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運命の糸

 卒業試験を受ける手続きをして、私はバスに乗り込む。

 今日、山口はバス当番だ。もう最後に近いのに、今日は送ってもらえないって、本当に私は山口と縁がないのかもしれない。

 バスに乗るのは、私の他に六人。この前、山口に猛アタックをしていた女の子はいないが、私のあとに降りる男性が二人もいる。さすがに今日は、『特別扱い』してもらうことはできないだろう。

 私は、バスの後ろの方に座って、車窓を眺める。

 街道沿いを走るだけあって、車の数も多い。冬のライトアップを始めていて、街は華やかだ。

 会社の仕事を必死に終わらせ、学校に駆け込む……そんな日々も、終わる。長かったような、それでいて短かったような日々。思いもかけない山口との再会と交流に、忘れていたはずの想いが膨らんでいる。

 去りがたい気持はあるけれど、会社に有給休暇を申請して試験を受ける以上、失敗するわけにはいかない。生徒と先生という関係でなくなったら、もう山口とも会うこともないのだろうか。

 そんなことを考えていたら、バス停が見えてきた。私は立ちあがってドアの前に移動する。

「栗田さん、次、卒業試験だって?」

 山口がさりげなく声をかけてきた。この程度の会話は、他の生徒ともしているから、私が特別という訳ではない。

「はい。おかげさまで」

 私は、山口には見えないだろうけど、運転席に向かって、ぺこりと頭を下げた。

 バスがゆっくりと停車する。

「頑張れよ」

「ありがとうございます」

 バスを降りた私に、山口が軽く手を上げたのが見えた。

 あまりにも、あっけなく、それがまた、私と山口らしいな、と思う。

「卒業か……」

 卒業後、試験場で試験を受け合格すれば、自動車免許は交付される。すべてが終わるのだ。私の長い初恋も今度こそ終わり。

 家に帰った私は、携帯を取り出した。

『卒業したら、お祝いしてくれる?』

 思い切って送信ボタンを押す。

 図々しい女だと、呆れられただろうか。呆れられても、どうせ、最後なのだ。そう考えたら、少しだけ心が大胆になる。

 私は携帯を充電器に置き、問題集を広げた。

 苦手な問題を何度も見なおし、頭に叩き込んでいく。

 そろそろ休もうか、と思った時。ピロリンと着信音が鳴った。

『試験、絶対合格しろ! 合格したらその日、食事おごってやる』

 何度も、内容を読み返した。

「うん。私、がんばる」携帯を抱きしめる。

 今度こそ、後悔がないように。これで最後。試験に受かってそれから――玉砕しよう。

どんな答えでも、きっと笑顔で終われるはず――そう心に決めた。


 卒業試験は、あっという間に終わり、なんとか合格した。

 大緊張をしたもののミスすることもなく、そのまま試験場での試験の説明と書類を受け取り、卒業となった。

 苦労した割には、あっけない卒業だ。

 私は、意を決して、指導員たちの控室へと向かう。

 既に他の生徒たちも、それぞれの指導員たちにお礼を述べている。特に、山口は数名の女の子に取り囲まれていた。

「合格した?」

 声をかけてきたのは、山田だった。

「はい。ありがとうございました」

 私は、慌てて頭を下げる。事情はともかく、ほとんど彼に指導してもらったのだ。感謝は当然である。

「あ、栗田さん、おめでとう」

 一度も予約をしたことがない佐藤が、山田の脇から顔をのぞかせた。

「はい、これ」

「え?」

 名刺を差し出され、つい受け取ってしまう。勤め人の反射である。

 よくみると、佐藤本人の名刺で携帯番号やアドレスなんかが印字されていた。

 意図がわからず、どうしようと思う。山田を見たら、山田は肩をすくめている。

 どうやら、珍しいことではないようだ。

「栗田」

 咎めるような声とともにスッと手が伸び、名刺が取り上げられた。

 びっくりして目を追うと、山口が名刺を佐藤につき返している。

「なんでもかんでも受け取るなよ」

 不機嫌に山口が私を見る。

「え?」

 佐藤がキョトンとした顔をしている。

 山口を囲んでいた女の子たちも、事態が把握できないという顔をしている。

「栗田は、俺の同級生だ。簡単にナンパするな」

 言いながら、佐藤を睨みつけ、私の腕をつかんだ。

「同級生に、そこまでの権限はないと思うけど」

 山田がボソっと呟いたが、山口は応えない。

「ナンパ?」

「栗田、来い」

 意味がわからないまま、私は腕を引かれて控室の外まで連れていかれた。

「……夕方、家にむかえに行くから」

 小声でそれだけ告げられた。なんか山口の顔がとても近くて、ドキドキする。

 女の子たちからの視線が痛い。私は、挨拶もそこそこに、とりあえずその場から逃げ出した。



 そわそわしながら窓からのぞくと角を曲がってくる山口の車が見えた。

 具体的な店名を聞いていなかったため、服装にはずいぶん悩んだ。食事といっても、いろいろだ。ドレスコードがいるような店か、ラーメン屋なのかで、服装が変わってくる。

 結局、迷った挙句に職場の宴会で着ていくような、シンプルなスーツ。可愛らしさは欠片もない。場所を選ばない無難さはあるけど。デートにしては残念だな、と、自分でも呆れた。でも、どうしたら良いかわからなかった。

