こんな悪役令嬢もありでしょう、たぶん
思ったのと少し違う形になったかもしれない。
「お嬢様、あなたは悪役なのですよ」
よく晴れた昼下がり。中庭にてティータイムを楽しんでいたユリア・ホーク・アンバードは、アンバード家に仕えている執事であるユダから、いきなりそう告げられた。
唐突な一言である。ユリアは、最初ユダが何を言っているのか理解出来なかった。
思えば、ユダは最初から不思議な男だった。未来を知っているのではないかと思うほどの智謀を発揮したかと思えば、馬鹿になったのかと思うほど愚かなことをしたりする。また、「モエ」だの「ナエ」だの、謎の言葉をしょっちゅう呟いていたりする。
「お嬢様はご存じないでしょうが、この世界はある遊戯の物語と一致しているのです。そこでお嬢様は悪役として活躍され、最後にはその命を落としてしまわれます」
その言葉は、果たして警告なのか、それともユリアの未来を楽しみにしているという愉悦の言葉なのか。
「お嬢様が私を信じるも信じないも、それは自由でございます。ですが、この言葉が真実なのは確かです。どのような生き方をされるのかはお嬢様の自由ですが、どうか後悔せぬ生き方を送ってくださいませ」
そう頭を下げ、ユリアの前からユダは姿を消した。
いきなりユダに告げられたユリアは、しばしそこから動くことが出来なかった。
混乱していたのもある。困惑していたのもある。ユダがおかしくなったと悲しんでいたのもあるし、やはりユダもという確信もあった。
だが、それ以上に――ユリアは喜んでいた。
悪役だ。悪役なのだ。誰もが嫌い、あるいは憧れ、物語の最後を彩る悪役なのだ。
ユリアは転生者である。前世が男か女か、そんなものは既に忘れた。男だったとしても、今は女として不自由なく暮らしているので問題ない。
前世の記憶も忘れつつあるが、そんな中でもはっきりと覚えていることが、ユリアにはあった。
ユリアの前世は、病的といえるほどに悪役好きだったのだ。
主人公よりもラスボスが好き。ヒロインよりもサブヒロインが好き。映画を見に行ったら、ヒーローよりもヴィランに熱中した。
そんなユリアであるから、自分が悪役だと告げられた時の喜びは半端ではなかった。自分は主人公ではなく悪役なのだ。何と心が踊ることだろう。
ならば、悪役として相応しい人間になってやろうではないか。
ユリア・ホーク・アンバード、現在七歳。これからの生き方が決まった瞬間であった。
◆
王立グランダラス高等学園。そこは、貴族も平民も関係なく高等教育を受けることの出来る学園である。
高等と謳うだけあって学ぶことの出来る内容は高度なものばかりだ。入学する者も多いが、ついていけなくて辞める者も多い。だが、この学園の教育についていくことが出来れば、国を引っ張っていく人材になることは間違いない。
グランダラス高等学園は、世界でも有数の教育機関の一つなのだ。そのため、この学園のあるグランダラス王国の王子達がこの学園で学ぶのも、当たり前な話なのだった。
「はぁ……」
食欲が無いと言ってサンドイッチを数個食べた後、ひたすら何かを悩んでいた第一王子――アメール・グランダラスは、ついにサラリとした銀色の髪をグシャリと掴み、憂鬱そうにため息をついた。
それを幼なじみにして近衛騎士であるランド・トランドは痛ましげなものを見るように見つめ、弟の第二王子であるクレール・グランダラスは憤怒の表情で睨んだ。
ため息とともに一変した空気。それにビクリと震えながら、気丈にもアメールに声をかける少女が一人。
「あの、アメール様。何かお悩みでもあるのでしょうか?」
「ああ、セリス嬢。その一言が今の俺にはとても嬉しい」
ふわりとした桃色の髪と、髪と同色の優しげな瞳。アメールにセリスと呼ばれた少女は、いかにも心配しているといった表情を全面に押し出して、アメールに尋ねる。
セリス・ウィクトーリエは、ごく自然と人を思いやることの出来る、心優しい少女であった。
「悩み、と言えば悩みかもしれないな……」
もう一度、アメールはため息をつく。
