守るべき存在で、守りたい大切な人
リアネイラ、十二歳。まだ曖昧な想い
朝餉の後のことだった。
王女リアネイラはいつものごとく、母の形見である有棹撥弦楽器ウードを大事そうに抱えて中庭へと向かっていた。その後ろを、リアネイラの護衛役である騎士セオドアスが歩幅を狭くし、ついて歩いている。
リアネイラは落ち着かなげに、何度か肩越しに振り返ってはセオドアスを見やった。何か言いたげに唇が僅かにひらかれるが、その都度もどかしさに眉をひそませ、ため息をついている。
セオドアスもリアネイラの物言いたげな瞳に気づいてはいたが、「何か?」と問うことをできずにいた。
リアネイラとセオドアスの間には、遠すぎず近すぎない距離がある。その距離が生まれたのは、いったいいつ頃からだったろう。そんなことをリアネイラは考えていた。それがセオドアスに問いかけたいことの一つだった。けれども、それをどう問うていいのか、リアネイラには分からない。何と訊けばいいのか、と。
が、中庭に出る直前になって、ようやく意を決したらしい。
リアネイラは足を止め、くるりと身体を半回転させた。赤みをおびた金の髪が、ふわりと揺れた。
「ね、セオ。セオは、どうしてわたしを守ってくれるの?」
率直な問いだった。が、第一に尋ねたい事ではなかった。
問われ、「守衛」が仕事である国仕えの騎士セオドアスは返答に窮した。
先ごろ十二歳になったリアネイラは、幼さを容貌に残しつつも、時折はっとするほど大人びた表情をすることがある。
立ち居振る舞いは未だ王女然としていないが、それは無理からぬことだろう。
リアネイラは自身を「王女」としては見ず、ただの「女の子」としてしか感じていない。国王の庶子であるという事実は事実として受け止めているが、「それはそれ、わたしはわたし」と割り切っていた。割り切る、というよりは、そう思うことによって自己を保っているのかもしれない。
生まれた時から王宮に閉じ込められ、規制された生活を強いられていたのならいざ知らず、リアネイラは七歳になるまで城下の下町で、ごく普通の女の子として育った。自分が国王の息女であると知ったのは、母とともに、半ば強引に王宮に招かれてからだった。
リアネイラは国王家の血を引く娘だ。放置しておけないと思ったのは、父である国王だけではなかった。リアネイラの母も、表にこそ出さなかったが、リアネイラの将来を危惧していた。それゆえに、長く悩んだ末ではあったが結局国王の招きに応じた。リアネイラの保護を優先しての選択だった。
むろんその他にも様々な思惑はあった。結局リアネイラは宮廷の都合により、王女という身分を与えられた。父と母の思いやりもそこにはあったのだが、それはリアネイラの胸中にひっそりとしまわれた。
つまり、リアネイラにとって自身に与えられた「王女」という身分は、勝手に付けられた肩書きであり、自分自身の価値とは別物だと判じていた。そう解釈していれば、いささか気は楽だった。
だけど……。
今目の前にいる、そして自分の護衛役である青年は、自分をどう思ってくれているのだろう。
やはり国王の息女としてのリアネイラでしかないのだろうか……?
