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闇から出して

作者: 鈴野鈴

 目を覚ますと、闇に包まれた。続けて冷たい空気が身体を冷やす。背中から伝わるひんやりとした冷たさに身体が震えた。僕は石のような地面の上で、仰向けになった状態で倒れていた。

 視線を上下左右に動かすけれど、景色は何も変わらず黒一色に染まっている。瞬きを幾度か繰り返す。何も変わらない。

 右手を目の前に翳してひらひらと動かすと闇が揺れた。タイミングをずらしてさらに右手を動かす。同じように闇が揺らめいた。どうやら僕の目が見えなくなってしまったわけじゃあないらしい。思わず安堵の溜息が出た。喉から出た暖かい空気が、暗闇を濁したような気がした。

 両手を冷たい地面について体を支えて上半身を起こすと、手のひらの膨らんだ箇所に小さな砂利が食い込んだ。

 相変わらず周りはどこまでも真っ暗で、地面との境界線すらわからない。なんとなく地面を叩くと、タァン、と中身の詰まった物を叩いた時独特の、無機質な効果音がくぐもって響き渡った。建物の中なのだろうか。

 立ち上がって、両手を前に突き出して闇に泳がせながら慎重に歩くと、すぐに壁にぶつかった。ザラザラとした荒い感触が指先から伝わる。強く擦ると皮膚が破けそうだ。

 そのまま壁に沿って歩くと、扉を見つけた。鉄製の重たそうな扉で、錆臭い匂いが鼻を突く。氷のように冷たい取っ手を握って回そうとしたけれど、ガチャガチャと引っかかった。鍵がかかっていた。無駄だと分かっていながらも、扉を前後に押し引きすると、ガン、ガン、と拒絶の音が響いた。

 僕は扉の向こう側にあるはずの空間に大きな声で叫んだ。自分の声が建物の中に反響し、空気を揺らして空間を埋める。続けて何度か叫んで人を求めたけれど、扉の向こうからは何の反応も無かった。誰もいないのだろうか。改めて自分が独りなんだと痛感すると、怖くなった。頭の中に湧き上がる不安を、ぐっと堪えて隅に追いやる。

 僕は閉じ込められているのだろうか。この真っ暗で寒い、何処なのかもわからない場所に。誰が閉じ込めたんだろうか。何故閉じ込めたんだろうか。何故僕が閉じこめられたんだろうか。何も分からないけれど、そう思うことしか出来なかった。

 喉を小刻みに震わせながら息を吐く。冷たい空気と真っ暗な闇が、何も言わずに僕を包み込んだ。


 壁に沿って歩いていった結果、ここは、丸く囲うように沿った壁に包まれた部屋だということが分かった。直径が約五メートル程の、丸く小さな部屋だ。天井の高さは分からなかったけれど、見上げると目に映る暗闇は、空間がどこまでも続いているように感じさせた。

 部屋の中には何も置いていなかったけれど、地面の砂利や砂のことを思うと、ここは部屋じゃなくて倉庫や物置といった所じゃないだろうか、と考えることも出来た。僕を閉じ込める為の物置。僕を外に出さない為に道具を外へと運んでいる僕の知るはずのない人を思い浮かべる。そうやって僕は無意識に、勝手に自分を閉じ込めた犯人像を頭の中で思い描いた。

 僕はどれくらい、ここに閉じ込められていたのだろう。壁に寄りかかり、膝を抱えて考える。壁のザラザラが背中に当たって少しだけ痛かった。呼吸をする度に口から出る息が、ほんの一瞬だけ太腿を暖めた。

 ここで目覚める以前の、一番新しい記憶を思い出す。確か、僕は家族と一緒に家で夕食を食べていたはずだ。父さんと母さん、それに年の離れていない兄さんと一緒に四角いテーブルを囲んで、暖かいシチューとパンを食べていた。僕と兄さんはテーブルの真ん中に置いてあるパンを争いながら取り合って、父さんはそんな僕達に「落ち着いて食べなさい」と呆れたように言い、母さんはその光景を優しく笑いながら眺めていた。