「あの……出来れば教えていただけませんか? もしかしたら、力になることも出来るかもしれません」
セリスの再度の言葉。その言葉を聞いて、アメールは縋るようにセリスを見つめ、クレールは更に怒りの気配を強くする。ランドがクレールを押さえていなければ、クレールは兄を殴りつけていただろう。
「セリス嬢が俺の力に? ……いや、無理だな」
セリスの全身を一瞥して、アメールは首を振る。
愛らしい少女だと思う。可愛らしい少女だと思う。もし彼女が婚約者なり恋人だったならば、どれだけ楽しいだろうかと思ったりもする。
だが、如何せんセリスはただの少女である。心優しいただの少女である。争い事は苦手であるし、喧嘩の一つもしたことがないだろう。
だからこそ、セリスが彼女に立ち向かうなど不可能だ。
「兄上。あなたはユリア様を捨てるのですか?」
多少落ち着いたのか、クレールがアメールに尋ねる。その後ろでは、ランドが激しく息をついている。おそらく、ランドは必死になってクレールを宥めていたのだ。ランド・トランドという男は、こういった貧乏くじを引くことが多い男であった。
「まさか、捨てるものか。捨てることなど出来るものか」
諦めたように、自棄になったようにアメールは答える。そうとも、捨てることなど出来るわけがない。捨てられるならまだしも、アメールの方から捨てることなど不可能だ。
ユリア・ホーク・アンバード。彼女がいなければ、この国は終わっていてもおかしくないのだから。
「それならばいいのですが……ハッ!?」
クレールは安堵し、次の瞬間学園の入口の方へ頭を向ける。
クレールは感じ取ったのだ。彼女から発せられる圧倒的な気を。その気配、その圧力、全てが規格外。まさしく全てを支配するために存在する王の中の王の気配。
他の生徒達も彼女の存在に気がつき始めたようだ。ある者は陶酔したように入口の方を見つめ、またある者は恐怖のあまり失禁し、その場に倒れ伏す。
良くも悪くも、彼女の存在は大きすぎるのだ。
「ああ、来てしまったか……」
「あ、ああ……」
そして、アメールは諦めきったように重く重く項垂れ、セリスは震えだす。優しい人々の中で、平和に過ごしてきた彼女には、ユリアの覇気はあまりにも強すぎた。
次の瞬間、アメール達の上空を何かが通りすぎた。巨大な影だ。鳥などではない。もっと大きな、そして強い何かだ。
それは学園の上空を旋回し、やがて中央広場へとゆっくりと降りてくる。大きな両翼をゆっくりと動かし、生徒達が吹き飛びそうになるほどの豪風を巻き起こしながら、ついにそれは着地した。
それは、ドラゴンであった。
巨大なドラゴンだ。小山ほどの大きさの馬鹿げたサイズを持つドラゴンである。光をも呑み込む暗黒の鱗を身にまとい、何かを守ろうとするように、その貫かれそうなほど鋭い眼差しで生徒達を見回している。
「よいぞ、黒王」
黒王――このドラゴンの名前である――と呼ばれたドラゴンは嬉しそうに啼くと、頭を垂れて地面へとひれ伏した。誇り高い最強種たるドラゴンが、ひれ伏しているのである。その光景だけでも、ドラゴンを少しでも知っているものならば驚愕するだろう。
どうやら声の主は黒王の頭部に立っていたようだ。黒王の頭部から地面に降り立つと、愛おしそうに黒王の頬を撫で、柔らかく微笑みかけた。
何とも慈愛溢れる光景だ。人々はこの光景に、聖女を見るが如し神聖さを感じるだろう。声の主が、普通の女であれば、だが。
なるほど、確かに声の主は女であるようだ。この学園の女子用制服を着ていることから、それは把握出来る。
ただし、とても女には見えなかった。身長は二メートルを超え、その体は鍛えぬかれた筋肉の鎧を纏っている。あまりにも鍛えられすぎているおかげで、制服は今にもはち切れそうである。
顔は厳つく、彫りが深い。彼女が歩んできた修羅の如き人生が表れているようだ。
「む、そこにいるのはアメールか。久しいではないか」
「や、やあ……お久しぶり……」
