序章「願い-幼子の願い6」
加也子が願った日常が帰ってきました。
木漏れ日の中、つづら折りの道、4人の家族がテクテクと山中の林道を歩いていた。真冬というにはまだ早く、些か寒いとはいえ日差しもあり、歩いていると少し汗ばむくらいだ。
父親の手には二本の御神酒が持たれ、母親の持つバッグの中には手拭いと履物を入れられるくらいのビニール袋が用意されていた。
「加也!まっすぐ前向いて歩いてよ~。転んじゃうでしょ?」
美奈子はちょっと前に出ては、振り返りニマニマして後ろ歩きしている娘に再三小言を言っている。祖母の絹江にはペースが早いのか、時折立ち止まり腰を伸ばしては、また歩くと言った具合で、4人は絹江のペースに合わせゆっくりゆっくりと登ってゆく。
「ホントに一時はどうなるかと思ったわ。」
美奈子は何事もなかったかのように歩く悟に話しかける。
「ほんとな、、不思議なこともあるもんだ。」
脳挫傷、および脛椎損傷、腹部圧迫による多臓器破裂、呼吸中枢神経と記憶を司る海馬に著しい損傷が見られた。当初医師は、悟に付き添っていた悟の元上司に、即死でないのが奇跡と言った。
美奈子、加也子、絹江の3人が病室に着いたとき、病室には多くの医師が詰め掛けていた。カルテを見ながら、先ず繰り返し確認されたのは、悟が救急患者として運ばれた本人であるかどうかだった。
「どういうことだ?」「これはこの患者のカルテなのか?」
悟のベットの周りを埋める医師達を掻き分け、駆け寄るのは加也子。
「お父ちゃん!」
加也子はベットに駆け上がり、悟の胸に顔を埋め、ムギューと抱きついて離れなくなった。
「加也子、来たくれたのか。」
悟が聞くと、加也子は顔を埋めたままコクコクと頷く。
「貴方!」
美奈子は、加也子がこじ開けた隙間を通って近づいて来た。
「駄目かもしれないって聞いて、、飛んで来たんだよ?」
美奈子の目は真っ赤に充血していた。目からは今にも涙がこぼれそう。
「すまん。心配かけて、、」
悟は困ったように笑顔を見せる。と、張り詰めていたものが一気になくなったのか、美奈子は泣き出してしまった。
その様子を見ていた絹江は、病室の入口で
「はぁ~。」
と息をはくと、ヘナヘナとその場にしゃがみこんでしまった。
病院にとっては、医療ミスになるのか?それから3日間ほど精密検査を行った後、医師に懇ろに謝罪されながら診断結果が言われた。、、『至って健常です』。一言であった。
退院した後、元上司にこれから家に帰ること、これからは実家の農業に集中する事を伝えた。元上司は「本当にすまなかった。無理に引き留めてしまった。」と深々と頭を下げると、悟は「頭をあげて下さい、私の考えが甘かったんです。いいとこ取りしようとしてたんです。自分が人に頼られることが嬉しくて、本当に守らなければならないものが見えなくなっていました。迷惑かけて、すいませんでした。」とお互い頭を下げあう事となった。
実家に着くと、加也子が思い詰めた顔をしていた。
「お父ちゃん、、黒龍さまに御神酒持っていこ。」
子供ながらに黒龍さまとの約束を守らなけばと思っていたのだろう。
悟は、どうして?と聞き返すこともなく、
「そうだな。明日は朝からみんなでお礼に行こうか。」
そう言うと、妻と母にも一緒に行こうと誘う。
「え?、、なんで?」
とは、美奈子の言葉。
「・・・そうか、そうなんやね。御礼に行かんとならんのやな?美奈子さん、ちょっと酒屋に連れて行ってもらえる?御神酒を用意しとかなな?」
とは、絹江の言葉だ。
そして今、黒龍神社にお礼詣りに、家族総出で林道を登っている。
「ねえ、ホントに途中から裸足で行かなきゃならないの?」
美奈子は、少し息を上げながら悟に問いかける。
「ああ、神域には素足で入ることになってるんだよ。」
「えー、怪我するじゃない?ねえ、加也、お掃除に行くときも裸足になるの?」
「そーだよ。知らないの?」
加也子は少し意地悪そうに言う。
「それより、、ね、お祖母ちゃん、祝詞、もう一回教えて。」
加也子は絹江にせがむ。
「加也ちゃん、無理せんでもいいよ?お祖母ちゃんが言ってあげるから」
「ううん、、、加也が言う。ね、もう一回教えて。」
「そうかい?それじゃ最初から、、かけまくも~、はい!」
「かけまくも~」
「かしこき、こくりゅうのおおかみの~、はい!」
「かしこき、こくりゅうのおおかみの~」
「加也子、何度め?お母ちゃんの方が先におぼえちゃうよ。ね、お母ちゃんが言っていい?」
美奈子が意地悪そうに言う。
「駄目ー!」
「うーん、どうしよっかな~?」
「だぁめー!」
「ほれほれ、次は言っていいかいな?」
絹江が二人に声をかける。そのやり取りをみて、悟は笑顔が絶えない。
静かな林道、絶えない笑い声、4人はゆっくりゆっくりと登って行った。
これで、幼子の願いは終わりです。次回からは・・母の願いです。