許しを胸に
深々とした、静夜。
セオドアスは性急だった。
暖炉の火が踊るように燃え、黒い影が床や壁に這い、揺れ動く。
月明かりはなく、暖炉の炎とランプの灯が部屋に明暗を作っていた。
セオドアスは私室の扉に鍵をかけ、それと同時に、心の奥底にしまった理性の鍵をはずした。
もはや、ためらうこともない。
セオドアスはとび色の瞳を細め、目の前にいる少女を見つめた。
少女は怖れていた。琥珀色の瞳は潤み、朱唇は強張っている。
しかし怯えてはいない。少しばかり動揺し、緊張しているだけだ。胸の動悸をおさえられず、焦ってもいるようだった。
本来ならば、目の前にいる少女に対して、騎士であるセオドアスは跪いて礼をとらねばならない。少女は、国王陛下の息女なのだ。
王女。それが少女リアネイラの身上だった。
縮められた距離に、リアネイラは僅かなためらいを見せた。声が、微かに震えた。
「……セオ」
リアネイラの、とまどいがちだが一途な眼差しは、セオドアスに向けられている。時折視線を泳がせ、瞬きを繰り返して含羞を隠そうとするのだが、暖炉の炎を映したように紅潮している頬が、リアネイラの気持ちを露わにしていた。
リアネイラを寝台に座らせ、セオドアスは自分を見上げている琥珀色の双眸を見つめ返した。
リアネイラのひたむきな瞳を拒み続けてきた日々が、思い起こされる。
リアネイラの想いは、知っていた。――もう、ずっと。
だがセオドアスは、リアネイラの気持ちに気づかぬふりをし続けてきた。主従である関係を崩そうとはせず、やんわりと拒絶し続けてきたのだ。それがリアネイラを傷つけることになると分かっていても。
騎士である立場を弁えていたセオドアスにとって、リアネイラの一途で純な想いは困惑の種だった。
迷惑というのでない。
困惑の種は、自分自身の感情から生じたものだった。止めようもなく溢れる己の感情が空恐ろしかった。
心に植えつけられ、やがて芽生えたそれが何であるか、もう気づかぬふりはし続けられなかった。目を逸らし続けても、発芽した想いはもう消すことができなかった。急速に成長していった、熱帯びた感情……――
「愛している」
リアネイラが愛しくてならず、その感情は激しさを増して、募っていった。
セオドアスは日頃、あまり感情を顕わにしない。もともと感情的な性格ではなかったこともあるが、職業軍人として精神鍛錬を積んだ結果ともいえる。
ゆえに、リアネイラは知らない。セオドアスの想いの深さ、激しさを。
今、リアネイラの琥珀色の瞳に映っているのは、護衛役の騎士ではない。婚約者の青年でもない。
リアネイラに恋焦がれている、一人の男だ。
その男の目に映っている少女もまた、王女ではない。
一途にセオドアスを想っている、一人の娘だ。
セオドアスの手が、リアネイラの頬に触れた。もう片方の手は、リアネイラの細い腕を掴んでいる。
「リィラ」と名を呼ばれ、リアネイラは身体を強張らせた。
セオドアスの眼力は強かった。表情はいつもの沈着なセオドアスのようなのに、何かが違う。優しいまなざしの奥に、ひどく艶かしい色がある。
セオドアスはリアネイラの動揺を知りながら、もう、遠慮はしなかった。
頬から首筋へ、ゆっくりと指を滑らせていく。顔の輪郭をなぞるようになぞっていった指は、やがて襟元にたどりつく。
リアネイラは思わず肩を竦ませた。けれど、拒みも、逃げもしない。顔を俯かせたが、すぐに顎を上げ、そうして自らセオドアスの視線に囚われた。
「セオ、あ、あの……」
「…………」
セオドアスの背後で、薪の爆ぜる音がした。まるで火の粉がリアネイラの胸に飛んできたかのようだった。
焼けるように、熱い。
セオドアスはゆるゆると、リアネイラの胸元をはだけさせていった。
リアネイラは無抵抗だ。というよりも、どうしたらいいのか分からず、その答を求めるようにセオドアスを見つめている。
セオドアスは口角を僅かにあげて、微笑した。
「リィラ、そのまま……――」
そこからのセオドアスは、性急だった。
歯止めはもうきかない。
鍵ははずしてしまったのだから。
腕を、リアネイラの細腰にあてがい、身体を傾けさせた。
「……っ」
リアネイラは出かかった声を、飲み込んだ。
声を出したら、その拍子に心臓まで喉から飛び出てしまうんじゃないかと焦って、さらに頬を赤くした。
セオドアスはふっと吐息をこぼし、リアネイラの胸元を見つめた。
白い肌と、胸の谷間にある首飾りを。
琥珀の嵌められた指輪が、革紐の先にある。
その指輪は、かつてリアネイラがセオドアスにお守りとして贈ったものであり、もとは国王がリアネイラの誕生祝いにと、リアネイラの母に贈ったものだった。
愛と祝福が、琥珀の指輪には込められている。
セオドアスは許しを請うた。
指輪を媒体に、リアネイラの母に、父に、そして何よりリアネイラ自身に。
今夜からは、もはや守護を誓った騎士ではいられないことを。――苦しめ、傷をつけてしまうことを。
セオドアスはリアネイラの胸元を飾る琥珀石に、そっと口づけを落とした。
今宵、リアネイラは知る。
セオドアスの恋情の深さと、熱を。
激しい想いの全てを身体に刻まれ、忘れえぬ一夜になるだろう。
「無垢で無邪気で無知な君」と連結してます