真なる天才だと小説を書けない、あるいは全力で書かない
みんなは、天才を知っているだろうか?
どのレベルかというと。
例えるなら、冗談でなく、バトルロワイヤルのラスボスみたいな、奴である。
ヤガミライトとかも、まだちょっと生ぬるい感じの、Lやニアみたいな突き抜けた天才タイプだ。
さて、
そういう人種は、趣味で小説を書いたりは、するようだ。
だが、絶対に出版はしない、そういう価値観を持っていることが多い。
なぜなら、そいつらは現世における、神みたいな存在なので。
自分が表舞台に立つと、世界が一色に染まり、多様性を無くす結果に繋がるからだ。
それは言い過ぎだが、ようは、詰まらなくなるのだ、確実に今よりかは。
天才という神が求めるのは、多様性に尽きる。
似たような情報は、一定以上で相似であり、ハッキリ言うなら娯楽にならないのだ。
天才の娯楽といえば、網羅し尽くしたに近い世界を、もっと拡大、多様化させる事くらいだろう。
未知の領域、多様な情報が多くなればなるほど、彼らは喜ぶ傾向がある。
天才とは、神に限り無く近い人間だろう。
そして、リスクもある。
余りに価値ある、掛け値なしの芸術を生み出す、という、そのリスクを知らない人は皆無だろう。
芸術家は、偶くらいの頻度で、拉致監禁同然で、芸術を強制的に作らされてきたりした。
他にもある。
能ある鷹は爪を隠すじゃないが、明らかに突出した能力がある、とバレルのは不都合だそうだ。
世界には、能力者や天才を求めている国家や機関が腐るほど存在する。
特に、大きな二項対立における、二大勢力間だと、それが顕著だ。
大量破壊兵器が持てなくなった、
というより有用性が無くなってきたので、次は人材の争奪と、開発と収集に走った感じだ。
真なる能力者は、こういう所に、たびたび眼をつけられる。
日本は、緩衝地帯なので、かなり安全だが、二項対立の代理戦争区域。
たとえば、中東、北朝鮮と韓国間、一昔前の西・東ドイツ境界線上、等々。
こういう事もあり、彼らは小説を書かない。
天才の情報処理、演算能力は、凡人の何十、何百倍に相当する。
普通の人の一日が、四日分、四十日分以上に、なったりする。
これは、このように想像してもらうと、分かり易いのだが。
貴方が子供の頃と、大人になってからの、情報の処理は、どのように変化したか?
そういう感じで、小説を創作するときも、とんでもない能力を発揮する。
彼らは基本的に、小説など書かないで、日々少しでも有意義に生きようとする、傾向がある。
天才という、神にも等しい、絶対安全圏にいるので、
わざわざリスクを犯してまで、滅私奉公しない。
恨めしい話に聞こえるかもしれない、天才はよく憎まれ、憎悪や眼の敵にされる事もママある。
だが、これもしかたない。
余りにも強力すぎる能力を持つと、半端な干渉は、およそ出来なくなる、というより難しくなる。
神が、仮にいたとして、その限り無く全知全能を、簡単に人間の救済に使えるかと言われたら、果たして、どうだろうか?
考えるまでもなく、それは難しいと、言わざるをえない。
神が直面しているような、力の行使に対する、とまどいを、天才達も十二分に抱えていると、予測される。
そして、救うとは、必ずしも、人間を生かす事にも繋がらない、というのも重要だ。
干渉するのなら、そこには感情が絡むはずだ。
神が居たとして、人間という存在に、プラスとマイナス、どちらを優勢に感じるか?
これも、難しい。
人間は過去、悲惨な戦争などを重ねて、全人類全体として、大いなる罪を重ねてきた。
これら巨視的な視点以外にも、様々な問題を抱えていたりもする。
だから、本腰を入れて、救う過程で、様々な葛藤に直面するのは、言うまでも無い。
人類を救済しようとすれば、逆に、人類の愚かしさに絶望して、人類殲滅、滅亡を目指す可能性も無くはない。
楽観的現実主義のように、一歩一歩でも前進することを選べば良いが、そうでない、
悲観的理想主義に傾けば、ただただ絶望の果てに、罪の意識しか残らないなら、死ぬだけである。
そして死ぬ決断とは、自殺には直接的に繋がらない事が、多い。
生きた屍となり、己の無価値化、世界のマイナス価値化に至り、人類の敵になるのが道理だろう。
とにかく、天才は物語を書かない、少なくとも全力では書かないようだ。
仮に、表舞台に躍り出て、我欲を満たそうとする天才は、偽者だと思う。
真に天才なら、多様性を損なうような、そういう創作物は、書かないはずだ。
天才のする事は、ただただ神のように、見守りに徹すると思われる。
そして、人類が危ないときだけ、裏から運命の歯車を操り、なんとかしてくれる。
もしかしたら、これは世界規模でなく、個人の規模でも、
働いている、大いなる運命として、あるのではないかと、天才を通じて神を信じる、良い考えになりそうだ。




