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ずっとずっと、好き。  作者: るうあ
ずっとずっと、好き。そして……
30/38

誰にでも優しいから

リアネイラ、もうじき十五歳になる春の日の出来事。

 甲高い鳥の鳴き声が、空を渡る。

 咲き誇る花々の間を蝶々がひらひらと舞っている。暖かな光が降り注ぎ、風は甘い蜜の香を運ぶ。

 生きる喜びに満ちた讃歌が、世界に響いているようだった。

 春は、生きることを謳歌するに相応しい季節であり、また、新たな旅立ちを迎える季節でもある。




 暖かな陽射しが降り注ぐ、午後のこと。

「セオッ! セオ~ッ!」

 赤みをおびた金の髪を揺らし、慌しく駆け寄ってくる少女に名を呼ばれ、騎士セオドアスは振り返った。

「姫?」

 息せききって駆けて来るのは、王女リアネイラ。七年前、セオドアスの「主人」となった少女だ。

 王女というよりは、町娘といった感のある衣服をまとい、その言動もまた、王女らしからぬものだった。

 装飾の少ない簡素な着衣を好むリアネイラだが、地味な雰囲気に落ち着いてしまうことはない。緩やかなくせのある金の髪、生彩を放つ琥珀色の双眸、明朗快活な表情は見る者の心を和ませ、とらえて離さない活き活きとした美しさがある。

