送ってもらいました
短めです。
その日の最終授業が終わると、みな、慌ててスクールバスの乗り場へと向かう。
季節は、秋。昼間はともかく、夜は急激に冷え始める。吐いた息が少し白い。
この自動車学校は大型免許の生徒の受け入れもあるので、『普通乗用車』で帰るという生徒もこの時間はかなり多い。終了時にはかなり遅い時間になる。近隣は工場が多いため、道は暗くて人通りは少ないせいか、徒歩で帰る人はほぼいない。
私の家は、それなりにここから遠いため、自転車でなくスクールバスを利用している。
山口のメモは、それを見越してのことなのだろう。
自動車学校のそばにコンビニは一軒しかない。
メモからは、彼の意図は何も読めなくて、つい、来てしまったけれど。彼と私に運命の糸はないとわかっているのに、自分の馬鹿さ加減に思わず苦笑する。期待しても、傷つくだけなのに。
『予約しろ』と言われていたのに、予約しなかったから?
さすがに、それはないと思う。
私との再会を喜んで?
コンビニの自動ドアに映りこんだ、地味顔の自分を見て、苦笑する。そうだとしても、懐かしさゆえのことだろう。
とりあえず、ふらりとコンビニに入る。まだ、山口の姿は見えない。
ぐるりと店内を一周し、雑誌コーナーで足を止める。
紅葉シーズンだけに、『カップル紅葉デート』の特集を組んだ雑誌が並んでいた。
紅葉の時期は、ライトアップも多く、夜デートの需要が多い時期だ。
ふうっと息をつき、その隣に置いてあった道路マップを手に取る。家から新しい会社までの道をたどりながら、もう一度、大きくため息をついた。
「ため息つくと、幸せ逃げるぞ」
突然話しかけられて、ビクンとした。
「逃げるほど……幸せないから」
私は地図を閉じながら、声の主に応える。
振り返った視線の先に、笑顔を浮かべた山口が立っていた。
「ごめん、待たせちゃって」
「ううん。大丈夫」
答えながら、山口の手に先ほど私がスルーした『カップル紅葉デート』の雑誌と、缶コーヒーがあるのに気が付いた。
やっぱり、彼女、いるんだ。
そう思ったら、胸がチクリと痛んだ。
「精算してくるから、ちょっと待っていて」
「うん」
山口は私に断りを入れて、レジへと向かう。
私は、持っていた本を棚に戻し、コンビニを出た。
外は、ひんやりと寒い。時計を見れば、もうすぐ九時。当然、人通りはない。大通りに面しているから、車の通りはそれなりにあるが、街灯が少ないため真っ暗だ。
「栗田、こっち」
山口は、車の助手席のドアをあけ、私を呼んだ。
「え。あ、うん」
私は、促されるままに車に乗り込む。
反射で、シートベルトを締めてから、乗り込んできた山口の方を見た。
彼は表情も変えず、エンジンをスタートさせる。
「家、実家のまま?」
山口は、ライトをつけながら、問いかける。
「うん。そうだけど」
「じゃあ、大丈夫だな」
言いながら、車を動かし始める。
「あの?」
意図が見えずに、私は山口の方に目を向けるが、暗いのであまり表情が読めない。
「送るよ。バス停から、お前の家、遠いだろ?」
当たり前のように、山口は口を開く。
「学校の駐車場から乗せると、あとが面倒だし」
「……なんかごめん。ありがとう。気を使わせちゃったかな」
私は頭を下げる。
「いや、なんか、全然、話とかできないからさ」
少し照れたようなその口調に、ドキリとする。今さらながら、暗い密室に二人きりだということを意識してしまい、私は鞄を握りしめた。
「すごく、女の子に人気があるみたいね。モテて大変なんじゃない?」
平静を装って、私は話しかける。
「そんなことねえよ」
赤信号で止まった山口の視線が、私に向けられたのを感じた。
「栗田は、昔から変わらんな」
「そうかな」
私は、曖昧に頷く。正直、どういう意図なのかわからない。
それに。あの頃と違って化粧もしているのに、変わらないって、誉め言葉なのか微妙だ。もっとも、綺麗になったね、なんて言われるはずもないけれど。
「山口、運転、さすがに指導員だけあって巧いね。ブレーキとか、すごくスムーズ」
時々乗せてもらう友達の運転は、ブレーキのたびにガクンとなるから、ブレーキって難しいんだなって思う。
「へえ。歴代彼氏と比べて、巧い方?」
なんとなく、言葉に棘を感じた。失礼だったのだろう。よく考えたら、その道のプロなのだ。
「……ごめん。巧いの、当たり前だよね」
私は、視線を膝に落とした。
時折、車窓から飛び込んでくる街灯の灯りが、私の手のひらを照らす。
「会社が移転するって?」
山口が気を取り直したように口を開く。
「うん。簡単に言うと、駅前にあった出張所を、田舎に移すの。土地の賃貸料がキツイからだと思うけど」
私の勤めているのは、小さな薬剤メーカーだ。各病院に薬を卸している。いわば仲買である。
「それにしても、電車の沿線から、すごく離れた場所に作るのは、リストラを兼ねているのかも」
私は軽く首を振った。
「営業行かない、私みたいな事務専門の若い女の子たちの中には、離職を希望している子もいるわ。私は、この年になったら次はキビシイから、辞められないけどね」
「ふーん。だから、免許を取る気になったんだ」
山口は、丁寧にハンドルをまわす。
「これを機会に、永久就職しようとは、思わなかったの?」
山口は、暗闇でもわかるくらい、にやりと笑った。
「今時、寿で辞めるひとって、いないわよ。それに……相手もいないから」
言いながら、惨めになる。なんで、こんな告白をしないといけないのだろう。
「栗田の家って、この角、曲がるンだったよな」
「あ、うん」
よく覚えているな、と思いながら頷く。うちに山口が来たのは、一度だけ。小学三年の冬。
家で生まれた仔猫を、山口が一匹、引き取ってくれたのだ。
懐かしいな、と思う。
「いつでも送れるわけじゃないケドさ、授業ある日は連絡くれよ。バス担当じゃなければ、送るから」
「そんな……悪いよ」
車は私の家の目の前にすうっと停車する。
「最近、この辺も物騒だろ。ちかんも多いって聞くぞ」
「ちかんだって、相手を選ぶと思うけど」
私は苦笑する。何をこのんで、こんな地味女を襲うのか。
まあ、ひったくりにならあうかもしれない。金目当て、という狼藉者はいるかもしれないなあと苦笑する。
「とにかく、携帯貸せ」
山口にそう言われて、携帯を渡すと、勝手に山口の連絡先を登録されてしまった。
「遠慮せずに、あてにしろよ」
優しく微笑まれ、胸のどきどきがとまらなくなる。
「でも……恋人さんに悪いから……今日はありがとう」
先ほど見た、『カップルデート』の見出しを思い出す。
「俺、恋人いないよ――恋人にしたい子はいるけど」
シートベルトを外した私をみつめながら、山口は微笑する。
勘違いしそうな優しい目。私は慌ててドアをあけた。
「おやすみなさい」
私は、それだけ言って、逃げるように車から降りる。
「おやすみ」
山口はそう告げると、車を静かに発進させた。
心臓の音がいつまでも激しく鳴っていた。