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薄雲  作者: 山口ゆり
1970s
6/18

若紫

父母のお話。

茉里(まり)は15で子供を産んだ。

決して好きになってはならない人の子を。

今、彼女は1人。

やっと首の座った息子は、手の届かないところに行ってしまった。


親にも勘当された。

15も上の男の子供を産むなんて信じられないと。

でも仕方ない。

産みたかった。好きで、好きで仕方のなかった人の子。

彼も彼女を抱いた。優しかった。

あの時のぬくもりさえあれば、生きてゆける。

そうして、彼女は誰に気付かれることもなくひっそりと生きている。



息子は父親の元に引き取られていた。

尚志(ひさし)は、親も、その親もまた政治家で、自分もその道を志していた。

そんな時、茉里という少女に出逢った。

不覚にも心から彼女を愛してしまった自分に気付いた。

この少女と共に生きてゆこう。

そう決めたから、精一杯抱いた。

それなのに、彼女は目の前から消えてしまった。

捜しに捜した。心が壊れてしまうほど。

それでも結局見つからなかった。

そして1年の後、自分の小さな頃と瓜二つの赤ん坊が連れてこられた。


全てが分かった。父を恨んだ。

でもその時すでに歯車は回り始めていて、子供に見合うようにと結婚までさせられてしまった。



茉里はテレビを見ない。新聞も読まない。

かつて愛した彼が、その中で確かに生きているから。

この間、たまたま職場で見たブラウン管に、彼と、美しい女性と、その隣にちょこんと座る男の子を見つけた。

思わず泣いてしまった。

仕事仲間は皆、驚きの目で彼女を見つめていた。

それまで彼らは、彼女が笑った顔すら見たことがなかったのだから。



尚志はほとんど家に帰らなかった。

代々の地盤とその風貌、頭の良さ。

彼が昇りつめていくのに時間がかからなかったのは事実だけれど。

もともと心の繋がらない妻と、愛した女性を思わせる瞳をした息子のいる家。

彼は息子に触れようとする時、あの娘に触れた時のようにしたいと思ったのに、どうにも上手くいかない。

本当に心が壊れてしまったのだろうか。


十数年経った頃には、息子は口もきいてくれなくなっていた。

彼の結婚生活も、何度も終焉を迎えていた。

この頃彼は未来を嘱望されていたから、後に座る女はいくらでもあてがわれた。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。


想いめぐってそれでも彼の求める女性は、今も昔も1人だけ。



厚生省の次官が、職場を視察するという。

茉里はしがない給食作りのパート員だったけれども、全員参加というので仕方なくその場に残る。

物々しい雰囲気で入ってきた長官をみて、時が止まった―――。


彼女が時の厚生省長官なぞ知るはずもなかった。

まさかずっと夢の中でしか逢えなかった恋人だったなんて。

胸が締め付けられる思いがした。

駆け出してその瞳に私を映して。

でもすぐに思い出した。あの時見た彼の家族を。

だから彼に気付かれないようにそこから離れ、急ですいませんが、とその日のうちに仕事を辞めた。



やっと見つけた。

まさかこんなところにいたなんて。

彼は電光石火の勢いで彼女を捜し出した。


15年ぶりだった。

彼はあの夜言えなかったことを告げた。優しく。

想いは時を超えた。彼女は美しく泣いた。

ここでもし彼女が拒んだとしても、もう離したくない。離さない。



成人したばかりの息子は、高校を出てから一歩も家に寄り付かない。

ずっと心の中で、息子の幸せを願ってきたというのに。

皮肉なことに、彼は息子に昔の自分がされたことを繰り返している。

未だに上手く心のバランスが取れないのだった。

だからかもしれない。

あの時も、そしてあの時も、いつでもあの子にこうしてあげたかった、という想いは全て、もう1人の小さな息子に注がれた。

2人分、愛した。



「こんなんじゃ、日本の未来は危ないな」


不器用な政治家は、はは、と自嘲する。

やっとのことで手に入れた妻も、切ない顔をしている。

息子は、聡介は、自分が愛されているとは露ほども思ってはくれないだろう。

ああ、今、私たち家族はやっと1つになれたのに。

お前がほんの少しこちらに心を向けてくれたなら、この想いを伝えたいのに。



聡介。私の可愛い息子。

本当は親譲りで心の弱い息子。ずっと本当のことが言えないでいる息子。

ずっとひとりぼっちにさせた母を、あなたは許してくれないでしょうね。

でも、いつか分かってください。

あなたのお父さんは、本当にとても深く私を愛してくれたのよ。

私がもう少し強ければ、もっと早くあなたを抱きしめてあげられたのに。


ごめんなさい。



茉里は待合室で座ったまま、今まさに弟を救わんとして戦っている兄のことを思った。

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