 王宮の奥隅にある屋敷で閉塞した生活を強いられているリアネイラだが、鬱屈し、排他的に陥ることはなく、健やかに、伸びやかに、歳を重ねていった。

 セオドアスは目を細め、駆けて来るリアネイラを見つめる。

 じき十五歳になるリアネイラは、日毎、眩しいほどに美しくなってゆく。

「どうなさいました、姫?」

「あのねっ、この子庭に落ちてたんだけどっ!」

 そう言ってリアネイラは、掬うような形をとった両手をセオドアスの前に差し出した。

 リアネイラの手の上には、くちばしと目が異様に大きい鳥が乗っていた。

 煤けたような濃い灰色の羽の鳥は、どうやら雛鳥であるらしい。ずんぐりむっくりとして、丸っこい。

 目は開けているが、さえずりもせず、僅かに羽根を震わせてリアネイラの手の中に納まっている。

「さっきまでやかましいくらい鳴いてたのに、ちっとも鳴かなくなっちゃったの。怪我は……してないみたいなんだけど」

 心配そうなリアネイラの顔を、灰色の雛鳥はじっと見つめ返している。

「どうしたのかな。どうしよう。どうしたらいいかな」

 おろおろと、リアネイラは「どうしよう」を繰り返す。

 セオドアスはリアネイラの不安を少しでも緩和させるべく、柔らかく笑んだ。

「怪我がないのなら、大丈夫でしょう。巣立ちに失敗したのかもしれませんね。水と……何か食べる物を与えてみては?」

「あ、うん、そっか、そうだね。……えっと、何をあげたらいいかな。パンとかは、ダメだよね?」

「そうですね……こういった鳥の主食ならば、おそらく」

 セオドアスは一旦言葉を切った。

「……小虫や、ミミズ、芋虫の類だと思いますが」

「うえぇぇ~っ、やっ、やだっ! そんなの無理だよ、セオ~ッ!」

 雛鳥を落としはしなかったが、リアネイラの指が反射的に硬直する。

 芋虫なんて無理~っ! と声を上げ、情けなく眉を下げる。

 予想したとおりのリアネイラの反応に、セオドアスは小さく笑った。

「でしたら、粟や稗などをすり潰して、ぬるま湯でといたものをあげてみては?」

「それでも、大丈夫かな?」

「おそらくは」

「うん、じゃそうしようかな。とにかく何か食べさた方がいいよね。やってみる」

 大きく頷いてからリアネイラは胸元に小鳥を寄せ、優しく笑いかけた。

「待っててね。大丈夫だからね」

 その笑顔を、セオドアスはよく見かけていた。

 自分にだけではなく向けられる、明るく人懐こい笑顔。

 幼馴染みでもある侍従のキィノ、そのキィノの母親で女官長のハンナ、他、使用人達や衛兵達にそれは向けられる。

 その笑顔を、今、灰色の小鳥が独り占めしている。

 ふと心を過ぎった痛みに、セオドアスは自嘲的なため息をこぼした。




 巣立ちに失敗したらしい雛鳥は、リアネイラの寝室に招かれた。

 雛鳥の寝床は藁の敷かれた藤籠だ。

 鳴き騒ぎもせず、逃げ出そうと羽根をばたつかせることもないが、とりあえず瀕死の状態ではなさそうだ。

 セオドアスの助言通りに、粟をすり潰し、ぬるま湯でといた餌を細いスプーンでくちばしの奥へ半ば無理やり押し入れた。最初は上手く食べさせられなかったが、雛鳥も観念したのか、くちばしからこぼしつつも、与えられた餌を飲み込んでいった。そのうち、用意した餌全てを平らげる勢いでがっつくまでに回復した。

「よかった……」

 リアネイラはほっと胸を撫で下ろした。

 腹がくちくなったためだろう。雛鳥の黒く丸い目はいかにも眠たげだ。それでも、警戒心が解かれたわけではなく、おとなしくはしているが、リアネイラから目を離さない。

 ソファーに横たわり、頬杖をついて藤籠の中の雛鳥を見ていたリアネイラだったが、扉がノックされたと同時に身体を起こし、「どうぞ」と返した。侍従のキィノが様子を見にやってきたのだろうと思ったのだが、それははずれた。

「姫、まだお休みになられないのですか?」

 少しばかり驚いて、リアネイラは扉を開けた人物を見やった。しかも、その人物はリアネイラのために用意してきたのであろう飲み物を持っている。

「セオ、えっと、ごめん。もう少ししたら、ちゃんと寝るから。この子が眠ったらって思ってて」

 リアネイラは僅かに身をすぼませた。

「あ、それとね、セオ。この子ちゃんと餌、食べてくれたよ。セオの言う通りにしてよかった」

 セオドアスに夜更かしをしていることを窘められると思ったのだろう。

 リアネイラは言い訳がましいことを口にした。

 セオドアスにそのつもりはなかったが、リアネイラはそう受け取ってしまう。冷たくはないが、物堅く崩れない表情。敷かれた線を踏み越えない、隔てをおいた態度。セオドアスは騎士としてあるべき礼節さをもって、リアネイラに接する。

