scene.2
剣の稽古を始めてから、およそ半年。
何故そのような必要があるのかと問うても、リアネイラは言葉を濁すばかりで答えない。もともと体を動かすのが好きな性質で、乗馬も早くからセオドアスに習い、上達は早かった。剣技の腕前も、同じ年頃の娘と比べれば、格段に巧い。だが、年頃の娘が剣技の腕前を誇るのが良いことなのかは、セオドアスには判りかねた。
「はぁっ、やっぱりセオはすごいね! 全部止められちゃうんだもん。体格の差もあるけど」
負け惜しみの一言を最後につけたし、けれど素直にセオドアスの剣技を褒め称えた。
「背も、ずいぶん高くなっちゃったね、セオ」
リアネイラはそう言ってセオドアスを見上げた。
「もうこれ以上はのびませんよ」
「……うん」
まっすぐ立っているとちょうどセオドアスの胸元に視線がぶつかる。
「姫?」
時々、リアネイラはこうして押し黙ってしまうことがある。何か言いたそうな様子だが、それを飲み込んで、唇を噛みしめている。
「姫、どこか具合でも?」
「ううん。ごめん、なんでもないよ、セオ」
リアネイラは首を振り、笑って応える。
剣を鞘に納めてから、リアネイラは無造作に束ねていた髪をほどいた。
秋風に、リアネイラの金の髪がふわりとなびく。緩やかなくせのある髪が、木漏れ日を受けて光り、美しい。
セオドアスより赤みをおびている金の髪は、朝焼けの空のようだ。
まぶしそうに見つめるセオドアスを、リアネイラは不思議そうな顔をして見つめ返した。
「何、セオ? 何かわたしの顔についてる? わたし、何か変?」
そう問いかけ、答えを得ようとしたのだが、折り悪く邪魔が入った。
「リィラ! リィラ! 宮廷から使いが来たよ」
親しげにリアネイラを愛称で呼ぶのは、リアネイラの幼馴染みであり、侍従のキィノだ。
「キィノ、何?」
貫頭衣の裾を翻して駆けてくるキィノは、茶色の髪を編みこんで一つに束ねている。華奢な体躯で、いかにも書生らしい風貌の少年だ。
「国王陛下がお呼びだそうだよ。あ、セオさんも一緒にって」
「私もか?」
キィノは頷いて答える。
侍従のキィノは、母とともにリアネイラに仕えているのだが、身分柄を気にせず、気安く接している。「立場を弁えなさい」と、女官長でもあるキィノの母ハンナには度々叱られるのだが、今さら修正しようがない。
「父様が? 何の用かな?」
「さあ。でも迎えの人がもう待機してるから、急いだほうがいいと思うよ?」
「そっか。セオ、じゃ、わたし、すぐ支度してくるから」
「わかりました」
「じゃね、キィノ」
「うん。何の用だったか、後で教えてよね」
「うん、了解」
それが、今朝のことだった。
まさかあんな特命が下されるとは思いもしなかったリアネイラは、久方ぶりに父の顔が見られることを素直に喜んでいた。
それはおそらく、セオドアスも同様だった。父娘の対面の場に自分も招ばれたことは疑問だったが、護衛として当然のことだろうと、さして深く考えなかった。
王は、この二人の意表を、見事についたのだった。
屋敷に戻って、事の仔細をキィノに話してから、リアネイラはテーブルに突っ伏した。
「ひどいよ、こんなのってない」
泣きたい気分だったが、実際は涙も出ない。というより、嬉しさも正直あって、その気持ちをごまかせなかった。
「へぇぇ、婚約とはねぇ」
お茶を淹れながら、キィノは愉快そうに笑う。
「よかったじゃない。君命なんだからセオさんだって逆らえないしさ」
「それがよくないの!」
リアネイラはテーブルを叩いて、顔を上げた。
「無理強いじゃない、それって! わたし、そんなこと望んでない!」
「それにしても陛下はよくご存知だったね、リィラの気持ちをさ。って、まぁ、見てればわかるか。年季はいってるし」
「……ぐっ」
「本人が気付かないんじゃ意味ないけど」
「キィノ、最近ちょっと厳しくない?」
「そう? ほら、お茶飲んで落ち着いて」
「…………」
リアネイラはカップを受け取り、言われるまま、温かなお茶で喉を潤した。
「一応これでひっきりなしの結婚話も落ち着くんじゃない? 陛下はそれも考慮してくださったんだろうし」
「そうかもしれないけど、セオ、きっとすごく迷惑してるよ。けど、君命じゃ断れないし」
「それが嫌?」
「嫌。セオの気持ちを無視するなんて、嫌。そんなの、嬉しくない」
嫌われたくない。そう思う気持ちが強まっていく。せめて、嫌われたくないのに。
「セオさんはリィラを嫌ったりしないと思うよ」
キィノは頬杖をついて、ふくれっ面の少女を覗き見る。
「陛下に、なんとかしろって言われたんでしょ? つまりきっかけを与えてくれたってことじゃない」
「なんとかしろって言われても、どうしたらいいのか全然わからないもの」
リアネイラは弱々しく呟く。
何をどうすれば、セオドアスの気をひくことができるのだろう。
その答えが分からないのに、「なんとか」しようにも、なんともできない。
男性の気をひく方法といえば、短絡的だが、たとえば「色仕掛け」だろうか。リアネイラは深々とため息をついた。
「色仕掛けでセオを落とせるほど、わたしは美人じゃないし。だいたい、色気のイの字もないのに、無理難題もいいとこだよ」
「セオさんは色仕掛けでころっと落とされるような人ではないと思うけど」
