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ずっとずっと、好き。  作者: るうあ
ずっとずっと、好き。そして……
32/38

わがまますら愛しくて

キィノ編「浴びるほど」の晩の出来事

 ――今年は冬の到来が早そうだ。

 セオドアスは首を伸ばして嘆息し、窓の外に目をやった。

 射し込んでくる朝日が目に眩しい。

 東の空に昇ったばかりの太陽は、室温を上げるほどの効力をまだ持たない。

 樅の木に白く光るのは、昨日の通り雨の名残だろうか。それとも、初霜だろうか。

 温暖な気候の国だが、冬になれば雪がちらつくこともある。しかし積雪に至ることは稀で、王都の西方にはなだらかな低山が連なっているが、頂が白く染まるのはわずかな期間しかない。

 遠ざかってゆく秋を懐かしむように、セオドアスは傍らにいる少女を見つめた。

 皮張りのソファーで窮屈そうに横になり、セオドアスの膝を枕にして眠っている少女は、国王の愛娘リアネイラだ。

 十年前、リアネイラの護衛役を命じられたセオドアスは、その命に従うべく、リアネイラの安眠を護っている。

 リアネイラと呼ばれるより、リィラという愛称で呼ばれることを好んでいる。だがその愛称でリアネイラを呼ぶのは、今は幼馴染みの侍従とセオドアスだけだ。

「リィラ」

 そっと、リアネイラの髪を撫ぜた。リアネイラの柔らかな金の髪は、朝日こそが似合う。

 目覚めたら、リアネイラは何と言うだろうか。おそらくは、飛び上がるほどに驚き、その後に「ごめんね」と続けるだろう。醜態を見せてしまったことを恥じ、落ち込んでしまうかもしれない。

 琥珀色をした美しい瞳は瞼に隠され、まだ目覚めそうにない。

「――どこにも行くな、リィラ。ずっとこのまま……――」

 呟いてから、セオドアスは軽く目を閉じ、ソファーに背を預けた。




 昨晩のことだ。

 濃紺の夜空を仰ぎつつ、セオドアスは歩調を速めた。

 日暮れ前に驟雨があったためか、夜風は湿気を帯びていた。吐く息が僅かに白い。

 軍務棟での任務が思いの他長引き、そのため帰館が遅くなってしまった。

 リアネイラの心配顔が、セオドアスの脳裏を過ぎる。

 遠慮がちな気質の姫は、帰りが遅くなったことを「どうして」と問うよりも、「どうしたの? 何かあったの」と心配そうに問うだろう。自分のことよりも先ず、セオドアスのことを気にかける。

 セオドアスはとりもなおさず、リアネイラの私室へ向かった。窓から灯かりがもれ、まだ起きているらしいことが察せられた。

 入室の許可を得るべく胡桃材の扉を叩いたが、返事はない。代わりに、陽気な笑い声が聞こえてくる。

 やや躊躇ったが、セオドアスは扉を開けた。

「あ、セオさん。おかえりなさい、ずいぶん遅くまでかかったんですね~」

 扉を開けたと同時に四つの視線がセオドアスに注がれ、甘い酒の香りが鼻孔をくすぐった。

 明るい茶色の双眸を持つ少年は、扉を開けたのがセオドアスであったことに安堵したようだった。母親である女官長のハンナが扉を開けたのなら、まず間違いなく雷を落としただろうから。