 それが最後の記憶だった。そこから先は白い靄が掛かったようにぼやけてしまって、思い出すことが出来なかった。

 薄い茶色の木のテーブルに並べられたシチューとパンを思い出すと、空っぽのお腹がだらしなく空腹を知らせた。

「寒いし……お腹が空いたなぁ」

 なんとなしに呟くと、僕の声は物置の中に響いて闇の中に溶けていった。

 目を閉じると、ゆったりとした微睡みが頭の中を満たしていった。


 どこにでもいるような、普通の家族だった。普通に、平凡で幸せな四人家族だった。

 父さんと母さんは時々喧嘩もするけれど仲が良かった。二人が口論になると、いつも結局は父さんが渋々折れて、母さんの勝利で終わっていたような気がする。

 父さんは村の中でも少ない猟師で、三日に二回は村を出て、山で狩りをしていた。体の丈夫な父さんと比べて、母さんは少しだけ人より身体が弱くて、家に居ることが多かった。僕はそんな母さんを心配していたけれど、兄さんと二人で遊び疲れて家に帰った時に母さんが「おかえり」と迎えてくれるのが嬉しかった。

 兄さんと僕は些細なコトで沢山喧嘩をしていたけれど、仲が悪いわけではなかった。いつも二人で村中を駆けまわって遊んでいた。追いかけっこをして、僕達はしょっちゅう傷を作って帰る。すると、母さんはいつも溜息を吐きながらも、笑って傷薬を塗ってくれた。

 どこまでも続く真っ青な空の真ん中で、太陽が燦燦と輝く暑い日の事だった。兄さんは僕に、村から離れたところにある森に遊びに行こう、と額に汗を滲ませながら言った。村から出て、細い砂利道を進んだところにある森だ。村の人達はあまりその森に近寄らないため、僕達二人が遊ぶには最適の場所だった。僕は兄さんの提案にのって、背中に太陽の光を浴びながら、二人で走り出した。

 森へと続く一本の砂利道は、草原を見事にまっすぐ突っ切っていた。その突っ切った線を辿っていった先に、小さく緑色の木の頭が沢山見えていた。

 僕と兄さんは、記憶にない新しい景色にわくわくしながら、森へと歩いた。砂利道は真上から照りつける太陽に地面を白く焦がされ、その熱が足の裏側から伝わってきた。両脇に並ぶ腰より高く伸びた草から、緑色の匂いが柔らかい風に運ばれて鼻に届いてきた。

 森へ着くと道はそこで途切れ、そこからは複雑に曲がりながらも天を目指して枝を伸ばした木々が、隙間を詰めるように広がっていた。

 兄さんは僕に、隠れんぼをしよう、と顔を輝かせながら提案した。確かに、このクネクネとした木に囲まれた場所で隠れんぼをしたら面白いだろうな。と僕は思った。

 じゃんけんをして役割を決めた。僕が隠れる役で、兄さんが探す役に決まった。

 兄さんが背の高い木に前のめりに寄りかかりながら百まで数字を数えだす。心なしか兄さんは早口で数を数えているようだった。僕は慌てて森の奥へと潜り込み、隠れる場所を探す。がむしゃらに進んだ所に、一際大きく、枝が絡み合った大木があった。僕はその大木によじ登り、枝と葉で身を覆って隠れた。

 しばらくして、兄さんの「もーいーかい」という声が耳に届く。僕は大声で「もーいーよー」と返して、さらに身体を縮こませた。

 遠くの方から枝を掻き分ける音が聞こえて来る。遠ざかったり、近付いてきたりを繰り返していた。頭上の枝と葉が風に揺れる音が体を包み、苔の匂いが漂ってくる。いつしか僕は、涼しい風を浴びながら、大木にしがみついたままの状態で寝てしまった。


