連載
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作家なら多かれ少なかれ、誰もがやったことのある創作手法だ。何話とか何十話、時には何百話も話を語り続ける。手慣れている書き手にとっては容易、そしてプロになるなら避けては通れない。なぜか?
現役作家のほとんどが原稿料で生活しているからである。印税生活者など極々わずか。売れてる人間なら、印税は面白いように入ってくるだろうが、普通に著述に専念している人にとって、印税生活など無理な話。本は売れない。特に知名度などがないと。
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今時の新人賞作家や大手文学賞受賞者など、一昔前とはまるで違う。筆力は俄然落ちた。何かテレビなどに出て、営業することが目的みたいで(ボクが今日更新のグーグルプラスにて、ある作家を例に出して、そのふざけた生態を指摘させていただいた通り)作品は?とは言うと、全く水準以下だ。固有名詞こそ出さないが、ひどすぎる。あんな売文書いて、栄誉ある地位に立とうとすること自体おかしい。
一つはリアリティーの問題じゃなくて、必然性がなさすぎる。話にしても今の書き手のものは内容が薄い。ペラペラ。小説で読むんじゃなくて、コントかとかショート映画でいいようなものを量産している。そして文学賞などになると、メディアが一体となって宣伝する。小説家というよりも、むしろ芸人といった感じに近いか?公共の電波に出たかったら、芸人になればいい。そこに作家として作品を引っさげて出演する必要性なり、必然性はまるでない。
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昔から作家というのは悩みなどが深く、部屋にこもって作品を書く人間が多かった。今でもそういった味わいのある、文学臭漂った書き手はいる。ほんの一部だが……。大多数の人間が露骨な営業活動に明け暮れ、肝心の作品の方はくだらないものを出版し、読者を騙すということがほぼ日常茶飯事になっている。残念だが、これが現実だ。
だから、創作する人間はじっくり腰を据え、何かを連続して綴る経験が必要。当たり前のことだが、出来てない人は多い。そしてここで作家としてやっていくための分水嶺が出来る。長く残る人間と、あっという間に消えていなくなる人――、才能の問題はあるにしても、努力の跡や相違は歴然としている。まあ、こんなことは習うんじゃないのだけれど……。
最後に一言、連載をやっていると、書くメインテーマを絞るから、筆力は俄然上がる。一番手っ取り早い上達方法。誰もがやってることだし、未だに創作の王道。やるかやらないかは自由だが、ネット小説などからもヒット作が出ている時代だから、しない手はない。必ず誰かが見ててくれるのだから……。
ひとまず一筆書かせていただきました。
ではまた。
(了)