけどね。ここが危険だってのは分かってる。でも母さんや妹のためにも、何よりも俺の世界を変えるだけのお金が必要なんだ」
ヤドクと名乗った蛙剣士を真っ直ぐに見据え、正直に返答する事にした。
素性も知れない者を信用する訳ではないが、一人きりよりは心強いと思ったからだ。
こちらを信用してもらうためには嘘はまずい、そう思った。
「それで、ヤドクさんは何で上から転がって来たのさ?」
「それであった!」
ハッと表情が険しくなる。
顔が人間と違うため表情は分かりにくいが、眉間に寄せた皺からそう読み取った。
「この奥でとんでもない化け物と遭遇したのであった。早くお主も逃げねば…」
そう言った所で、場の空気が凍ったのを感じた。
ぽたっ、ぽたっ、と大粒の水滴がヤドクの頭に落ちる。
緑色の水掻きのついた手で頭についた水滴をぬぐってみると、生温かく粘り気があり、何やら腐臭を放っている。
恐る恐る顔を上げる両名。
そこには、遥か頭上からこちらを見下ろす巨大な竜の頭があった。
硬そうな鱗で覆われた龍皮に、こちらを睨むようにぎょろっとした有鱗目の瞳が怪しく輝きを放つ。
先程ヤドクが落ちて来た真っ暗闇の穴の奥から、ぬうっと首が伸びている。胴体は穴の奥で暗闇に覆われ、見えそうにない。
「こ、此奴だ!先には首がいくつもあって、その胴体は山のように巨大で、まるで歯が立たぬ。
逃げるが勝ちぞ!何しとる!
行くぞ!お主も早う走れ!」
青ざめるヤドクの号令で、二人は慌てて踵を返して走り出した。
竜の頭が二人の反応に気付き、大きく息を吸い込む。
口から眩い光が漏れ出したと思ったら、炎を吐き出した。
その炎は広範囲に及び、逃げ場のない洞窟内で、無情にも背中から炎に包まれた。