「セオは、どうしてわたしの傍にいてくれるの? どうして守ろうとしてくれるの?」
リアネイラは琥珀色の瞳でまっすぐにセオドアスを見据えている。少々むきになっているようだ。
セオドアスのことを愛称で「セオ」と呼ぶ王女は、愚痴めいたことはめったに言わない。だが近頃は、「どうして」と問いかけてくることが多かった。他愛ない問いであることがほとんどだが、時としてセオドアスを窮させる問いを投げかけてくることがある。鬱屈した気持ちを「どうして」と問うことによって発散しているのだろう。
今がまさにそうだった。
セオドアスは返答に詰まり、くすんだ金の髪を指にはさみ、首の後ろを掻いた。
十七歳の時に、異例の速さで騎士となったセオドアスは、馬術と剣術の腕前は相当なものだったが、“口術”の方はいまひとつ、といったところだ。実直なセオドアスは、適当にごまかし、うやむやに流すといった術を用いることが不得手で、即答できずに躊躇してしまう。ことに、リアネイラの他愛ない、それでいて真剣な問いかけには。
「父様……ううん、国王様……えっと、国王陛下が命じたから? ただ、それだけ?」
リアネイラは落胆を隠しきれないといった口ぶりで、そう訊いた。言ってからすぐに悔いたような顔をし、口の端をきゅっときつく結んだ。
リアネイラの赤みを帯びた金の髪と仄かな薄桃色の肌に、廊下の小窓から差し込んでくる白い陽光が当たっている。陽の色は明るいが、リアネイラの眉目は曇っていた。リアネイラの顔にさした陰影に、セオドアスは少しばかり気を焦らせた。
「俺……いや、私は、陛下直々に“余の代わりに娘を頼む。守ってやってほしい”とのお言葉をいただきました。恐れ多いことではありますが、護衛役を務めることによって、陛下と姫との仲立ちができればと思っております」
セオドアスは洗練された動きで、リアネイラの前で片膝をついた。片手は腰に帯びている長剣の柄に、片手は立ち膝の上に軽く添えられている。恭しい態度は、騎士としてあるべき振る舞いだ。生真面目なセオドアスの性格が、表情にも声にも滲み出ている。
リアネイラはしゅんと顔を俯かせた。
セオドアスの、騎士としては模範的な回答であろう言葉など、聞きたくなかった。
「お仕事、なんだよね……」
リアネイラは思わずこぼしてしまった。
お仕事だから、国王に命じられたから、義務感で傍にいてくれているだけなんだ……。
リアネイラは他の言葉を期待していた。だが、どんな言葉を望んでいたのか、実のところリアネイラ自身、分からなかった。
気持ちがもやもやして、すっきりしない。
いつの頃からだろう。セオとの間に距離ができたのは。そして、こんな風にもやもやした気分を抱えてしまうようになったのは。
分からないが、……分かるような気もしていた。リアネイラの心の内に、漠然とした想いが芽吹いている。胸に軽痛を走らせる“芽吹き”がリアネイラを戸惑わせていた。
リアネイラは落としていた視線を、僅かに上げた。跪いているセオドアスが、やおらリアネイラの手を取ったのだ。
「セオ……?」
リアネイラは頬を赤らめて、小首を傾げた。
セオドアスのとび色の瞳がリアネイラを見つめている。優しいまなざしに、リアネイラの胸が高鳴った。
「私自身も、そう思っています、姫」
「え?」
「確かに陛下に任じられて姫の護衛を務めていますが、私は私自身の意志で、ここに居ます。私にとって姫は、守るべき大切な方です」
「…………うん」
花が、ほころんだ。
リアネイラは素直なほどに喜色を浮かべ、表情を明るくした。
もちろん、満足しきったわけではない。もやもやした気分は何故かしら心の奥に残っていて、胸をチクチクと痛ませる。
けれど、物堅いながらもセオドアスは言ってくれた。
「私の意志でここに居る」、と。
十分すぎるほどだ。これ以上望むべくもないほど。
リアネイラの笑顔を受け、ほっとしたセオドアスは立ち上がり、そっと手を離した。リアネイラは一瞬追いすがるような寂しげな顔をしたが、これ以上セオドアスを困らせたくない気持ちが、手を引っ込ませた。
リアネイラは両腕でウードを抱きかかえ、再び微笑んだ。
「ごめんね、ヘンなこと訊いちゃって。けど、嬉しかった。だから、ありがと。……ありがとね、セオ」
「…………」
誠実だが朴訥な若い騎士は、素直すぎる王女の微笑みに対し、どう対応したら良いのか判じかねている。不器用さが眉間に表れ、瞳には困惑の色が浮かんでいた。しかしセオドアスの表情は、リアネイラが胸をときめかせるほどに優しいものだった。
「あのね、わたし……」
胸の高鳴りを、ウードを抱きしめることで抑え、リアネイラはまじろぎもせずにセオドアスを見つめ、言った。
「わたしね、よかったなって思ってる。ここにこうして居てくれる人がセオでよかったって、父様がセオのこと選んでくれてよかったって。だから、えぇっと……これからもずっと、よろしくね」
青天のように明るく笑って。
義務感からではなく、セオドアスは守り続けていきたいと思っていた。
リアネイラとの和やかな日常を。そして、自分に向けられる淳良で温かな笑顔を。
「これからも、ずっと」、と。