アメールの姿を見つけた彼女は、重み溢れる足取りでアメールへと歩み寄る。その声を震わせながらも、何とか笑みを浮かべて挨拶を返したアメールは、賞賛されるべきだろう。
そして、アメールのもとに辿り着いた彼女は、腕を組んで仁王立ちだ。王子の前にいるとはとても思えない尊大な姿勢だが、何故か誰も彼女を責めない。責めることなど出来ないし、何よりその姿が彼女に似合いすぎている。
だからだろう。王子であるアメールを捨て置いて、多数の生徒が片膝をつき、彼女に頭を垂れている。それどころか、第二王子であるクレールまでもが同じ姿勢をとっている。
「うぬも相変わらずよの、クレール」
「ご帰還、お待ちいたしておりました。ユリア様」
「うむ」
頷き、クレールが座っていた椅子に彼女――ユリアは腰掛ける。ごく自然に王子に席を譲られ、ごく自然に座っているが、誰も突っ込む者はいない。
そう、彼女こそ、アメールの悩みの種であり、婚約者でもあるユリア・ホーク・アンバードである。そして、あまりにも悪役を好きすぎて、自らその人を目指してしまった転生者でもある。
王のように座ったユリアの前に、ズラリとクレール、そして他の生徒達が頭を垂れて並んでいる。もはや誰が一番偉いのかわからなくなってくる光景だが、この学園では見慣れたものだ。突っ込む者はやはりいない。
「変わりはないか」
「はっ、学園に変わりはありません。民達はいつも通り、平和に勉学に励んでおります」
「うむ」
「これもユリア様が国内のクズ共を排除してくれたからこそ。皆、機会がないからこそ言葉には出せませぬが、ユリア様には多大なる感謝をしているところでございます」
流れるように報告をしたクレールが背後を向き、並んだ生徒達が一斉に頷く。
「感謝など不要。我が北○神拳の前には、あの程度の輩などゴミクズ同然。そして、今はまだ我の支配する領土ではないが、ここもいずれは我が領土となる。ならば、ここに住む民は、我が民も同然よ」
「ああ、ユリア様。何と偉大なるお方」
「拳帝様、一生アナタについていきます!」
「俺たちを導いてくれ!」
湧き上がる拳帝コールと、盛り上がる生徒達。それに頷くユリア。貴族も平民も関係なく、生徒達はユリアを敬愛し、信仰している。その圧倒的な強さによって、ユリアは生徒達をまとめあげている。
それは国の始まりだ。まだ人数は少ないが、ここには他とは違う国が出来ようとしている。本来ならば王子として、アメールとクレールはそれを止めなければならないのだろうが、その王子の片割れがユリアを信仰しているのだから、止めることも出来ない。
そして、もう一方の片割れは、疲れたようにため息をつくだけだ。今までユリアの婚約者として過ごしてきて、ユリアを止めることは出来ないと理解しているし、仮に止めようとしてもユリアの信奉者がそれを阻止するだろう。ユリアの信奉者は、ユリアのためならば例え王子が相手でも敵に回るほどに、ユリアのことを信じている。
第一王子として、これほど頭が痛い問題もない。アメールは頭痛に耐えながら、セリスへと再度問いかけた。
「セリス嬢。彼女がユリア・ホーク・アンバード。俺の婚約者にして、悩みの種だ。君にはこれが解決できるかい?」
問いかけるも、セリスからの返事はない。見ると、セリスはアメールからの問いかけを完全に無視して、まるで魂を抜かれたようにユリアのことを見つめていた。
嫌な予感がする。とてもとても嫌な予感がする。アメールの背を、冷たい汗がどっと流れる。
そして、彼女は、決定的な一言を呟いてしまった。
「……ユリア様」
「セリス!?」
神を前にした聖女のようにユリアを見つめるセリスを見て、アメールは確信する。
ああ、何ということだ。俺の癒やしが失われてしまった。
その現実に、アメールは両手両膝を地について絶望する。もはやこの学園に、アメールの安息の地は無くなってしまったのだ。近衛騎士であるランドは、慰めるようにアメールの肩を叩くことしか出来なかった。
世紀末覇者系悪役令嬢を目指したが、間違ったかな?
悪役と言ったらやはり拳王様。