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街の道場で教えられる正統剣術は、『型』の習得に重きが置かれる。その『型』は理論上、変幻自在で、どのような敵の動きにも、対応することができる、と、正統剣術は教える。
しかし、その『型』にこだわるがゆえに、正統剣術の使い手の動きは、アシムにとって、読みやすい。
かれは自分の番が回ってくるまでの間に、ほかの試合を見ながら、この街で教えられている剣術の『型』に、見当をつけた。そしてヨシンは、アシムが想像した通りの動きをした。
――あの動きなら、獲物はいらない。
むしろ、重すぎる木剣は邪魔だった。そして実際、アシムは山賊にいたころに教えられた素手喧嘩の技で、あっさりとヨシンを折り伏せた。
ヨシンを倒してから、アシムはさっさと試合場の中央に戻る。ヨシンは地面に倒れ、半身を起こしたが、まだ呆然として立ち上がれずにいるようだった。
その表情からは、試合前には溢れるようにあった自信は消え去っていた。代わりに、やや幼すぎる、と思えるほどの、怯えたような、不安げな表情。
ヨシンはその目で、判事を見た。青くなった判事はその表情を見て、うなずく。
アシムが嫌な予感がするな、と思っていると、判事はこういった。
「アシム、判事として、いまの試合、そちらの勝ちと判定する。しかし、次の試合以降、試合中に自らの剣を離した場合には、即座に反則負けとする。」
アシムは眉を上げた。
「理由は。」
「この試験は、近衛の兵となるものの資質を確かめる試験だ。近衛となると、その剣は、司長より戴くものであり、その剣を故意に捨てるなど、許されることではない。」
「なら、おれは剣はいらんよ。あいつ相手なら――」
そう言ってアシムは、不安そうに成り行きを見守るヨシンを見た。
「――素手で十分だ。」
弟子をばかにされ、判事は顔色を変えた。さすがにヨシンも、怒りがその目に浮かんだ。
「ならん。素手の衛兵がどこにいる。戦いは剣術をもって行う――ヨシン!」
判事は声を荒げた。
「いつまでそこで寝ている。少し不意を突かれたからと言って、情けない。剣術ならばこの男ごときに、貴様が後れを取るわけがない、いや、遅れをとってはならんのだ。」
地が出たな、とアシムは思った。元から判事は、ヨシンびいきなのだ。
素手喧嘩は、近衛にふさわしくない、という理由で封じられた。分が悪いな、とアシムは思う。重たい木剣が獲物では、アシムはおそらく、ヨシンに数段劣るだろう。
それを見越してか、ヨシンは再び元気を取り戻したように立ち上がった。師匠に叱責され、また自分に有利な状況を作ってもらって、ヨシンの気力は満ちていた。
どうしたものか――とアシムが考えながら周囲を見回すと、ふと、道場の隅に並んで、試合を見学している子供たちが目に留まった。
アシムはそちらに近づく。試合場から出ていくと勘違いした判事が、意地悪く声をかける。
「どうした、臆病風に吹かれて、逃げるのか。」
手で、ちょっと待て、と答えてから、アシムは一人の少女の前に立った。
ほとんどの子供たちが、アシムが近づくと逃げ出そうとした中で、その少女だけは、アシムに向けてどこかまぶしそうなまなざしを向けて、逃げずに立っていた。
「お嬢ちゃん」アシムはその少女に優しく声をかける。「名前は。」
「ルクス。」
「そうか、ルクス、悪いんだが、剣を交換してくれないか?」
アシムがそう言うと、ルクスはこっくりとうなずき、自分の背中に負っていた木剣をアシムに渡した。
アシムは代わりに、自分の木剣をルクスに渡して、ルクスはそれを両手で受け取る。
少女の体に合わせて作られた木剣は、成人の男であるアシムには片手で扱える重さと長さだった。剣を振り、アシムがその具合を確かめて、よし、とうなずいてから試合場に戻ろうとすると、重そうにアシムの木剣を抱えたルクスがちいさく言った。
「がんばってね。」
アシムは振り向いて笑いを返す。
――どうも、おれの味方はあの子供だけみたいだな。
戻った試合場の空気は、険悪。
アシムは相対するヨシンの気配に、不穏なものを感じ取った。
ヨシンは再び、アシムを打ち倒そうとする気迫に満ちている。それだけならばいいのだが、どうもその中に、殺気、のようなものが混じっているように感じられた。
(何かやりとりがあったのか。)
アシムは内心でそう思った。
通常、剣術の模擬戦は、木剣での寸止めを行い、互いを傷つけることなく勝敗を決める。
だが、アシムがルクスとやりとりをしている間に、判事がヨシンに、アシムを全力で撃ちに行け、と言っていても、いまの状況では不思議ではない。そちらの方が、剣の勢いは増す。
木剣でも、本気で撃てば人を殺すが、万が一ヨシンの剣がアシムの頭蓋を砕いても、それは判事の裁量で、事故ということにもできる。
(ヨシンの殺気は、そうとしか思えない)
そうしたアシムの考えをよそに、素知らぬ顔で判事は試合を進めようとする。
アシムはそれを見て、これは本気でやるしかない、と、腹をくくった。片手剣のアシムの型は、できればあまり見せたくないものだったが、仕方がない。
「三戦目、開始――」
そう判事が言うや否や、互いに飛び下がり、二人は構える。
そして、アシムの構えを見た途端、判事のあごが、がくんとおちた。
ヨシンは星目。そのヨシンも、アシムの構えを見て、目を見開く。
アシムは剣を持った右手を肩越しに大きく引き、空いた左手の人指しと薬の指を、まるで照準をつけるかのようにピタリと、ヨシンに向けて突き付ける。
弓の弦を引くようなその立ち姿は、通称『引弦』と呼ばれる型。そしてその型は、
「外法……」
と、判事がつぶやいたとおり、正統剣術では許されない構えだった。