 そして、緩やかなくせのある、赤みをおびた金の髪の少女も、扉の向こうに佇む騎士に笑みを向ける。頬は赤く、琥珀色の双眸は僅かに潤んで、トロンとしている。

「セオ~、おかえりなさ~い」

 泥酔とまではいかないが、酔っているのは一目瞭然だ。

 テーブルには酒瓶があり、栓が抜かれている。一本ではない。少なくとも四本は空になっている。

「リィラ、キィノ」

 一瞬、叱るべきなのかとセオドアスは躊躇った。が、慣れない言葉は出てこない。ため息をつくのがせいぜいだった。



 ――叱れるはずもない。

 リアネイラはテーブルに突っ伏していた。……まだ、泣いてはいない。

「今夜はリィラと飲み明かすつもりだったけど」

 同じくらいの量を飲んだだろうに、キィノはいたって平常だった。足取りも口調も、しっかりとしていた。

「リィラ、寝ちゃったし、やっぱりこのへんでおひらきにします。話すべきことは話したし。だからセオさん、後のことよろしくお願いします」

 話すべきこと。それは、屋敷を出て行くということだった。

 その意向を、キィノはリアネイラに告げた。

「リィラ、きっと泣くと思うけど、オレの前じゃ我慢しちゃうだろうから」

 キィノは茶色の瞳に幼馴染みの姫を映し、くすっと笑う。

「ここからはセオさんにお任せします」

「……ああ」

「セオさん、これ。オレからの祝杯ってことで、受け取ってください」

 まだ栓の開いていない酒瓶をセオドアスに渡してから、キィノは手早くテーブルの上を片付け、リアネイラの私室から出て行った。

「ありがとうございます、セオさん。それと、これからもリィラをよろしく」

 振り向き際に、そう言って。



 リアネイラはテーブルに顔を伏せたまま、だが寝入ってはいないのか、時々何かつぶやいている。

「リィラ」

 セオドアスはリアネイラの肩にそっと手を置いた。その直後。

 ふと目を開けたリアネイラに突然抱きつかれた。

「――セ……オッ」

 かすれた声が、セオ、と繰り返す。

「リィラ……」

「ヤ……ダ。やだ。やだよ、さび……しいよ」

 背にまわされた腕に、力がこもる。

「いっちゃ……やだ……よ。セオ……いっちゃ、やだ……」

「リィラ」

 静かに、リアネイラは泣く。

 胸に顔を押しつけ、呟きすら押し込めようとする。

 セオドアスはじっと佇み、緩くリアネイラを抱いた。

「……っ」

 抑え続けてきた感情が解き放たれ、涙となって流れ出す。

 寂しいと、一人にしないでと、リアネイラは声にせず、叫ぶ。

 母を亡くした時も、同じようにして泣いていた。

 だがあの時は、誰かの胸に縋りついたりはしなかった。……幼い王女は、たった一人きりで泣いた。誰も見ていない所で、声を押し殺して。

 セオドアスの腕の中、リアネイラは堰を切って溢れ出た哀感に翻弄され、おそらくは半ば意識を失っているのだろう。

 セオドアスに縋り、懇願する。

 ――いかないで、と。



 どこにも行けるはずがない。……離せるはずがない。

 リアネイラの傍こそが、自分の居るべき場所だった。

 だが、リアネイラが望むよりもっと深く、もっと激しく、セオドアスは欲していた。

 どこにも行くな。俺だけを……求めてくれ、と。


 セオドアスの腕の中、リアネイラはようやく眠りについた。酔いもまわった上、泣き疲れたのだろう。寝息は安らいでいるが、こごった目元と紅潮した頬がいたいけに映った。

 涙に濡れた金の髪を指先で梳き、軽く整える。と、くすぐったかったのか、目を覚ましはしなかったが、リアネイラは眉をひそませた。

「…………」

 セオドアスは細く、息をついた。

 ソファーに腰を沈め、セオドアスは一人、酒瓶を傾けていた。

 芳醇な果実酒はするりと喉を下ってゆくが、一人きりで飲むには少しばかり苦く、酔えそうもない。

 ソファーに横たわり、セオドアスの膝を枕にして眠るリアネイラを、切愛をこめて見つめる。

 酒は、少々危険な薬だ。それでも荒療治も時には必要なのだということを、キィノは知っていて、リアネイラのために、実行した。

 リアネイラの心を解す術に、キィノは一歩長じている。

 セオドアスは潔く負けを認める。その存在の大きさをも。

 妬心はない。皆無だとは言えないが、それは己の余裕の無さが生むものだ。

「……わがままを、俺にも言ってくれ、リィラ」

 繰り返し伝えたことを、眠る少女に囁く。答えはない。

 朝になり、リアネイラが目を覚ましたら、セオドアスは言いかけて踏みとどまるだろう。

 もっと、愛してくれ。

 ずっと、俺だけを。


 ――狂おしいほどの恋情を、唇を重ねるという行為で伝えるかもしれないが。



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