永遠の対義語としての愛
それでも私は彼と一緒にいたかったのです。
私はまた暗い檻の中に閉じ込められてしまいました。
最初の私はむかしむかしに生まれました。
私はある男に命を捧げました。そして男は私に新たな命を吹き込んでくれました。
最初の私は深い森に住んでいました。
私は太陽を愛し太陽に愛される日々だけが私の過去と未来をつないでいました。
もういいかい?
まだだよ。
太陽は西を目指し何度も私の体を照らしては西の山にしずんでいきます。それは永遠の時間の中で繰り返される営みなのです。
ある日、町の青年が私を求めて森に分け入りました。
私の住む世界と彼の住む世界は隔絶されています。町に住む人々は私たちの世界を魔境と呼んでいるようで、これまで誰ひとりとして私たちのもとを訪れる者はいませんでした。彼は純粋な意思を携えて森の奥深くへと足を運んで行きました。そして森にすむ私たちをまじまじと見つめてはさらに奥へ奥へと歩みを進めていったのです。そしてそれは私と彼が出会うまで続けられました。
私たちがお互いを知るのに時間は必要ありませんでした。私たちは見つめ合いました。すると時間が止まるのです。見つめ合うこと。それは私たちが初めて味わう濃密な契りでした。私たちに再び時間をもたらしたのは木々を縫うようにしてこだます雲雀のさえずりでした。そしてそれは私たちの春を祝福してくれているように思えました。
生まれてからそれまでの間に構築してきた全ては消え去り、お互いの右手の先から左手の先までが、この世界の全てに変容してしまったのです。
私たちは新しい地平を発見することで過去を失いました。私は自然の要請に従うようにして彼に手を引かれて森を出ました。
私は彼の家で新しい生活を始めました。それは寄りかかっただけで崩れそうなほど慎ましやかな家でしたが、私たちが愛し合うのに必要なものは全てそこにありました。私は様々な不安に駆られる度に彼の目を見つめました。私はいつだって彼の瞳の奥で、お互いにとって大切なものを見出すことが出来ました。私はそれまでの経験から、そのような満ち足りた日々は永遠に続くのだと私は思っていました。しかしそれは間違いだったようです。それは時に嬉しく時に悲しい誤算でした。
彼は自身の持つ工房で美しい生命を生みだしては時の権力者達を満足させました。次第に彼は名声を手にし、私たちが住む家も大きく立派なものに変わっていきました。私たちの周りを取り囲む環境は刻々と変化していきました。そして私自身も彼によって純朴な精霊から世にも稀な麗人へと変貌を遂げていったのです。
彼は私の変化を喜んでくれました。そして私はいつだって彼の愛を感じることが出来ました。それは私にとって何にも代えがたい喜びでした。
私の評判は、やがて町中に広がっていきました。彼のもとには国中の金満家が足を運ぶようになったのです。
「彼女を私に売ってくれ、金ならいくらでも払う。」
彼の前にお金を積み上げる男たちは風貌こそそれぞれに違っていましたが、彼らは例外なくぎらぎらとした光を身にまとい、汚らわしく淀んでいました。彼らが私たちの家に訪れる度に、私は家の奥へと身を隠しました。彼らの瞳には悪意の塊が見て取れました。それが私に嫌な胸騒ぎをもたらしたのです。
申し出が断られる度に彼の前に積まれる金銭の嵩が増していきましたが、彼がそれらの申し出を受け入れることはありませんでした。次第に私は外出を控えるようになりました。彼がそのような私の行動に負い目のようなものを感じていることに私は気付いていました。私がそう遠くない未来に抱く不安に気付かないふりをしてくれましたし、忘れさせようともしてくれました。
縁側から流れてくる風は、いつだって私の心を豊かにしてくれました。私は縁側の先に広がる庭を見つめるのが好きでした。春に芽吹いてゆく桜を愛おしく思い、新緑の風に散る花弁に私の思いを重ねました。そのようにして月日は緩やかに流れてゆきました。
窓から差し込む光が燭台の灯に変わりやがて藍色の朝がやってきます。太陽が東の果てに姿を見せる時間に彼は毎日工房に出かけていくのです。
その日もいつものように、私は彼の帰りを待ちました。しかし彼は帰ってきませんでした。
「彼は死んでしまったよ。」
私の予感を確信に変えたのは縁側から吹き込む風の歌でした。
そうして私はこの世界で一番汚らわしい男のもとに引き取られ、心を失いました。
皮肉なことに私は再び永遠の時間をその手に取り戻すことができたのです。