特別扱い?
短めです。
いくらあてにしろと言われても、はいそうですか、と頼るほど厚顔にできていない。
私は、男性に優しくされることに慣れていない。職場でも、どこでも、男性に優しくされるのは、いつも別の女性だったから。
だから、山口の連絡先に『今日、授業受けます』のひとことが送れないでいる。
あいかわらず、山口の人気はすごい。予約を取ることが出来ない。
今日の実技は山田という指導員。山田も山口と同世代。山口と違って、失礼ながらフツメンさんのため、比較的空いている。単純に、予約の検索で、山口の次の行という、それだけの理由なのだが、結果として、何回もリピートしている。まるで、山田を追っかけしているような気もしてきて、最近、気の毒に思えてきた。山田も覚えも悪くてどんくさい三十女の私より、若い女子大生とか相手に教えたいだろうなあと、ちょっと思う。仕事とはいえ、その辺は申し訳ない。
夕闇に照らされた駐車場に、指導員たちが歩いてきた。山田と山口、それからもうひとり若い指導員たちが談笑している。やはり、指導員同士でも交友関係はあるのだろう。
お互いに挨拶を交わして三人はそれぞれの車へと向かう。山田は、私の方へと歩いてきて、山口は、ちらりと私に目をやってから、私の前を通りすぎ、可愛らしい女の子の待つ車へと歩いていった。顔を見られたということは、連絡せずに帰ったらマズイかな……と、ちょっと思う。
「よろしくお願いします」
「今日もよろしく、栗田さん」
山田に頭を下げ、私は山口のことを頭から追い払った。
『バス当番だから送れない』
授業が終わって、明日の予定を確認して携帯を取り出すと、山口から連絡が入っていた。
ほんの少しのガッカリと、同じくらいの安堵を覚えながら、私はバス乗り場へと走った。
すでに出発目前の時間だ。
バスに乗り込みながら、「A街の五丁目です」と告げると、運転席で山口が「了解」とニヤリと笑った。
私は、居心地の悪さを感じながら、バスの後ろの方に座る。
最初からわかっていての連絡だ。ちょっと意地悪だなあと思う。
バスには、私の他に男性が5名、若い女性が1名。若い女の子は、私より後のバス停。後は、みんな私より先に降りる。バスに乗るメンツはほぼ変わらないため、誰がどこで降りるというのは、なんとなくわかってくるものだ。
「出発します」
山口がバスをスタートさせると、女の子がしきりに話をしている。目がくりくりとした愛らしい子だ。この寒空にショートパンツ姿なのも、若さを感じた。
話の内容は、授業の質問、車の質問からはじまり、山口の気を引こうとしているのがありありとわかる。
しんと静まり返った車内で、彼女の楽しそうな声だけが響く。彼女は、私が降りた後もああやって、二人きりで話すのだろうなあと思うと、なんだかもやっとした。
「立石君、ちょっと順番かわってもいい?」
いつもは曲がらない交差点で、山口は、男性に声をかけた。バスに残っているのは、その男性と、私と女の子だけだ。
「あ、はい」
立石と呼ばれた青年が頷くと、山口はウインカーを出す。
「坂木さん、先に送るね」
「わ、ありがとうございますっ」
女の子は、特別扱いしてもらったことに大喜びだ。
立石青年と私の降りるバス停はとても近い。とはいえ、このコースだと、いつもと違って、私の降りるほうが近いかなあ、なんて思いながら車窓に目をやる。
「先生、ありがとうっ!」
ハートマークが飛び出そうな挨拶を残して、女の子は降りていった。
「悪いな、立石君」
女の子が降りていくと、山口は立石に声をかけた。
「いいですけど……先生、また、勘違いされますよ」
呆れたように、立石は肩をすくめる。『また』ということは『まえ』もあったのだろう。
「降りたくないって言われると困るンでね」
山口が大きく息を吐く。『まえ』に手痛い目に合ったのだな、と思った。
「先生も大変スね」
バスは、ぐるりと方向を転換して、立石の降りるバス停の方へ向かう。なんかさりげに、後回しにされた気がするが、山口もたいへんなのだから仕方がない。
「ありがとうございました」
立石が降りていくと、広いバスの中に、私と山口だけになった。
「ごめんな、遠回りになって」
「ううん。大丈夫」
大きな声で話しかけられ、私は慌てて答えた。
「話しにくいから、前、来いよ」
山口に呼ばれ、私は、運転席の近くの席に座り直した。ここからバス停まで、たいした距離はないケドな、と少しだけ思う。それに、斜め後ろだから、顔はあまり見えない。
「モテる先生は、たいへんだね」
「学校来ている間だけだよ。すぐに忘れる」
山口の口調は苦い。彼女のことには触れたくないみたいだ。
「ところで……連絡しろって言ったよな」
山口は咎めるような口調で、ハンドルを回す。
「ごめん。なんか悪くって」
私はうつむく。無条件に甘えてよいほど、仲が良かったわけじゃない。家が近いとはいえ、タクシー代わりに使っては、申し訳ない気がする。
「全然、俺を予約してくれないし」
なんか怒っている。でも、それに関しては不可抗力だ。
「だって……空いてないから……」
「何、山田ばっかり乗っているんだよ。気に入っているのか?」
私はびっくりした。そんなふうにみえるわけ?
「予約の端末、山口の次が山田さんだから……」
つい、本当の事を言ってしまう。ちょっと山田に申し訳ない。
「え。あ……すまん」
山口は急に口ごもる。
何かつぶやきながら、丁寧にハンドルを回した。
「あれ? こっち道が違うよ」
車窓をみて、私は驚いた。いつも通るバスコースとは違う道路だ。
「学校には内緒」
山口は言いながら、バスを走らせる。こっちの道の方が、バスのコースより私の家に近い。
「ありがとう」
私を最後にしてくれたのは、送ってくれるためだったのかと思ったら、胸が激しく動き始める。
「私がおりたくないって、言ったらどうする?」
冗談めかして、ちょっと本気で聞いてみた。大人ぶって、少しだけ余裕があるふりをする。
「だったら、学校まで、いっしょに戻る?」
くすくすと山口は笑った。
「どのみち、学校で、俺の車に乗り換えるだけだって」
「そうだね」
なんだか、上手にかわされてしまった。こんなやり取り、山口は慣れているのだろう。
「ありがとう」
バスが停車して、私はゆっくりと降りた。夜風がひんやりと肌を包む。
「またな」
山口は静かにバスを夜の闇に滑らせた。
「学校に来ている間だけ……なのかな」
私は、山口が女の子に向けていた言葉を呟く。
この胸に育ちつつある感情は、卒業と同時に消去しなければいけないのだろうか。
見上げた空に、青い月が輝いて見えた。