 ピンポーン

 インターフォンだ。

 玄関で母親の声がする。私は慌てて鞄を持って玄関へと急いだ。

「はいはーい……あら、山口さんとこの仁志くんじゃない。かっこよくなって」

「お久しぶりです」

 玄関先で頭を下げる山口。山口の家の母親とうちの母は付き合いがあるから、知らない人間ではない。

 まさか、インターフォンを鳴らすとは思わなかった。外で待っていてくれれば、すぐに出て行ったのに、と思う。

「ごめん。お待たせ」

「それでは、結衣さんをお借りします」

 深々と頭を下げる山口。この展開、絶対、誤解されそうだと思ったら、案の定、母の目の色がキラキラと輝いてしまった。

「あ、どうぞどうぞ。持っていって。明日の朝までかえさなくていいから」

「お、お母さんっ」

 母親の暴走発言に、山口の顔は真っ赤だ。

「ごめん。本当、ごめんね」

 私は山口を連れて慌てて玄関から飛び出し、扉を閉めた。

「えっと。気にしないで?」

 自分の顔も相当熱い。パタパタと手で仰いで、なんとかごまかそうとするが、たぶん、無駄だ。

「奔放な親御さんだな」

 山口がやっとそれだけ口にする。

「ごめんね。変なこと言って……」

「別に。俺は……」

 言いながら、山口は車のドアを開けた。語尾が小さくて聞き取れない。

 あえて、何を言ったか確かめる勇気は、私にはなかった。


 山口が連れていってくれたのは、港のオシャレなレストランだった。

 港の夜景が見えるレストランにしては、気軽な感じで楽しめる店だ。

 料理は、魚介を中心にしたイタリア風。山口が車なので、ノンアルコール。

 料理はとてもおいしくて、自動車学校の話や、同級生の近況、最近見た映画の話など、たあいもないおしゃべりを楽しんだ。

 楽しい時はあっという間に過ぎ、私と山口はほんの少しだけ、夜の港を歩く。共同駐車場までの僅かな道のりだけど、二人きりの空間に胸がさわぐ。

 季節は冬。息は白く、とても寒い。暗い夜の海に、港の明かりが寒々とゆれている。

 ライトアップなどは行われていない暗い夜道のため、人通りはなく、車も時折通るだけだ。

「小学校の三年の時」

 山口が懐かしそうに口を開いた。

「栗田が、俺をリレーの選手に推薦してくれたこと、覚えている?」

「え?」

 私は首を傾げた。はっきりと記憶にはないが、そんなことがあったような気もする。幼稚園の頃から、山口はすごく足が速かった。

 私にとっては、当たり前の発言だったのだろうが、彼にとってはそうではなかったらしい。

「俺、それがすごく嬉しくてさ。リレーで一等になった時、栗田がスゴく喜んでくれていて……思えばあれが陸上始めたきっかけなんだよね」

 山口の目が懐かしそうに細められる。胸がキュンと締め付けられた。

「栗田さ、陸上の試合、ずっと見に来ていただろ?」

「え? 知っていたの?」

 てっきり知らないと思っていた。

「俺、自分を見に来てくれているって、うぬぼれていた――でも、急に、栗田が来なくなって」

 山口はコートのポケットに手を入れて、空を仰ぐ。

 港の工場の明かりのせいで、夜空はぼんやりとしている。

「もっとスゴイ選手になったら、きっとまた見てくれると思った」

「嘘」

 私は思わず呟く。私の視線なんて、気づいていなかったはず。いつだって、山口は遠くで輝いていて、私とは別の世界の人だった。まるで山口も私のことを見ていたかのような言葉。にわかには信じがたい。

