女盗賊ポーラ
アジトに帰る途中、近道として森を進んでいると、遠くの空が茜色に染まっていることに気づいた。
時刻は真夜中であるため、日が登ったということはない。
距離を計ると、空が明るい場所には、ちょうどそれなりの規模の村がある場所だった。
「うーん、キャンプファイアではなさそうよね……。」
一人で軽口を叩くと、わたしは木々の太い幹から幹へと跳躍しながら、急いで火元に向かった。
結構な距離があったけど、盗賊として鍛えた足腰と身軽さで、火元近くまでは数分しか掛からなかった。
そして、眼前には地獄が広がっていた。
紫色の鎧を着た武装集団、掲げる黒い旗には白い髑髏に金色の王冠が被さっている。
……『魔王軍』が、村を蹂躙している光景だった。
男は目の前で自分の息子を殺され、その絶望した男の表情を見て満足した兵士は男の背中に槍を何度も突き刺して絶命させた。
女は愛する男の前で数人の兵士に輪姦され、その愛する男はリンチにあっていた。
老人は住んでいた家の一室で椅子に縛られながら家ごと燃やされていた。
子供は兵士に捕まり、牢に入れられ、奴隷商人に売り払われる商品となっていた。
放火、殺人、強姦、誘拐、暴行、盗難と、魔王軍の兵士はあらゆる悪徳行為を行っていた。
「まさか魔王軍の侵略に出くわすとはね……噂通り、これはひどい。」
遠くからその残虐な光景を眺めていたわたしは、そんな感想を述べるのだった。
そして、ひとしきりその光景を眺めた後、まだ魔王軍に略奪されていない家を探し、それを見つけると魔王軍に察知されないように家へ向かった。
家の中に入り、金目の物を物色した。
わたしは盗賊だ。
人助けなどしない。襲われている村があれば火事場泥棒でもなんでもする。それが盗賊としての矜恃。
大方、魔王軍にまだ襲われていない家を巡って一通り金品を盗むと、ズラをかるために森に入った。
「ふふん、大量大量ってねっ!」
村の惨状には素直に同情するけど、わたしも人から奪う盗賊だ。魔王軍とは、それが金品か命かの差異しかない。わたしも、身を守るために人を殺すことがあるし、あの兵士達と同類なのよね。
だからここは火事場泥棒で手に入れた臨時収入を素直に喜ぶ。
生きるためには、金がいるから。
あとバックと服と財布と靴とアクセサリーとスイーツを買うためにも金はいるしね。
森を抜けて、村で一泊したあとにアジトに戻ろうと考えてたけど、あの惨状では近道はできない。正規のルートで街道沿いを行くしかない。
木々の上を跳躍しながら移動していると、森の中に避難した村人を何人か見かけた。無論、それを追いかけている兵士たちもいたのだけど。
関わり合いにならないように慎重に森を進んでいくと、出口が見えた。
「ん?」
出口付近で人気がしたので、そこそこ太い木の後ろに素早く身を隠し、気配がした方を覗き見る。
そこには、魔王軍の兵士と、上等なドレスを着た少女、最後に短剣を構えた少年がいた。
少女と少年は服装から察するにあの村の領主貴族の子息かな。
少年と兵士は武器を向けながら睨み合っている。兵士は膝から血が出ているだけだ。しかし、少年は肩などから血を流し、さらに口からも赤い液体を滴らせている。内臓に傷を負って吐血しているのだろう。重症だ。
そんな少年と兵士から少し離れた位置に長いストレートのブラウンヘアーをした色白で青い瞳の綺麗な少女が座り込んでいる。腰を抜かしているのかもしれない。目からは涙を溢している。
状況を見るに、少年と少女を襲っている兵士と、少女を守ろうとしている少年が争っているというところかな。
兵士の方は、歴戦の戦士なのか。先ほど村で見てきた魔王軍の兵士の中でも相当な実力者であるのが伺える。強者特有のオーラを放っていた。
「これは可哀想に……死ぬわね。」
わたしは少年を見ながらそう呟いた。
絶望的なほどに少年と兵士には実力差があった。
予想通り、兵士が一瞬で少年との距離を詰めると、即死の間合いに少年を捉えようとしていた。あと数瞬で即死の間合いに入る。
瞬時に数十メートルを移動する技術『縮地』を使用したのだろう。兵士は武術にも精通しているようで、その動きを少年の目は捉えられていなかった。
可哀想だが、覆るような実力差ではなかった。森の出口付近まで逃げて来れて、助かる可能性は高かっただろうに、こんなところで兵士に会うとはついていない。
理不尽だけど、この世界は弱肉強食。運がなかったことを悔やむのね。
