㉓凛麗の君
翌日、参内(宮中に出勤)した義鷹は、藤中納言時盛に声をかけられた。
そう、義鷹の元許嫁に手をつけ掻っ攫ったあの『凛麗の君』である。
「義鷹、女房達の噂で耳にしたのだが其方のところで大層美しい姫君を保護されたと言うではないか?」
「っ!そ、それは…」
女好きで節操がなく、それでいて数多の女性達の心を掴んでしまう『凛麗の君』に扶久姫の事を知られてしまったと義鷹は正直、心穏やかにはおれず慌てた。
「しかも、その姫君を其方の嫁にと芙蓉の方がたきつけているとか?」
「なっ!誰がそのような戯言を!」
「女房達の噂だよ。しかし、お前のそのような慌てよう、あながち根も葉もない噂ではないようだ。よほど美しい姫君なのだな」
「な、何を言って…」
「お前、許嫁をわたしに奪われても涼しい顔で過ごしていたではないか。そのように焦るお前を初めて見たぞ」
「そ、そんな事はありません!三の姫は元々、私の事を厭うていらしたから…むしろ三の姫にとっては良かったと…」
「ほう、では噂の姫君は、お前に好意的なのか?」
「っ!そんな事は貴方様には関係ないでしょう?かの姫は純粋な穢れなき姫なのです!邪な気持ちで近づく事は例え帝の従弟であられる貴方様でも許しません」
「おお、怖い怖い。ふふっ」時盛(凛麗の君)は、意味ありげに微笑むとさっさと内裏の方へ行ってしまった。
義鷹は思った。
何てことだ!あの凛麗の君が、よりによって扶久姫に興味を持ってしまった!
不埒な方だが、男の私から見ても麗しいあの凛麗の君に言い寄られたなら、あんなにも純粋で初心な姫などたちまち心奪われてしまわれるだろう。
見た目だけなら絶世の美男である。
でもダメだ!
あの方は!
あの方だけは!
あんな…人の許嫁どころか人妻にさへ忍んで行くような遊び人なのだ。
何人もの妻を娶り飽きたらまた新しい若い妻を迎えるようなお方なのだ。
あの穢れなく美しくしかも優しい扶久姫にそんな男は、いくら美男で身分が高くとも義鷹は到底、譲れないと思った。
そして、肩を落としふっと乾いた笑いをこぼす。
「何が譲れない…だ。そもそも姫は私のものでは無いというのに…」
しかし、やはりいくら考えてもあの凛麗の君だけは、駄目である。
美しすぎるのがいけなかったのだろう。
自分自身が美しいことを『自覚』しているあの凛麗の君は、やりたい放題だった。
しかも女性たちは、遊びでもかまわないからとその身を投げ出すほどに、あの凛麗の君に憧れている。
そして一度でもあの凛麗の君に見つめられればもう虜になってしまう。
そう、狂おしいほどに恋い焦がれるのだ。
あの凛麗の君に。
そして望み叶い妻に収まった姫君たちは幸せになれただろうか?
それは”否”である!
姫君らは今も夫の寵を争い実家を挙げての戦の如き有様になっているという。
祈祷師を使って相手を呪ったり、犬の死骸を門の門前に置き捨てたりと、それはそれは醜く浅ましい行状に、従兄にあたられるお上も酷く頭を悩ませているという。
そんなドロドロとした世界など、あの清らかな扶久姫にはきっと耐え難く、不幸になるのは火を見るよりも明らかだ!
義鷹は、真剣にそう思っていた。
自分が夫になどと大それた事は考えてはいない。
だが、何人もの女性に愛を囁く凛麗の君に人として好感がもてなかったし義鷹は軽蔑していた。
そんな男になびいた元の許嫁の三の姫の事も正直、愚かだと落胆し、そんな身持ちの悪い愚か者などこちらこそ願い下げだとも思っていた。
だが、扶久姫は別だ。
扶久姫は元許嫁のような身持ちの悪い女性ではない!
清らかで男の怖さも分かっておられぬほど初心で純粋な姫なのだ。
私のようなむくつけき男にすら頬を赤らめ恥じらうような、可愛らしいお方なのだ!
もしもあの男、凛麗の君が夜な夜な扶久姫の処へ忍んで行き、無体を働いたりしたらと想像するだけで頭に血が上り耳から血が噴き出しそうである。
『絶対に、あの姫をお守りしなければ!』義鷹は固く固くそう思った。
そして、その日の参内を終えた義鷹は早々に屋敷に戻り、扶久子のいる離れに、内裏にも引けを取らぬ程の厳重な警備を強いたのだった。




