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ショウの街の宿屋、『ハイデッガ』。
その一階の酒場で男が一人、酒を飲んでいる。
その男の目つきは鋭く、身にまとっている空気はどこか普通とは違う。粗野な、とか、野蛮な、とか、そうした形容詞が付きそうな男だ。右ほほにできた大きな傷が、その雰囲気を決定的なものにしていた。
自然、人々は男の近くを嫌がる。かれの周囲には不自然な空席ができていて、酒場の主人はこれではなじみの客が逃げる、と、ため息をついた。
主人の見るところ男は明らかに流浪のものだ。
宿を訪ねてきた当初の格好は浮浪そのもの。しけて黒ずんだ皮衣、はしのすり切れたマント、顔は塵灰ですすけ、また臭いもひどかった。
宿屋の主人としては、お引き取り願いたい客だった。ああした身なりの男は、何をやりだすかわからない。夜盗、強盗のたぐいかもしれず、自分たちだけでなく宿泊客の安全の責任も担う主人としては普段ならば宿泊を断る相手だ。
しかし宿泊を渋る主人に、男は思わぬことを言った。
「紹介状がある。」
そう言って男は一枚の書面を取り出した。主人はその書面を見て驚いた。セイケ商店の割印が入った紹介状だった。
確かめてみると割印は確かに本物だった。それに、男は宿泊代を前金で払った。主人は半信半疑ながらも、セイケ商店の紹介ならば断わるわけにもいかず、その男を泊めた。
泊めたが、警戒を解いたわけではなかった。セイケ商店に使いを走らせ紹介状の経緯を聞くとともに、対応にあたらせた女の店員にそれとなく何者かを探るよう命令した。
その店員の名はイムヌという。頭の回転が速くて、機転が利くが、ややおっちょこちょいなところのある娘だった。
「悪い人じゃないと思いますけど。」
イムヌはちょっと首をかしげて言った。イヌムが言うには男の言葉遣いは丁寧で、物腰も柔らかかったという。
「少し、西の方の方言が混じってましたけど。」
イヌムのその言葉を聞いて宿屋の主人は、やはり男は流浪のものだと確信した。
主人には偏見がある。そうした流浪の民はこじきや盗賊にひとしいものだと思っていた。根無し草だから周囲の迷惑を考えずにやりたいようにやる。そういう性根の連中だと。
その偏見は世間一般での常識であり、また事実としてもあながち間違っていない。
セイケ商店に出した使いからの報告は、ますます主人の男に対するうたがいを深めた。
「セイケの番頭は、確かに紹介状は本物だと言っています。しかし、決してセイケと関わりのないものだとも、念を押されました。」
どういうことだろう。セイケからの返答には、どこか腑に落ちないところがあった。紹介状が本当であることは保証するという。だが、セイケとかかわりのない人物だと念を押す。
好意から紹介状を書いたのであれば、その人物も保証してやればいいではないか。セイケがそうしないところに主人は男に対するうたがい、というか、ほとんど有罪の気分を強くした。もしかしたらセイケはあの男に脅されて紹介状を書いたのではないか。
セイケほどの豪商が男一人に脅される、というのも考えづらいが、とにかくあの男からは目を離さない方がよさそうだ――普段に比べて客が少ない酒場で、そう思いながら主人は男のことを観察していた。