わたしは少年の最期を見届けたら森を抜けようと思った。少女が兵士に犯される姿など見たくない。女として、強姦されるのがどれほどの苦痛なのかは想像がつく。そんなものを好き好んで見る趣味はない。
頭の中で街道に出るための別ルートを探そうとしていると、森が一瞬凪いだ。
そして、兵士の動きを目で捉えていない少年が大きく一歩を踏みだし、短剣で兵士の首を切り裂いた。
兵士の斬撃は空を斬り、数十メートルは離れたわたしの近くの木の葉を揺らすほどの風圧がした。
そして、兵士はうつ伏せに倒れ込み、花が開花するように血が広がった。
――なに、今の。
兵士が死んだことを一瞥して確認した少年は、その場に倒れ込みそうになると、駆け寄ってきた少女が少年の体を優しく受け止めた。
安堵からか、少女は泣き出してしまった。
安堵するには、少年の体は重症なため、単に感情が高ぶっただけなのかもしれない。
それにしても、先ほどの少年の動きは異常だったわね。
どう考えても少年の目は兵士の動きを捉えていなかったはずなのに、まるでそこに首が置かれるのを分かっていたようだった。
あれはおそらく、いや確実に――
――『ギフト』
女神から与えられた人族への特権。
生まれついた時から全ての人族にはなんらかの能力が与えられており、例外はあるが、1人につき1つの『ギフト』を持つ。
といっても全員が全く違う能力を持つということはなく、似通った能力を持つものも多い。
けど、あの少年の『ギフト』は見たことがない。盗賊として世界を歩き回るわたしですら……だ。
おそらく圧倒的強者を前にして能力が覚醒したのだろう。
でなければ最初から使っているはずだし。それか、死の間際にしか発動しないとか?
そういう発動条件というか規制のようなものは稀にある。そしてそれらの発動条件付きの『ギフト』は通常のものより高い能力を持つ。
見たことがない能力の『ギフト』
少年に、興味が湧いたわたしは、木の陰から出て少年と少女の前に降りた。
少女はわたしの姿を視認すると驚いたのか、泣き止んだ。
「こんばんわ、お嬢さん。ああ、安心して。あなたとあなたの恋人に危害を加えるつもりはないわ。」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした少女は、わたしを警戒しつつも、どこか魔王軍の追っ手ではなかったことに安堵しているようだった。
「恋人じゃありません……兄です。あなた、何者ですか?」
「あら、恋人じゃなかったの……兄弟なのに似てないわね。」
少女は腰まで届くストレートのブラウンヘアー、白い肌、蒼い瞳、顔つきや体つきは予想している年齢よりも大人びており、少女なのに綺麗という表現が似合う。
ま、悪く言えば老けているとも言えるし、どこにでもいるありふれた髪色に瞳の色をした量産型の美人だとも言える。青い髪に紫色の瞳をしてる独創性のあるわたしの方が綺麗ね。うん間違いない。いやほんと近くで見ると思ったより綺麗で嫉妬してるとかじゃなく。心の底からわたしの方が綺麗だと思うのよね。
それはともかく、少女と少年は全然似ていなかった。
少年は不細工ではないが、堀の浅い地味な顔立ちで、癖のあるブラウンヘアーの短髪に、ブラウンの瞳をしていた。どこにでもいるおとなしそうな人という印象を受ける。唯一の特徴と言えば両目の下にある泣きぼくろくらいか。
瞳の色は戦闘中の最中に見たものだからあてにならないけど。背中に火元があるとはいえ、真夜中で薄暗かったし。数十メートルも距離が離れていた。今は気を失って目を閉じているから確認もできない。
「……あなたには関係ないことでしょ。」
少女はわたしを睨んだ。その声には怒気が含まれており、どうやら顔が似ていないことを気にしているみたいだった。なにかしら事情があるのかもしれない。
「あら、これはごめんなさい。あなたの言う通りだわお嬢さん。」
余計な無駄話が過ぎたわね。
本題に入りましょうか。
「わたしは女盗賊ポーラ。その筋の界隈では結構有名なのよ?」
「……盗賊ですか。」
「そう、だから安心して。盗むものがない相手には無駄な労力を割かないの。……まあ、お兄さんの短剣はそこそこ価値がありそうだけどね。」
地方の村の領主貴族とはいえ、貴族であることには変わりない。それなりに宝飾のされた質のいい短剣を少年は使っていた。