 目を覚ますと、僕は父さんの背中に背負われていた。森から村へと続く帰り道を歩いている。父さんの肩越しに、オレンジ色に輝く太陽が山の向こうへと沈んでいくのが見えた。

 視線を斜め下にずらすと、兄さんが目を覚ました僕の顔を見て安心したような表情を見せた。

 家に帰って話を聞くと、兄さんはいくら探しても僕を見つけることが出来ず、不安になって村へと戻り、父さんを呼んできたらしい。大木の下で、倒れて寝ている僕を父さんと見つけて驚いた。と、いつの間にか膝に擦り傷を作り、そこに傷薬を母さんに塗ってもらいながら兄さんは言った。

 木の上で眠っていたら、いつの間にか枝から落ちてしまい、頭を打って気絶してしまったらしい。僕はお風呂に肩まで浸かりながら、頭の後ろ側に出来た、たんこぶを触りながら、大きな欠伸をした。

「また、ズボンのポケットに石ころ詰めて帰ってきたわね」

 と母さんが呆れたように言うのが、くぐもって聞こえてきた。

 その日の夕食の時、父さんは僕達二人に「あの森には人を食べちゃう怪物が住んでるから、危ないんだぞ」とそれっぽい嘘をついて、森に遊びにいくことを禁止した。僕達二人はそんな父さんの嘘をまともに受け、それからは、また村の中で遊ぶことにした。

 いつもそれっぽい嘘をついて僕達二人を騙すのは母さんの役目だったけれど、それもいつの間にか父さんに伝染ってしまったらしい。

 

 微かな音に耳が反応し、目を覚ました。懐かしい思い出を夢見ていた。懐かしく、そして遠い日の思い出だった。思い出そうとすればする程に、遠ざかり消えていく夢。

 足音がした。物置の中からじゃない。物置の外、扉の向こう側から、微かに聞こえて来る。足音はどんどん近付いてきた。次第に話し声も聞こえて来た。一人ではなく、数人で会話をしているようだけれど、この物置の中からでは会話の内容を聞き取ることは出来ない。

 僕はすっかり寒さで固まってしまった体を立ち上がらせた。腰の関節や背中の骨が悲鳴を上げる。

 手探りで扉へと近付き、冷たい壁の向こう側へと耳を澄ます。

 三人か四人くらいの人達が話し合っているのが分かったけれど、扉から離れた位置にいるのか、小声で話しているようで、やはり会話の内容は聞き取れなかった。

 やがて会話が止み、遠ざかって行く足音が聞こえて来る。僕は慌てて声を張り上げた。

「待って! 待って下さい! 僕をここから出して下さい!」

 叫び声が物置の中に反響する。続けて僕は何度も声を張り上げる。扉を叩く。冷え切った鉄の扉を手のひらで叩くと、冷たいというより痛かった。

 叫ぶのを止めると、声の残響が虚しく闇に溶けて静寂がまた甦った。扉の向こうからは、足音も話し声も、人の気配も消えていた。僕はまた独り、この闇に取り残された。呼吸が荒くなり、身体が震え続ける。寒さからなのか、それとも恐怖からなのかはハッキリしない。

 喉をゴクリと鳴らすと、それを合図に今まで我慢していた不安と恐怖心が押し寄せて来た。僕は言葉にならない声を叫ぶ。喉を声で削りながら扉を叩き、壁を引っ掻き、地面も引っ掻いた。寒さで感覚が麻痺してしまったのか、皮膚が破け、爪が剥がれ、両手が真っ赤に染まっても、痛みを感じることはなかった。そんなことよりも、僕はこのまま死んでしまうんじゃないか。こんな真っ暗で何も無い所に、永遠に閉じ込められたまま、独りきりで死んでしまうんじゃないかと思うと、怖くて叫ばずにはいられなかった。