「それはそうだと思うけど。セオってすっごく強くてかっこいいから、貴族のご令嬢さん達から熱い視線注がれてるし。でも、誰も篭絡できてないもの」
「難攻不落っぽいよね、セオさんは。同性のオレから見ても、かっこいいと思うしなぁ」
沈思黙考で実力派のセオドアスは同僚や部下からの信頼も篤い。とくに無愛想というわけでもなく、仲間同士とは気さくに付き合い、友人も多いようだ。……ようだ、というのは、堅苦しくなく、心安く振舞っているセオドアスを見かける機会が、リアネイラにはないのだ。
それが、ひどく口惜しい。
昔、まだセオドアスが十代だった頃は、そうした気さくな人柄を垣間見ることもあったというのに。
それに、その頃セオドアスには、リアネイラは会ったことはないが、恋人がいたということも、知っている。
「ああ、オレは見たことあるよ。たぶん、あの人だろうって人」
キィノから、どんな人だったのかは、外見だけのことだが、情報は得た。
その女性と別れて以後、セオドアスに新たな恋人の出現はなかった。少なくとも、リアネイラの知りうる限りでは。
だから、たぶん現在もセオドアスには恋人はいないはずだ。だからといって、それが安心の材料になるかといえば、リアネイラにとって、そうではなかった。
「セオね、昔はそうでもなかったのに、ここ最近、なんだかわたしから離れていってる気がする。距離がどんどんできていって、ひどく遠く感じる時があるの」
リアネイラのこのしおらしさを、セオドアスに見せてやりたいくらいだ。
キィノは含み笑いをしつつ、ため息をこぼした。
「なんでかな。昔はそんなこと感じなかったのに」
「それはリィラもそうなんじゃない、セオさんに対して」
「そ、そう……なのかな? 自分ではわからない」
「昔はあっさり言えたじゃない。セオのお嫁さんになるってさ」
「……それは、そう……だけど」
「その言葉どおりの状況になれる好機を与えられたんだから、なんとかしてみないと」
「そんなこと言ったって~……」
再び、リアネイラはテーブルに突っ伏した。
ただ一人の人だけを想い続けて、早十年。
恋愛の初歩で思いきり躓いてしまったリアネイラは、与えられた好機を上手く活用できそうもなく、ただひたすら落ち込むばかりだった。
セオドアスは一日の大半を、リアネイラのいる屋敷で過ごしている。。
それでも時折は王宮内の軍部棟へも赴かねばならず、その時はリアネイラには一言断って、屋敷を出ていた。
しかし、今朝は一向に顔を見せない。朝食が済んだ後にはいつも、「さあ、今日も元気に剣の稽古よ、セオ!」と駆け寄ってくるのだが。
「無理もないですよ、セオさん。複雑な乙女心ってやつです」
屋敷の出入り口の扉の前で、どうしたものかと腕を組んで困り顔をしているセオドアスを見つけ、キィノは「伝言があれば、オレから伝えておきますよ」と声をかけた。
「軍部棟に行かねばならないので、その旨伝えてほしい。何かあれば、おもてにいる衛兵等に申し付けてくれと」
「たしかに伝えておきます。……あれ?」
キィノは、セオドアスの足元に落ちている革紐を拾った。首飾りのようだった。
「これ、セオさんのですか?」
拾い上げたそれを見せると、セオドアスは慌てて首もとに手をやった。
「ああ、そうだ。すまない」
細い銀の指輪が革紐に通されている。華奢な曲線の透かし彫りの中に、まるで浮かび上がるように楕円の石がはめられている。石は琥珀のようだった。
「留め金の部分が壊れてしまってますね。それで落ちたんだ」
「……ああ」
「セオさん、よければオレ、直しますよ、これ。こういうの得意だから」
キィノの申し出に、一瞬、セオドアスはためらった。
「あ、大事なものなら」
「いや、頼む。無くしてしまっては困るからな」
ふぅん、と意味ありげにキィノは鼻を鳴らした。
無くせない大事な「指輪」、ね。
指輪はいかにも女性用らしく、それをお守りのように首からさげているというのは、意味深だ。
「今日中には直せますから、明日お返ししますよ」
「そうか。助かる」
「こっちの指輪だけは、持っておきます?」
「いや、指輪だけ持っていては、それこそ落として無くしてしまいかねない。一緒に預かっておいてくれ」
「そういうことなら」
無くしたり壊したりしたら、どんな目に遭うかわかったもんじゃないナ、そう冗談まじりに苦笑する。もちろん、それは口にはしない。
「それと、セオさん」
肝心なことを、言っておかねばならなかった。
「オレ、筒抜けですから」
「は?」
「ですから、オレ、筒抜けですからね、リィラには。不必要なことはベラベラ喋ったりはしないつもりですけど、もしリィラに知られて困るような物なら、一応口止めしておいたほうがいいと思いますよ?」
「…………」
あけすけな物言いをするキィノに、セオドアスは笑みをこぼした。
「いや、知られて困るということはないが、一応は口止めしておこうか」
「わかりました。黙っておきます」
「キィノ、何を勘繰っているかはわからないが、たぶん、期待には副えないと思う。あるいはその逆かもしれないが」
「むむ」
「修理、よろしく頼む」
微笑を見せ、セオドアスは踵を返した。
「むむぅ」
キィノは気難しい顔をつくり、唸る。その顔を見てセオドアスは笑ったのだが、それと気付かれないよう、足早に屋敷を出ていった。