「ではあなたにとってなんの価値もない私達兄妹に一体何のご用件が……?」
少女は本当にこちらの意図が読めず、困惑した表情をしていた。
まあ当然なんだけど。どう考えてもこの場面で登場する盗賊なんて不可解よね。わたしが男なら少女をどうにかする賊かもしれないと予想は立つかもしれないけど、わたしってただの美女だしね。
「そうねぇ……言うなら、今からあなたに……いえ、あなた達にチャンスを与えるわ。」
「……チャンス? どういうことですか?」
そう、これはチャンス。このままでは確実に少年は死ぬ。
圧倒的強者に勝利した、なにかを持っている少年をここで捨てるのはもったいない。
お宝とは程遠いが、原石の可能性はある。磨けば光る宝石を見逃すなんて盗賊の名折れだわ。
だから、生きるためのチャンスを与えてあげるのだ。
「わたしの盗賊団に入りなさい。」
「嫌です!」
「あら、即答ね。」
「当たり前です。あなたみたいな怪しい人に付いていくわけありません。」
正論ね。でも、断られるのは分かっていた。なぜならいきなり現れた盗賊のわたしに付いてくることで相手にメリットはないから。
だから、メリットを提示する。
「そう言うと思ったわ。だから、一つ条件を付ける。」
「条件……?」
「このままだとあなたのお兄さんは死ぬわ。」
「……。」
少女は守るように抱きしめている兄に視線を向けた。
少年は血を流しすぎており、体からは血の気が引いていた。怪我もひどく、骨も折れているだろう。
わたしはそれを見て、バックパックから赤い液体の入った小さな小瓶を取り出した。
「ここに、『ルビーポーション』がある。知ってると思うけど、一滴飲めば細胞を活性化させて肉体を超速再生させる秘薬よ。これがあればあなたのお兄さんの傷は癒える。」
「……あなたに付いていく代わりに、その『ルビーポーション』を頂けると?」
「ええ、そうよ。」
「わかりました、あなたと一緒に行きます。」
「ここも即答っ!?」
少女は即答した。
もう少し逡巡してから最終的にはこの提案に乗ってくると思っていたのだけど、即答だった。
「ず、ずいぶん物分かりがいいというか、わたしが言うのもなんだけどそんなに簡単に決めていいわけ?」
「……兄さんの傷を治すために、盗賊のあなたが貴重な『ルビーポーション』を譲ってくれるのです。少なくとも、兄さんにもう一度傷を負わせるようなことはしないと思いました。治した相手を傷つけるなんて馬鹿らしいですからね。」
「まあそうなんだけど……こっちとしてはもう少し駆け引きというかそういうのを見越して色々考えていたんだけど。」
混乱しているはずなのに、決断力は凄まじく高かった。
少女の体は未だに震えていて、先ほどの恐怖や突然登場したわたしの存在に適応したというわけでもなさそうで、そんな中で賢明な判断を即断できるのは素直に優秀だと思えた。人は焦りや恐怖で選択を誤る生き物だから。
妹は兄のついでに拾うつもりだったのだけど、予想より使えるかもしれないわね。
「それに、選んでいる場合でもないですし……」
少年の命は尽きそうになっていた。
どうやらまたも無駄話が過ぎたようだ。
わたしは少年に駆け寄ると、少女が少し警戒したが、それを無視して『ルビーポーション』を少年の口に一滴垂らした。
一昨日、行商中の大商人から盗んだ品物だが、商人が運よく持っていてよかったわ。
ドラゴンの血液から作られた最高級の薬品。
本来なら数滴分しか入っていないこの小瓶一つで金貨数百枚はくだらないけど、仕方ない。自前の通常の『ポーション』ではこの少年の傷は完全に癒せない。
少年の体内に液体が入ると、体の傷を塞ぎ、血液を生成し、折れた骨を修復していった。これで命に別条はない。
「ふう、危なかった~。でもこれで怪我については一安心ね。」
「兄さん……っ!」
少女は少年の怪我が癒えたことが嬉しいのか、少年の頭を強く抱きしめた。
「その子はもうしばらくすれば目を覚ますはずよ。」
「一応……お礼は言っておきます。どうもありがとうございました。」
「お礼なんていいわよ。」
そう、礼など不要だ。
なぜならこれは善意ではなく交渉だったのだから。
「じゃあ約束通り一緒に来てもらうわね。森を抜けて半日も歩けば街があるからそこで馬車に乗りましょう。分かっていると思うけど、逃げ出したら容赦はしないわ。あなたたち兄妹はわたしのものになったということを忘れないでね。」
わたしは笑顔でそう言った。