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ずっとずっと、好き。  作者: るうあ
ずっとずっと、好き。(本編)
3/38

scene.3

 午後になってから、リアネイラは気分を変えるため、屋敷を出た。

 出先は屋敷の庭園だが、そこはリアネイラにとって憩える数少ない場所だった。

 リアネイラは腰に剣をさし、片手にウードという有棹撥弦楽器を持ち、一人、庭園のあずまやへ向かった。

 そのいでたちを見て、キィノは「旅芸人か、吟遊詩人みたいだね」と笑う。

 実際、亡き母は旅の楽団の一員だった。

 宮廷に招かれるような高尚な楽団ではない。国中を流浪し、時には街角で、時には芝居小屋で、時には酒場で興行をうっていた。

 母は優れた歌い手だった。歌姫とまで称された母は、その美声ゆえに国王の目と、そして耳にも止まった。

 貴族ですらない、旅の楽団員、しかも孤児である歌姫を国王はこよなく愛し、宮中に迎え入れた。むろん、周囲からの反応は冷ややかなものだった。

 国王には数多くの側室がいたが、彼女ほど身分の低いものはいなかった。その女の産んだ子供を、よもや認知するとは。

 母は心労がたたって、病に倒れたのだ。

 二親もなく、身分も卑しい自分を愛しんでくれた国王を、最期の最期まで愛して、そして逝った。

「いろいろあったけど、わたしらしい、手ごたえのある人生だったわ」

 陽気で気丈な母は、ただの一言も泣き言を言わず、病にありながらも笑っていた。心より、身体の方が国王の寵愛を受けているという立場に、結局は耐えきれなかったというのに。

