幕間 操る者と定める者
この世界とはまた別な。私たち人間が知っていて、知らない世界。
人間は皆、その世界を。
夢殿、と呼ぶ。
夢殿。
そこは望めば、全てが望み通りになる世界。
夢殿。
それは、逢うはずのない人物らが、世界も、時空も、時間の何もかもを超え、偶然をもって逢うことができる場。
貂蝉は歩いていた。
何の目的もなく、昏い夢殿を――――ただ一人で。
現世の貂蝉は呂布を使い、董卓を殺した。
しかし、生け贄のように、貂蝉の養父・王允は死んだ。
今、貂蝉は呂布と共に行動している。
やがて、時代が呂布を殺す動きを見せるだろう。
その時は傾国として、呂布を――――消す。
そっと足を止める。
傾国という闇の大華が貂蝉の中で咲くたび心のどこかが悲鳴をあげる。
押し殺し、封じ込めれば込めるほど、悲鳴は大きくなるばかり。
貂蝉は祈っていた。
貂蝉は探していた。
死を。
死に場所を。
スゥ~と風が吹く。
貂蝉の目の前に、女が立っていた。
髪が短く、見たことがない服を着た女。
何より貂蝉を惹き付けたのは、『全てを見るために在る』というような真っ黒な瞳だ。
何を思ったか、知らない。
ただ思わず、声が洩れた。
「どこまで私を苦しめれば気が済むのですか?」
女は初めて貂蝉を見た。
そして、言った。
「あなたが悲劇の傾国であるかぎり」
答えであって、答えではなかった。
「私は悲劇を作り語ります」
貂蝉は答えに満足しない苛立ちを言葉にする。
「そんな理由で私をここまで追い詰めるのですか?あなたの作りものの悲劇のせいで手にすることの出来る幸せを諦めろ、というのですか!?」
抑えが利かない怒りが貂蝉を支配した。
「あなたは何人、いいえ、何万人の死が望みなのですか!?あなたの作った悲劇は運命を狂わせ、死へと繋げる。それを知っていても、あなたは悲劇を作り続ける!!」
「でもっ、あなたのことを何も知らない人に、絶対に語らせない!!」
その言葉が貂蝉の心に響く。
「貂蝉っ聞いて!悲劇を語る者は語る悲劇以上の悲劇を知る者だけ!!私は――――たくさん見てきた」
貂蝉と女の間に映像が映る。
映像には煙を吸って、喉を掻き毟りながら死んでいく人々が映った。
「見える?この戦の名は第一次世界大戦。……1つの国の中で戦をしたんじゃない。国という国が戦ったの。毒ガスという化学兵器が初めて使われてしまった戦い。犠牲が犠牲を喚んでしまったの」
映像には様々な戦が、悲劇が映った。
第二次世界大戦、冷戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争、湾岸戦争、イラク戦争。
核兵器の真の威力。人の形をしていない赤ん坊。銃弾により死んでいく若者。家も親も失い寒さに震える子ども。引き裂かれ離れ離れになっていく親兄弟たち。
ヒトラーのユダヤ人迫害、スターリンの独裁による大量粛正、ポル・ポトの自国民虐殺。
言葉では言い尽くせない程の悲惨な結果が、事実が、映像を通して貂蝉の元へ向かっていく。
貂蝉にとっては未来の話だった。
しかし、女にとっては過去の話。
貂蝉は思わず女の顔を見つめた。
映像を見ているようであったが、すぐに違うと悟った。
女は、女が生きている世界の未来を見ていたのだ。
これから起こりうる悲劇の全てを真っ黒な瞳は捉えている。
「――――あなたが言うように悲劇を語る者はそれ以上の悲劇を見る者でなくてはならないのなら」
もしも、その話が本当なら、目の前にいる女は……。
「あなたは私と同じ、歴史に利用され、消える運命なのですね」
「分からない。でも、私も大変な時代に産まれてしまった。そうなるかもしれないけど、未来のことは神でも予測がつかない」
でも、と女は続けた。
「私は悲しみや苦しみ、行き場のない怨みや憎しみに終止符をうつことが出来る。私は過去に生きた者たちを裁く裁定者」
貂蝉は静かに瞠目した。
「貂蝉、私は裁定者としての判決を言います。あなたは傾国の舞姫。悲劇の薔薇姫。そして―――歴史を操れる唯一の人」
歴史を操る人。
「あなたは平和を未来に築くための犠牲。魚を捌くとどうしても血が流れるでしょ。それと一緒。あなたがいる世界も、私がいる世界も」
確かに、そうだ。
何かを良くするためには、血が、犠牲が出る。
「私の役目は、もう二度と乱世を生まないために伝えること。戦の悲劇、真実、事実の全てを伝えること」
貂蝉は思った。
私と同じだ。
私と同じ重い役目を背負っている。
「傾国が簡単に人を殺められるように、私の裁定者の心一つで過去に生きた人、過去人の善悪一切を決め付けられる。過去人の生きたであろう道を定めることが出来る。それが裁定者の権利」
貂蝉は問う。
「その判断が間違っていることはないのですか?誤った形で後世に伝えられることがないのですか?」
裁定者は恐ろしい存在だ。
もしかしたら、傾国なぞより恐ろしい存在になりうる。
「―――その時は過去人が裁定者を止めるの。……殺してでも」
それが過去人の権利だ、と女は言った。
「だから、私が血迷ったりして間違ったことを伝えようとしたら―――私を殺して」
死の覚悟。
それは、貂蝉も同じ。
「貂蝉、あなたの命運は私が持ってる。あなたの人生の全ては私が決める」
女は真っ黒な瞳を貂蝉に向ける。
「でも、私の人生を全部―――あなたに捧げる」
真っ黒な瞳の奥にあったのは、強い覚悟。
嗚呼、そうか。
この人はきっと何にも縛られない。
この人はきっと何にも囚われない。
縛られない代わりに、他の人は当然のようにある何かを失った。
囚われないために、他の人は普通に持っているものを代償にした。
嗚呼、この人は。
私と同じように得ることが出来た幸せを擲って。
嗚呼、この人も。
この未来には絶望か、悲劇しかないことを知っていて、それでも止まることをしなかった。
この人が、私の全てを伝えてくれる。
私が命を懸ければ、この人も命を懸ける。
それが分かれば、十分だ。
女と貂蝉は同時に歩き出す。
お互い、ただ真っ直ぐ、前に。
擦れ違う。
「さようなら、貂蝉。―――別な形で逢うことになるでしょう」
「さようなら、練斗。―――もう二度逢うことはないでしょう」
ヒュー。
風が吹いた。
もうそこには、裁定者・練斗の姿はなかった。
練斗には過去を定める力があるのなら。
私には歴史を操る力がある。
でも、その代わり。
私は平和な世を見ることが出来ない。
練斗は未来に、今の現状に干渉する事が出来ない。
それでも、練斗も私も。
ただ、ひたすら。
前を向く。
朝日が練斗を目覚めへと誘った。
(あれ?………今、誰と話して―――)
窓から風が侵入する。
「わあ!!」
風が机の上にあった原稿用紙を大変なことにする。
思いっきり飛び起き、原稿用紙を拾い集める。
その時。
何を思ったか、知らない。
ただ思わず声が洩れた。
「貂蝉、心だけは自由よ。世界が悪いものに支配されても、悲しい明日が未来を覆ってしまっても」
彼女の呟きは、誰かに聞かれる前に…。
ヒュー。
風がどこかに隠してしまった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次が最終話となります。