 どれくらいの時間が経ったんだろうか。もう腕も上がらず、声も出ない程に暴れて疲れ、自分の血がこびり付いた冷たい扉の前で、腰を曲げて座っていた。

 ここから出して。ここから出して。

 と声が出ずとも頭の中で叫び続ける。

 涙も涎も出ない程に身体は乾き、頭がズキズキと痛む。酷い空腹にお腹は凹み、空気が抜けた風船のようになっている。全身が寒さで凍え、指先を動かすのも億劫だった。

 どうしてこんなことになったんだろう。つい前までは、普通に生きていたのに。朝に起きることが出来て、遊ぶことが出来て、お腹いっぱいに食べることが出来て、暖かい布団でぐっすり寝ることが出来たのに。今までの平凡な生活が、遠く愛おしくなってゆく。もう届くことのない幸せになっていく。父さんや母さん、兄さんとの楽しい思い出が泡のように浮かび上がっては弾けて、中に詰まった記憶が滲んでいく。

 いつの間にか、足音が近付いて来ているのに気づいた。話し声も聞こえる。足音は扉を隔てて、僕のすぐ目の前まで近付いて止まった。この距離からだったら、会話の内容が聞き取れる。僕は虚ろな目で扉を眺め、だらしなく口を開いたまま、耳を澄ました。

 男が二人で、会話をしていた。

「死んだのか?」

「いや、さっきまで化物みたいに叫んでたぜ」

「もう二日になるのってのにな」

「様子を見てこいって言われたってなぁ。開けられねえって」

「そういえば、家族はどうしたんだ?」

「もう埋めたよ。三人とも一緒に仲良く並んで埋葬したさ」

「まったく、未だに村中大騒ぎだ。年寄りの爺さん婆さんも儀式をするんじゃーとか言ってさ」

「困ったもんだな」

「寒くなってきたし、もう戻ろう。いくら何でも、明日か明後日には死んでるだろ」

 二人は会話を止め、足音を遠ざけて行く。

 僕は爪の剥がれかけた指で、扉をゴシゴシと引っ掻き、声を絞り出す。もう言葉を発することは出来なかったが、口から出そうとした言葉は、助けを求めるものではなく、自分をここに閉じ込めた犯人達への憎しみのものへと変わっていた。頭の中のどこかから湧き出たそれは、ゆっくりと体中に染み渡っていく。自分の体が、どす黒いなにかに蝕まれていくように感じた。気持ち悪く感じたそれも、次第に心地良さに変わっていった。ひひひ、と僕のものではないような僕の声が口から出た。

 殺してやる。殺してやる。と頭の中で念じ、歯を食いしばる。

 男達はそんな僕の呪いを無視するかのように、リズムを変えずに足音を鳴らし、やがて消えて行った。僕はまた独り、取り残される。もう恐怖心は消え去っていった。寒さも感じなくなりつつあって、お腹が潰れるんじゃないかと思うほどの、空腹だけが僕を絶えず襲っている。

 僕は血に染まった手を止めて、糸の切れた人形の様にその場で横に倒れた。

 殺してやる。殺してやる。

 呪いは言葉にならずに口から零れ続ける。

 ふと、地面に接した側の、腰のあたりに違和感があるのに気付いた。仰向けに体を転がし、爪の剥がれた手で、ズボンのポケットの中を探った。

 指先から微かな感触が伝わって来た。冷たくて、短い棒のような物が何個か入っている。それは真っ直ぐに伸びていたり、折れ曲がっていたり、太さもバラバラだった。

 感覚の乏しい指でその中の一つをポケットから取り出して、目の前に持ってくる。視界は相変わらず闇一色で、それがなんなのか、見ることが出来ない。僕は無意識の内に、本能でそれを口の中に放り込んだ。それを口の中で転がし、顎を上下に動かすと、乾ききった筈の口の中に涎が湧いてきた。たちまち僕はそれを噛み砕く。骨まで噛み砕き、グチャグチャにしてから喉の奥に流し込む。

 僕は続けてもう一つ、ポケットの中からそれを取り出した。

 薄れ行く記憶を頭の中で眺めながら思う。

 これは、無口だけど優しい父さんの指だろうか。いつも笑っているけれど怒ると恐い母さんの指だろうか。それとも、喧嘩もしたけれどいつも一緒に遊んだ兄さんの指だろうか。もう思い出せない。もう思い出すことの出来ない記憶。

 そんなことが頭の隅をかすめていった。ような、気がした。

 僕はそれを口へと運ぶ。


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