無垢で無邪気で無知な君
かなり曖昧な表現で事後ですが、微エロ…かもしれません。苦手な方は自己回避でお願いします。
木のはぜる音がし、セオドアスは目を覚ました。
暖炉の中、炎が小さく揺れている。新しい薪に火が移り、灰が舞い、火の粉が散った。
窓の外は暗く、静まりかえっていた。梢を渡る風の音も聴こえない。
夜が明けるまでにはまだ時間がありそうだ。
軽く息をつき、セオドアスは上半身を起こした。
汗はひいているが、身体の火照りは残ったままだ。
セオドアスは乱れた髪を指で梳き、整えた。落とした視線の先には、一人の少女がいる。自分よりも赤みをおびた金の髪が、枕辺に流れていた。
絹のシーツを抱え込み、仔猫のように丸まって眠っている。頬は上気しているが、寝息は安らかだ。
国王の愛娘、王女リアネイラ。
護衛役の任を与えられたのは、十年前。……リアネイラと出逢って、もはや十年が経った。
もう十年、と思う一方で、たった十年とも思う。
幼い少女だった王女は、やがて美しい娘へと成長し、いつしかセオドアスにとってかけがえのない存在になっていった。仕えるべき主人としてではなく、恋い慕わずにはいられない、唯一人の女性として。
「……リィラ」
リアネイラの金の髪を梳こうとしたのだが、もつれ、指先で絡まってしまった。
「ん……」
僅かに肩を竦ませ、リアネイラはゆっくりと瞼を上げた。
琥珀色の瞳が、セオドアスに向けられた。
驚く様子もなく、ぼんやりとしている。
「すまない。起してしまったな」
セオドアスは優しく笑み、リアネイラの頬に触れた。
「…………セオ……?」
まだ夢うつつといった顔をし、リアネイラはすぐ横に座っている「婚約者」でもある騎士の顔を見やる。
「身体は、大丈夫か?」
気遣わしげに問われ、リアネイラは頬を赤く染めた。
「……う、うん」
それでもまだ覚醒は遠いようだった。リアネイラはとろんとした目をし、暫時、黙してセオドアスを見つめていた。
セオドアスは苦笑と安堵のまじったため息をこぼす。
「もう少し、眠った方がいい。……傍にいるから」
「うん。あの、あの、ね……」
ふと、何か思いだしたかのように、リアネイラは首を伸ばした。横たわったまま、そうして上目遣いにセオドアスを見つめる。
「あの、ね、セオ。あの……えと……ごめんね」
言ってから、リアネイラは少し顔を俯かせた。
「ごめんね、セオ。わたし、……わたし、イヤって、何度も……何度も言っちゃったよね?」
「リィラ」
「ごめんね。でもね、でも、違うの」
再び、リアネイラはセオドアスに瞳を向ける。
「ほんとは、違うの。イヤじゃなくて、……その……」
どう言えばいいのか。リアネイラは言いよどみ、声を詰まらせ、あまつさえ涙ぐんでしまっていた。
リアネイラは生まれて初めての状況に困惑し、うろたえている。
無理もない。セオドアスは微苦笑を浮かべた。
「セオ、わたし、わたしね」
「リィラ」
セオドアスはこぼれ出そうになったため息を堪え、代わりに、リアネイラの額にそっと接吻した。
「セ、セオ」
「……いい。わかってるから、リィラ」
「……セオ……」
甘やかな色を湛えるとび色の瞳に見つめられ、胸がきゅぅっと締めつけられるようにときめく。
心臓が、……破裂しそう!
リアネイラはとっさに目を瞑った。
セオドアスの柔らかな髪が、額をくすぐる。大きく骨ばった手が、頬に触れる。
そして……、
「リィラ」
セオドアスの低い声と熱い息が、耳朶にかかる。
リアネイラは小さく身体を竦ませ、けれどようやく戸惑いがちに瞼を上げた。
すぐ横にセオドアスの微笑があり、鼓動の高鳴りは一向におさまらない。セオドアスに腕枕をしてもらっているとわかってさらに、胸が鳴る。
「セ、セオ、あの、ね」
「ん?」
「……あのっ、わたしっ」
息を整え、リアネイラは真っ直ぐにセオドアスを見つめ返した。
「大好き。セオ、大好き」
大好きと繰り返し、リアネイラはセオドアスに身を寄せる。
「…………リィラ」
恥じらいに頬を染め、瞳を潤ませている少女の、なんと愛しいことか。
「俺もだ、リィラ」
応え、額に口づける。
「うん……うん……」
照れくさそうに、嬉しそうに、リアネイラは満ち足りて笑う。
その微笑みが、いかにセオドアスの心を惑わせているか、当人は気付く由もない。
セオドアスは努めて表情を隠している。
燃え立つ想いを、セオドアスはあらん限りの精神力で抑えている。
だが、それも限界はある。
セオドアスの、リアネイラの肩を抱く手に力がこもる。しかし華奢な少女の身体に、これ以上の負荷は与えられない。
今夜はもう、泣かせたくない――……。
深く息をつき、セオドアスは瞼を落とす。
まだ、全てを知らなくてもいい。……知られたくない。
無垢な少女を戸惑わせ、怯えさせたくない。
だから……――
もう、眠ってくれ。
蕩けた蜂蜜のように甘い瞳を、伏せてくれ。
セオドアスに髪を撫ぜられながら、リアネイラは促されるまま瞳を閉じ、甘い夢の中へ戻ってゆく。
じりじりと薪を焦がす朱色の炎が、室温を保たせている。
いつまでも冷めない、セオドアスの恋情のように。