 リアネイラはしゅんと俯いた。ため息が知らず、口をつく。

 いつの頃からだろう。セオドアスが遠くに感じられるようになったのは。

 いつの頃からだろう。セオドアスを見ているだけで、胸が痛むようになったのは。

 ……こんな痛みは知らなかった。リアネイラは再び苦いため息をつく。

 その想いは、セオドアスも内に秘めていた。ただセオドアスはそれを隠せるだけの抑制力、精神力を持っていた。不器用なものではあったが。

「知らなかった」想いが、二人の前に敷かれた線の色を、より深く、鮮やかな紅の色に染めてゆく。

「……姫、よかったらこれを。まだ夜は冷えます」

 セオドアスが差し出したそれは、程よく温められた果実酒だった。蜂蜜の甘い湯気がリアネイラの鼻先をくすぐった。

 たったそれだけのぬくもりが、リアネイラの全身を熱くさせる。きゅうっと、胸が締めつけられる。

「ありがと、セオ。……美味しい」

 リアネイラはカップを両手で包み込むようにして持ち、一口飲んだ後、笑顔をセオドアスに向けた。

 セオドアスは笑みを返そうとしたのだが、上手くはいかなかった。目元を和らげることに成功しただけにとどまったのは、彼の誠実さと不器用さを示している。

「鳥籠を用意させましょうか、姫?」

「鳥籠?」

 リアネイラは小首を傾げた。

 セオドアスは意外そうな表情を返した。

「その小鳥を、飼われるおつもりだったのでは?」

「ううん」

 リアネイラはきっぱりと否定した。

「飛べるようになったら、放すよ」

 うとうとまどろんでいる雛鳥に目をやり、リアネイラは言う。

「ちゃんと巣立ちさせなくちゃ。鳥籠になんか閉じ込めちゃったら、可哀相」

「…………」

 微かな憂いが、リアネイラの瞳を揺らめかす。

「それに」

 リアネイラは向き直り、笑った。

「この子の主食って、……ミミズ……とか……なんだよね? わたしにはあげられないもの」

 おどけた風に、リアネイラは言う。

 むろんそれも本心だろう。だが、リアネイラは自分自身を雛鳥に投影していた。

 鳥籠に閉じ込められる辛苦を、リアネイラは知っている。故にこそ、リアネイラにはできなかった。翼を持つ者を狭い籠に押し込めてしまうなど。

 セオドアスも見知っていた。リアネイラが窮屈な日々に、時折愚痴をこぼしながらではあるが、耐えていることを。

 耐えながら、それでも笑顔を絶やさずにいる。皆に心配をかけぬよう、努めている。

 藤籠の中で身を小さくして、常に気を張っている雛鳥のように。

 ……いや。もう、リアネイラは雛鳥ではない。

 セオドアスは軽く瞼を伏せ、細いため息をついた。

 瞼を上げると、そこにはリアネイラの心配そうな顔がある。

「セオ? どうかした?」

「……いえ。雛鳥も眠そうですから、姫もそろそろお休みになった方が」

「……うん……」

 ためらいがちに瞳が揺れている。何か言いたげな口元を意志の力で閉じている。ふと、大人びた表情をするようになった、……姫。

 幼いままの少女ではない、ただ一人の「娘」がセオドアスの前にいる。

 寂寥を胸の内に抱えながらそれを押し隠し、リアネイラは笑む。

「ありがと、セオ」

 礼を述べ、おやすみなさい、と続ける。

「……明日もまた、晴れるといいね」




 ――そして、翌朝のこと。

 雛鳥は騒がしくさえずり、リアネイラをせっつき、起した。

 朝靄の中、雛鳥は慌しく巣立っていった。不器用に羽根をばたつかせ、それでも懸命に翼を動かし、羽ばたいていった。リアネイラを、振り返ることなく。

 まだほの暗い庭園で、リアネイラは雛鳥が飛び立っていた空を黙然と眺めていた。

 夜がほのぼのと明ける、清涼な曙。金と朱が空を染めてゆく。

 早起きの鳥達が、まだ昇りきらない日を急かすように鳴いている。

「――ん……っ」

 リアネイラは両手を組んで腕を前に伸ばし、大きく息を吐いた。それから両腕をそのままぐいっと上げて、背筋も伸ばした。

 両腕を下ろし、もう一度息を吐き出した。目だけはまだ空に向けられている。

 風が吹きつけ、リアネイラは僅かに身をすぼませた。

 夜着のまま、上着一枚はおっていない。春とはいえ、さすがに夜着だけでは肌寒い。

「――姫」

 ふわりと、肩に重みのある布がかけられた。

 肩越しに振り返るとそこに、セオドアスがいる。どうして、いつの間にと、リアネイラは忙しなくまばたきを繰り返したが、セオドアスは微かに笑むだけで、応えない。

 リアネイラの護衛がセオドアスの「任務」だ。彼は今、その「任務」を遂行している。だが、たとえここにいることが「任務」の一環だったとしても、やはり嬉しかった。セオドアスに見つめられているだけで、幸せだった。

「……ありがと、セオ」

 肩にかけられたセオドアスのマントは温かい。見つめてくれる、そのとび色の瞳も。

「…………いっちゃった」

 リアネイラは、笑う。そしてため息をついた。

「無事に飛んでいけるといいな」

「大丈夫ですよ、きっと」

「うん」

 リアネイラはまた笑う。少しばかり、ぎこちなく。そうしてセオドアスを一途に見つめる。雛鳥のような警戒心はない。あるのは、不安に似た愛慕と純誠な思慕。

 羨望をこめて空を見つめていたリアネイラの瞳は今、セオドアスに向けられている。

 リアネイラのまなざしにとまどいを覚えながら、その一方でセオドアスは安堵していた。

 今ここに、まだリアネイラはいる。……そのことに。

「戻りましょう、姫。昨夜はあまり眠れなかったのでは? もう少し休まれた方がいい」

 セオドアスは手を差し伸べ、リアネイラの手を取る。

「う、うん」

 リアネイラはためらいがちに手を握り返した。

「ありがと、セオ」

 顔を上げ、リアネイラは笑いかける。

 誰もが知る、それはリアネイラの明るく優しい笑顔だった。

 けれど、今はただ一人、並んで歩く騎士だけに微笑みかけている。

 ――ただ一人、セオドアスのためだけに。


 そしてまた、セオドアスもただ一人のためだけに、ここに居る。

 ――ただ一人、命ある限り守ると誓った王女、リアネイラの傍に。


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