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薄雲  作者: 山口ゆり
本編
4/18

4.聡介と2人の天使

聡介は天使と出会った。


子供たちの世界は美しい。取り繕うことなど何一つなく、全てが実像。

何よりその瞳には希望の光が見える。それがありがたくもあり、嬉しい。



205号室の住人は、血を病んだ少女だった。

毎日の採血で、まるでこの世のものとは思えない白い肌を青黒く変色させている。


「先生、今日は暑い?」

「いや、別に。今日はジメジメしてなくていい感じだな」

「そう」


窓の外は、外科病棟の、壁。ただ知るのは、遠い遠い空の色。

それと同じで、どこまでも透き通った綺麗な瞳をした彼女。


「私ね、最近調子いいみたい。秋朔(あきのり)もそうなんだって」

「そりゃ良かった。担当医としては助かるな」

「こちらこそ」


採血が終わってパジャマの裾を手首まで戻してやる。

淡い色が良く似合う少女だった。

秋朔と呼ばれた少年もまた、この特異な血の病を抱えていた。

2人は生まれたときから共に戦ってきた仲なのだ。

配属になる前高井に連れて来られて会って以来、2人は聡介を兄のように慕っていた。

実際のところ、データを見ても2人の病状は言葉とは正反対であった。ほとんどその時を待っているという状態。

なのにこの少女ときたら、気持ちよさそうに笑っている。


「秋朔がね、また源氏物語の話をしてくれるの」

「今日はどこから?」

「えーと……何だったかな」


少女は古典を語る少年に恋をしていた。美しくて、眩しい。

聡介は初めて会ったときから、この2人をじっと見守ってきた。

聡介にとって2人はとても大事だった。

こんなに穏やかな顔をして美しく恋を語る若者たちを、自分よりずっと大人だと感じていた。


涼子(りょうこ)

「ん?」

「……でもあんま、無理すんなよ」

「はーい」


医師は事の深刻さを知っているがゆえに、患者も自分のことであるがゆえに、一番重要な部分は言葉に出さずとも分かっていた。

だから、少しだけ注意。

つんのめらないように。それだけ。


「あれ、中田さん」

「おう」

「なんでいっつも涼子が先かなぁ」

「男と女だったらそりゃあ女をとるよ、俺は」

「うわっ、最悪医師」

「褒め言葉をどうも」


扉を開けて入ってきたのは、青いチェック柄のパジャマ。

少しくせっ毛で、背の割には全く肉のない身体をしていた。

彼は聡介のことをさんづけで呼んでいる。


「グッドタイミング。今秋朔の話をしてたとこよ」


少女が破顔する。

王子様の登場に、その小さな身体いっぱい喜びを溢れさせて。

少年もそれに応える。

勧められる前にお姫様の横に座り、彼女のためだけに笑顔を作る。

聡介は時々、その景色が現実なのか2人に触れて確認してみたくなる。


「では邪魔者は消えるとするかねぇ」

「あーそうしてよ」


少年はいたずらっぽく告げる。

それを見て少女は2人はまるで兄弟みたいと笑う。

彼は、聡介が昔自分の手の中で亡くした弟の瞳に似ていた。

今一番護りたいもの。それがここにあった。



2人が、日に日に痩せていく。8月もお盆を過ぎた頃。

聡介はこっそり、毎日の見回りの回数を増やしている。


「あ、先生」

「よ」

「何しに来たのさ。今日これで何度目?全く暇な医者はこれだから困るよ」

「うるせぇ」


バレていた。そう言いながらも2人は、聡介を受け入れる。

よく分かっていた。この担当医が、自分たちのことを自分たち以上に心配してくれていることを。


「明日なんだけどさ、お前ら外出てみたくないか?」


急な提案。


「えっ!?なんでどうしたの?」

「や、別に、ここらでいっぺん家に帰ってみるのもどうかと思ってよ」


ドキドキしながら返事を待つ。


「……うん、いいかもね」


少年が少しの間の後そう言う。

この2人は、生まれてこのかたここを出たことがない。

そして、両親たちは何をしてあげれば良いのか分からず、接し方に苦労していた。

そんな時に聡介が来た。聡介は彼らに、自分が子供の頃望んでいたことを伝えた。


―――何も考えずにそばにいてやること。


おそるおそるではあったが、彼らはそれを実行した。

それまで絶対に会おうとしなかった2人も、2年ほど前から何も言わずに彼らを拒まなくなったのだった。


「うわぁ、どこ行こうかなぁ」


少女は夢を見るように呟く。


「行きたいところに行ってこいよ。今までベッドの上でそういうこと散々考えてただろ」

「うんっ」


そしてこれは最後の旅だから。戻ってきたら、きっともう二度と外には出られないから。

だから、うんと風を感じてこい。

めいっぱい草の匂いを吸い込んでこい。

干からびるくらい陽の光を浴びてこい。

自分の足で、広い世界を見てこいよ。

そしたら、お前たちのこの小さな世界がどんなに綺麗なものか分かるよ、きっと。


「ねぇ中田さん。中田さんだったらどこ行くよ?」

「え?」

「どっか1つだけ行けるとしたら、中田さんだったらどこに行く?」

「んー……」


ここだよ。

今休暇を与えられても、きっとここに来てしまうだろう。

お前たちのいるここが、俺にとっての一番の場所。


「やっぱ家だろう」

「えー?何で?」

「寝る」

「つまらん人間だなぁ」

「つまらなくて結構。俺様は、日々君たちの面倒を見ていて大変なのだよ」

「恩着せがましいの。あんたそれが職業だろうに」

「うるせーなーお前らもっと俺に感謝しろ、感謝」

「「えー」」


聡介は、日々この2人の存在が自分をとても穏やかにしてくれるのを感じていた。それと同時に、死なせたくないという思いが膨らんでゆくのも。

人がそれを責任感と呼ぶのなら、俺は小児科を選んで間違いなかった。そう思った。


けれど彼らと過ごした日々は、いよいよ終わりを告げる。また、助けてやることが出来なかった。

それでも絶対に忘れない。豊嶋(とよしま)秋朔と深沢(ふかざわ)涼子という人間が確かに存在していたことを。そして、中田聡介という人間に生きる意味を教えてくれたことを。

そう。彼らは命がけで聡介に教えてくれた。人を愛することの美しさを。一生懸命生きる人たちの輝きを。

そして……聡介にも、生まれてきた意味があるということを。

彼はずっとその答えを探していた。探し続けていた。

こうして誰かに言って欲しかったのかもしれない。あなたに会えて、良かったと。

今回登場した2人の天使は、別作「空蝉」の主人公です。

よろしかったらぜひそちらもお願いします。

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