「嘘じゃない」

 山口は軽く首を振った。

「でも……彼女、いたよね?」

 そう。だから私は全てを忘れたのだ。赤い糸は、なかったのだから。

 山口の背を見ながら私は足を止める。

「栗田に彼氏が出来たのなら、諦めようと思って、つきあった」

 山口は苦笑しながら振り返った。

「今思うと、サイテーだよな。ま、結局、たいした選手になれずに、ケガしてやめたし」

 私は自分の足元に視線を落とした。

「お願い。山口が自分を卑下してそんな嘘ついたって、うれしくないよ。だって、私……彼氏なんて、いたことないもの……誰かと間違えてない?」

 山口の想い出の中で、私と別の誰かがすり替わっているのではないのだろうか。

 私の他にも陸上の応援にいつも通っていた女の子は存在する。

 そうでないなら……私の気持ちを知っていての哀れみだろうか。

「なんで、ガキの頃から一緒のお前を間違えるンだよ? って。彼氏がいない?」

 山口がびっくりしたように私を見る。

 私は、なんとなくきまずくなって唇を噛んだ。

「おかしいかな? 高校の時だけじゃないわ。年齢イコール彼氏いない歴なひとなの」

 きっと引かれたな、と思う。恋愛ごっこをして遊ぶには、重すぎる女でゴメンね、と心の中で呟く。この年まで好きになったのは山口だけなんて、ちょっと笑えない。

「栗田」

 山口の視線を感じる。その視線の意味を知りたくなくて、私は彼に背を向けた。

「だったら、お前のはじめて、全部俺がもらってもいい?」

「え?」

 突然、ぐいっと強い力で引き寄せられた。背中に自分のものでない体温を感じて、心臓が止まりそうになった。

 頬に、チクチクとした山口の頬が触れる。

「好きだ」

 幻聴だろうか。

「もう会えないと思っていたのに、また会えた――今度は、後悔しない」

 山口は、私のアゴに手を当てて、顔を彼の方にむけ、そのまま唇を重ねた。

 柔らかな感触に驚いた私を、じっとみつめる。

「俺とつきあって」

「……本気、なの?」

 頬に何かが流れていく。嘘なら残酷だ。

「私みたいな地味な女でいいの?」

「結衣は、おとなしいだけで、地味じゃない。すごくきれいだ――今も、昔も」

 山口の指が、私の頬をなでていく。

「答えは?」

 じっと見つめられて、時が止まりそうだ。

「うん」

 頷くと同時に、再び唇を塞がれる。唇が割られ、口内に彼の舌が侵入し、激しく私の舌をからめとった。

 息が出来なくて、頭が痺れ始めると、彼の手が、私の身体を愛撫し始めた。

 だんだん、立っていられなくなって、彼の胸に倒れ込む。

「車に乗って」

 山口に支えられながら、駐車場にたどり着き、車のシートにすわる。

 もう、胸がずっとドキドキしていて、何が何だかわからない。

「帰さなくていいって、おふくろさんの言葉、有効?」

 言いながら、もう一度、唇を重ねる。

「……面が割れているから……遊びじゃすまないと思うよ?」

 私がそういうと。

 山口はそっと離れて、エンジンをスタートさせた。

 そして、私の太ももをさっと撫であげる。

「それは、イエスとみなすけど?」

 思わずうつむいた私を満足そうに眺めて、山口は車を発進させる。

 車窓から差し込んだライトが、私の指に絡まり、山口へと伸びていた。

 

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