「わたしはわたしの望むままに生きて、幸せだったわ。あなたもあなたの望むように生きて、そして幸せになるのよ」

 それが母の遺言だった。そして、歌とウードが、母の形見となった。



 弦楽器であるウードは、棹をもち、弦の数は八本。共鳴胴は背面が大きく膨らみ、前面には丸い共鳴孔がある。

 リアネイラのウードは大きさも小ぶりで、装飾も控えめだ。共鳴孔の透かし彫りは鳥を描いている。

 母から娘へ伝えられたウードは、変わらぬ音色を響かせる。

 リアネイラは、音の調整のため、軽く弦を弾く。ビィンと、乾いた音が鳴った。

 低い音は地に、そして高い音は空へ、響く。



   快き調べの 木々の子守唄

   芳しい花々を あなたのために

   どうかわたしを眠らせて

   あたたかな腕に抱かれ 花散る夢を 一夜だけ


   緑薫る風と 小鳥が歌うように

   囲い庭の片隅で あなたとともに

   どうかわたしを眠らせて

   愛しい手に包まれて 風ふる夢を 一夜だけ



 歌い終わってから、リアネイラは人の気配を感じて振り返った。だが、さほど驚きはしなかった。そこにいたのが、セオドアスだったことに。

「お耳汚し、だったかな?」

 リアネイラは照れくさそうに笑って、言う。

 リアネイラの歌を聴く機会はめったにないことだが、初めてではなかった。

 セオドアスには、朗々とした澄んだ歌声が母親に似ているかは、わからない。だがリアネイラの歌声は、たとえささやくようなものであってさえ、心に響く。

「いえ、良いものを聴かせていただきました。私こそ、お邪魔だったのでは?」

「…………」

 リアネイラは首を横に振る。顔は微笑を浮かべているが、憂いをおびていた。

「早かったんだね、戻るの。軍務棟に行ったって聞いたんだけど。用は済んだの?」

「はい」

「そっか」

 リアネイラはウードを掻き鳴らした。

 ……気分転換に、失敗した。

 リアネイラは気分を落ち着かせるために、よくこうしてウードを奏で、知っている歌を口ずさむ。大抵はそれで気を晴らせるのだが、今回はうまくいかなかった。

「姫?」

 大丈夫かと問えば、リアネイラは頷くだろう。それをわかっていたから、セオドアスは訊きかけて、その言葉を呑み込んだ。

 暫時、二人の間にある歩み寄れない距離に、沈黙が流れ落ちた。

「あのね、セオ。わたし、ずっと思ってたことがあるの」

 ふう、と息をついて、リアネイラは顔をあげ、話しだした。

「剣の鍛錬、どうして始めたのか、セオ、疑問に思ってたでしょ?」

「…………」

 リアネイラは、子供が悪戯の種明しをする時のように笑う。

「わたしね、屋敷を出ようと思ってたの。十七になったらって。失敗しちゃったんだけど」

「……なぜ」

「…………旅にね、出てみたかったの。そうなるとやっぱり護身術は必要かなって」

 王女という立場がいかにリアネイラを束縛しているか、セオドアスは間近に見、知っている。

 七歳の時に王宮招かれ、それからはほとんど屋敷の外へは出ていない。街へ出かけることはあっても、自由な行動は規制された。

「父様に、感謝はしてる。母様に対して、ちゃんと誠実だった。わたしのこと認知してくれて、そして保護してくれたんだものね」

「姫……」

「それにね、セオに逢えた事も、嬉しい。……セオもそう思ってくれていたら、もっと嬉しいけど」

 素直に、思うことを口にした。リアネイラはまっすぐにセオドアスを見つめる。

 真摯でひたむきなリアネイラのまなざし。その瞳から目を逸らすほど、セオドアスは半端に優しくも、残酷でもない。

「私も、嬉しく思っていますよ」

「そうやって……」

 少し、リアネイラはふてくされてみせた。

「当たり障りのない答えしかくれないよね、セオは」

「……本心から言っているのですが」

「あのね、セオ。わたしがね、名前で呼んで。敬語はやめて。そう命令したら、きいてくれるの?」

「…………」

「嘘。冗談。ごめん。だからそんな顔しないで」

 自分で自分の首を締め、あげく窒息しそうになった。リアネイラは自分の考えなしの言行が、情けなかった。

 泣きたいのを堪えているかのようなリアネイラに対して、言いたいことは、いくつも浮かぶ。だがそれをリアネイラに今言うべきなのか、セオドアスは判じかねていた。

「もう、部屋に戻るね。寒くなってきたし」

 腰かけていた場所に、ついさっきまでは木漏れ日が当たっていた。日が翳り、徐々に気温が下がっていく。

 風が、梢を揺らす。

 リアネイラの、肩にかかる髪が、吹きつけた強い風になぶられ、乱れた。

 髪を整えながら、リアネイラは歩き出した。そのか細い腕に、ウードを抱えて。

「姫、部屋まで送ります」

「……いいよって言っても、意味ないよね? セオはわたしの護衛をするのが仕事なんだものね」

「姫」

 リアネイラに似つかわしくない自嘲的な微笑、そして自虐的な言い方だ。

「そのように鬱屈されている姫を見ているのは、正直、辛い。愚痴でも、文句でも、仰ってはいただけまいか」

「……ごめん、セオ」

 足を止め、リアネイラは振り返った。心から申し訳なさそうな顔をして、そして唇を噛みしめる。

「ごめん、セオだって困ってるのに。だめだ、ほんと。こんなのわたしらしくない」

 はああ~っと、大きくため息をつく。がっくりと肩を落とし、けれどすぐに気を取り直したようだった。

「なんとか、しなくちゃ。そうだよね、うん」

 そうひとりごち、その後すぐに、いつものリアネイラらしい笑みが、さっきまで曇っていた顔に戻った。

「セオ、ありがとう、もう大丈夫」

「…………」

 セオドアスは、眉間に寄せた皺をさらに深めた。本当にかと問うその目に、リアネイラはもう一度「大丈夫」と応える。

「心配性なのは変わらないね、セオ」

「姫に対してだけです」

 リアネイラは目を瞠った。思いもよらなかったセオドアスの応えに、一瞬の間をおいて赤面した。

「ずるいなぁ、そういうことさらっと言えちゃうの。でも、それもセオらしくて、嬉しい」

 リアネイラは笑う。

「あのね、セオ。セオもね、わたしに言いたいことがあるのなら、言ってね。わたしでできることがあれば、何でもするから」

「…………」

 頷くのをためらわせる、リアネイラの言葉だった。




 時々、奇妙に鋭いのが、リアネイラだ。そうして、自分よりもまずセオドアスのことを気にかける。

 あの時も、そうだった。

「元気だしてね、セオ」

 まさか、たった十歳の少女に励まされるとは思わず、セオドアスは返答に窮した。それどころか、その台詞は自分が少女に対して言うべきことだった。数ヶ月前に母親を亡くしたばかりの、この少女に。

「コイビトと別れたって聞いたよ。それで淋しそうな顔してるんだよね、セオ?」

 十歳の少女は、精一杯、気落ちしている青年を元気づけようとする。

 セオドアスは笑みを浮かべて「ありがとう。大丈夫ですから」と答えたが、リアネイラは心配そうな顔を崩さない。

「あのね、セオ。これ、あげるから、持ってて。元気になれるお守りだよ」

「姫、これは」

「あげるけど、いつかはわたしに、ちゃんと返してね。その時は、わたしがセオのお嫁さんになってあげるからね! だから、元気だしてね」

 リアネイラは首に下げていたその「お守り」をセオドアスの手に握らせた。それは、母からもらった「お守り」だった。

「こんな大事な物はもらえない。それに、姫のお守りを俺がもらってしまったら、姫が困る」

 二十歳になったばかりのセオドアスは、こういう時、まだ上手く受け流すことはできず、若い顔にはすぐに困惑の色が乗る。

「大丈夫だよ、セオ。だって、わたしのお守りは、セオだもん。セオがいてくれたらいいの」

 そして十歳のリアネイラは、素直すぎるほどに、自分の心をまっすぐ投げかけてくる。

「わたしね、セオが一等好き。だから、一等好きなセオが元気ないのは、イヤ」

 小さな両手から、セオドアスの大きな手に優しい温もりが伝わる。

「ありがとう、リィラ」

 セオドアスは幼い姫の手を握り返した。

 リアネイラは満面の笑みを浮かべると、大人びた口調で「どういたしまして」と言う。

 自分を慕ってくれるこの少女を、守っていこう。君命だからではなく、セオドアスは己にそれを誓った。

「約束だよ、セオ? ずっと、ずっと傍にいてね?」

 リアネイラの約束と、セオドアスの約束。

 この時はまだ、少しだけずれていた二人の約束は、いつか重なり合う時がくるのだろうか。



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