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亡国太子と近衛兵  作者: 佐藤周
1章 冒険者の終わり
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2

そうした宿屋の主人の思考も目線も、すべて手に取るように男にはわかっていた。

当然いごこちは悪い。それでも彼にとって、この宿屋での宿泊は多少のいごこちの悪さをがまんする価値はあった。


まともな風呂やベッドにありつけたのは十日ぶりだったし、さすが名都市として名高いショウ、酒場に出てくる料理はうまく、また好物のイチジク酒はよく冷えていた。


最悪紹介状をもってしても宿泊を断られると思っていたから、まだ幸運だったのだ。その幸運を台無しにしないように自分でも気味が悪いほどに丁寧に接したおかげで、部屋仕えの娘はいくらか警戒を解いてくれたようだった。


しかし、だ。


男は宿屋の主人の方に目を向ける。主人はさっと目をそらし、すでにピカピカになっているグラスを熱心に磨き始める。男は内心で苦笑いする。


明日以降の宿泊は無理だろうな。男が延泊できない理由を考え出すために、いまも宿屋の主人の頭はフル回転しているだろう。この宿屋を追い出されたなら、かれはまた明日から流浪の旅に出なくてはならない。


男はため息をついて、イチジク酒をすすった。



その男の名前はアシムという。

年齢は二十は超えているはずなのだが、自分でも正確なところははっきりしない。


父母はいない。おそらく捨てられたか、売られたのだろう。ものごころがついたときには妖怪のようなじじいと山姥のようなばばあを頭目においた山賊の集団の中で、奴隷として働いていた。


じじいとばばあのもとで過ごした日々は悪夢のような日々だった。理不尽な命令に、暴力、それに貧困や飢餓は日常茶飯。その日常に加えて、アシムはじじいとばばあに稽古という名目の散々なしごきを受けた。


じじいは刀術の名人で、ばばあは法術の達人だった。ふたりは奴隷にしていた子供たちに対して競うようにしてかれらの技を教え込んだ。

その教え方は病的と言っていいほどに厳しく、常に死と隣り合わせの壮絶なものだった。何人もの子供が稽古の途中で死んだり、または気が狂ったり、再起不能になったりした。


幸か不幸かアシムは物覚えの早い子供だった。拷問のような稽古の中で何度も死ぬ目にあいながら、結局は死なず、アシムは次々にじじいとばばあの技を習得していった。アシムの飲み込みはやさは二人を夢中にさせた。


そしてその夢中が二人の寿命を縮めた。おそらくアシムが十代の半ばのとき、じじいとばばあはアシムに刀術に専念させるか、法術を極めさせるかで言い争い、決闘の末、相打ちになった。


その後に起こったのは血を血で洗う後継者争い。勝者が決まらないまま、集団は空中分解。

山賊組織は自然消滅し、文字通り孤児となったアシムは、いまに至るまでの流浪の旅に出るはめになった。



旅を続けていくうちにアシムは様々なことを経験した。


食べていくためには経験せざるをえなかった。やれる仕事は何でもやった。荷役、配達員、左官、葬儀屋。男娼まがいのこともやった。


盗賊に誘われたこともあった。現に、昔の仲間のほとんどは別の盗賊団に入団していた。

しかし、アシムはこじきに身を落としたとしても盗賊にだけはもどらないようにしようと思っていた。誘いは断り、昔の仲間から離れるために見知らぬ土地へと旅をした。


そうまでしてアシムが盗賊に戻りたがらなかったのには理由がある。彼の知る限り、盗賊となって寿命で死ねたものを見たことがなかったからだ。彼はほとほと野外での流浪の生活に嫌気がさしていた。


――おれは街の人間になって、温かいベッドの上で死にたい。


そのためには野外ではなく街中で仕事を探さなくてはならない。

しかし街の中に入るとアシムは野外にいたころ以上に貧しくなり、飯が食えなくなった。野の人間に対して街の人々は気味悪がって近づかず、したがってよい職にもありつけなかった。


困窮する中でかれは自然に傭兵の仕事に出ることが増えていった。それほど金がいいわけではないが、かれのような男が人並みに金を稼ぐためには危険に身をさらすしかなかった。


はじめの仕事は、盗賊団の討伐。


ほかの傭兵仲間とともに、見事に返り討ちにあった。


アシムは逃げた。逃げきれたが、その際に斬りつけられた右ほほの傷が化膿して、熱が出た。

報奨金もなにも得られぬまま、河原のそばに敷いた野外の寝床でかれは生死の境をさまよい、苦しんだ。そのときにできた傷はいまもなお大きく残っている。


アシムは苦しんだ。苦しんだが、同時にかれは手ごたえを感じていた。負けたが、理由はアシムが未熟だからではなかった。


はじめての傭兵仕事だったから、アシムは傭兵団のリーダー格の古株ぶった傭兵の指示に従っていた。そしてその指示がいかにもまずかった。


そのリーダーは二十人の盗賊団に対して五人の傭兵で真正面から戦いを挑んだ。

当然勝てるはずがない。アシムは同時に四人の山賊を相手取る羽目になり、逃げるのが精いっぱいだった。


だが、逃げながらもアシムは賊の一人を打ち取っていた。じじいとばばあに教え込まれた刀術と法術は、思った以上に戦いの場では通用したのだ。


能無しの自分の力を誇りたがるリーダーが、戦力差も考えず名乗りをあげて集団の中に突っ込んでいく、という愚挙にでなければ戦いはもっとうまくいったはずだ。アシムは熱に苦しみながら、そう考えていた。


アシムは二日苦しみ、三日目に起きて、再び街の傭兵の手配師に連絡を取った。


今度は一人でやるような仕事を回してもらい――街のごろつきの成敗――その仕事を雇い主が目を見張るような鮮やかさで解決した。

そうして、アシムは傭兵としての生活の第一歩を踏み出した。



以降、アシムは街を渡り、国を超え、ただの傭兵ではなく、いわゆる冒険者として流浪した。そしてその先々で山賊と戦い、遺跡を探訪し、魔性の獣を倒した。


かれはその生活の中で一つの夢を持っていた。

その夢とは、いつかどこかの街の住民として迎え入れられたいという夢だった。


冒険者としての活動によって人々に感謝され、街によっては大いなる勇の者、などとおだてられることもあった。そうしたことがあるたびにアシムは自分の夢は決して実現不可能なものではないと思った。


しかしかれの夢は今日まで叶えられていない。


勇者や、英雄、救いびとなどと褒め称えられたとしても、しょせんは街々の人々にとってアシムはよそ者の傭兵でしかなかった。


例えば冒険者として華々しい成果を上げるとする。

数日の間は人々はかれをたたえ、引っ張りだこにする。


しかし幾日か経つとその雰囲気は消沈して、数週間もすると妙によそよそしくなり、挙句の果てにはいつになれば我々を救ってくれたあの方は次の街へと行かれるのだろうと噂しはじめる。


その雰囲気はいたたまれない。ならばとアシムはあげた功績を手土産に各国の兵士に志願しようとしたがかなわなかった。


「あなたには、われわれの街の兵士はもったいなすぎます。」


そういうあからさまな社交儀礼の言葉を何度も聞くうちに、かれは次第にあきらめることを覚えるようになっていった。しょせん街中の人々にとってアシムは有能な戦士である以上によそ者なのだ。


そうしてもう十年近くアシムは街中に入れず、山野をさまよう『冒険者』として世界をさまよっていた。


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